夢の話。





八月十一日。
初盆である。
坊主に経をあげてもらう日であった。


その前日、僕は友人宅で呑み過ぎて、二日酔いの状態であった。
そんな心根で際に見た夢だった。


僕は父と口論になり、座椅子を投げつけた。
父は僕に云った。
「お前はもう助からない。」

帰って来るのが早過ぎるのではないか。
やはり僕達はまだ赦しあえないのか。


何処かでは、気温が四十度を超えた暑い日だった。






次の日。
気持ちだけが先走る。
意識が先に経ち、目覚めの一服を吸い、洗面所に向かい、顔を洗う。

気付くと其れは夢だった。

ベッドに張り付いた身体を無理矢理引き剥がし、目覚めの一服にありつく。
つまらない夢だったな、と嘆息しながら煙を吐き出す。
覚醒を促す為に洗面所に向かい、顔を洗う。


其れは夢だった。

僕は余程に眠いのだ。睡眠が足りていないことを夢の狭間で思い知る。
しかし起きねば成らぬと、僕は怠惰を許さない。
危機感をまぶたに煽り、煙草に目をやる。
旨くも不味くもないただの煙に朝日が陰を射す。
日常に慣れる為に、洗面所に向かい、顔を洗った。


やはり其れは夢だった。


もしかしたら僕は死んでしまったことに気づいてなくて、必死に魂を肉体に繋ぎとめようとしているのではないか、不安の中で死と再生を繰り返した。





昨日。
酒を呑んだ僕はいつの間にか寝てしまっていた。
家の呼び鈴が鳴り、母が対応する。
僕の部屋は玄関の隣に有るので話し声は丸聞こえだ。

「$×°〒○(失念)は居ないようなので帰りまあす。」
男子高校生ぐらいの若い声。
ざわつきから三人程いると思われた。
母は
「はあ?」
と生返事。
悪戯であることは想像に難くない。
僕は聞き耳を立てて様子をうかがっていたが、その後音沙汰が無い。
立ち去った様子もなければ、ドアを閉めた音もない。
両者とも声を発しない。
気色の悪い雰囲気に僕は己の出番を感じ、部屋に置いてある木刀を握り締めた。
案の定、と云うべきか、そこから身体が動かない。


そこでこれが夢であることに気づいた。
それは、夢の中の僕が見ている夢だった。
実存している僕は、夢の中で日記を書いていた。

こんな日記だ。



犬を飼いたい。
犬は可愛い。
犬の頭はできれば、2WAYがいい。
首輪は二つ必要だが、構わない。
餌が必要だ。
犬は何を食べるのか。
朝と夜に散歩する。
頭が二つあるので、心も二つ必要だ。
名前はロンドベル。
名前は一つ。
餌が必要だ。
何を食べるのか。



そんな日記だった。
僕は犬を飼ったことはない。二つの頭を持った犬には何処で出会えるのか、知らない。

今は、この身を起こさなくてはならない。
神経が破裂したような、激しい音がした。
夢と現実の狭間が無くなってしまったような気持ちで目が覚めた。
夢を見たのではなく、脳漿から夢を引き剥がされてしまったのか、大事な何かを忘れたままこの世界に送り返された気分だ。


真っ白な頭の中が、これまでの記録を頼りにこの世界を形成する。
量子力学的な目覚めが僕を曖昧にする。
この三日間の夢の観測的記録である。






男の子も女の子も変身願望を持っている。


男の子は正義のヒーローになりたかった。


女の子はお化粧して可愛く美人に。


女の子は、とても綺麗になった。


街の誰もが振り返るくらいに。



男の子は、何にもなれなかった。


街の誰もが彼を覚えていない。



女の子が幼い頃から美しくありたいと願い、美を追求している事に較べて、
男の子はいつ、その願いを忘れてしまったのだろう。



場末のバーでお酒を呑んで年増のホステスに適当に冷やかされた後、ふらふらと独り夜道を歩く。


そんな時に、ふと思い出すのかもしれない。


かつて男の子だった彼は、星を捕まえてホステスに自慢してやろうと目に入った雑居ビルの屋上に向かう。



太陽が昇る前の藍より青い夜明け。
鳥が起き出す前のこの時間が一番好きだった。


手すりに掴まって身を乗り出して手を伸ばしても星には届か無い。



もう少し、
と彼は思ったのかもしれない。


ネクタイをほどき、安い革靴を脱ぎ捨てた。



ホステスの事はもう忘れていた。



きっと、ヒーローにはなれない。


なぜなら彼の前にヒーローが現れたことなどなかったから。



彼にはもう、選択肢は必要なかった。


国境のように立ちはだかる手すりを越えて、ビルの鋭利な角に立った。



後はここから飛び降りるだけ。


さっきまで自分が歩いていた冷たい道ではなく、
自分が愛した、あの夜空に向かって落ちる。


寂しさ同士が魅かれ合う孤独な大地より、両手いっぱいの星が彼を慰める。




だから彼は跳んだ。




夜更かしをする僕に一番星がこっそり教えてくれた、男の物語だった。



「男はどうなった?」


僕は尋ねた。



「昔の私さ。」


星は応えた。



僕は、星がかつて跳んだ同じ場所で、こんな話をした。


空が明るくなってきたので、星は帰って行った。


だから僕も帰ることにする。


また明日来るだろう。


その時は違う星が、違う話を聞かせてくれるだろう。



空には寂しさの数だけ星がまたたいて、
星の数だけ僕は生きる。






私はいつでも逢えると思われたくない。


もう、逢えないと思われたい。


私はいつだって、綺麗なものだけを見ていたいのに、目覚めはいつも悲しい。


私の好きな、神社の境内に悠々と栄える桜並木に、過去のあなたの姿を重ね合わせてみる。


風が桜を散らせては、あなたが景色に溶けてゆく。


やっぱり、私の喪失感は、過去のあなたでは埋められない。


明日に未来があるのかわからないけれど、其れでも明日はやってくるでしょう。


明日には私はあなたにお休みを云うでしょう。


もう、なにも見ないつもりで目をつむると、夜は少しだけ優しい。


あなたの姿の置き場を探し始める朝だけが、いつだって悲しい。