先日、テレビで
《記憶障害の花嫁
最後のほほえみ》
というのを放送していた。
あーもうあれだよ。
俺が嫌いなお涙頂戴の可哀相系ドキュメント。
徳光和夫がアップをはじめて
故・島田紳助がしゃくれに涙を浮かべるやつね。
あー、紳助は死んでないか。
途中から観たから記憶障害ってのがどんな障害か詳しくはわからなかった。
記憶障害の弊害で喋ることや文字の読み書きが困難であることは想像できるが、歩くことも自炊もままならない状態が意外で、俺も無知であった。
普段はこんなの観ないけれど、寝付けなかったし、NHKで放送していたヤンキースVSマリナーズではイチローが三打席ノーヒットだったので、ついチャンネル変えて観てしまった。
ちなみにイチローはその後二塁打を一本打ったそうだけど。
番組は意外にも丁寧に作られており、オーバープロデュースもなく、出演者に対しても誠実な作りだった。
サブタイトルの通り、彼女は死ぬ。
子を産んで、その晩意識を失い、子を抱くことなく、十日後に息を引き取った。
問題は、俺は番組を観ながら彼女が死ぬ瞬間を今か今かと待ち侘びていたこと。
だってそのシーンが一番泣ける場面だってことが俺にはわかっていたから。
そういう意味ではこの番組は成功し、俺は満足した。
そして俺の醜い部分をあからさまに浮き彫りにしてくれた。
俺がお涙頂戴の24時間テレビを嫌いなのは、障害者をダシに視聴率を稼ぐマスコミではなく、
こんな自分を自覚したくなかっただけなのだろう。
メディアは国民の鏡、とはよく言ったもの。
俺の薄っぺらな思想も所詮電通のそろばん勘定ではじきだされたもの。
俺はいつも夢を見て、自分に酔っていたいだけの愚鈍にすぎなかった。
画面の向こうの障害者は、恋をし、子を産み、28年の人生を謳歌した。
俺は己の人生に頼れず、彼女の人生に寄り添おうとした。
イチローはガチムチどもを相手にいまだ闘っている。
俺はどうすんの。
いつまでナイーブ気取ってオナニーに耽るつもりなの。
こうして醜悪で浅ましい自分を書くことが懺悔になるとは思わない。
赦しを乞うつもりもない。
でもこんな自分とどう折り合いをつければよいのかもわからない。
一生、こうやって生きるしかないんだろな。