早いものですね。「こまこ」が家族になって今日で2年、毎日幸せな日々を過ごしています。この子が来てから1年目は年8回の旅行をすることができました。昨年は5回と減ってきましたが、今年は1月末の南淡路への一泊二日の旅行を始めとして数多くの旅を二人と一匹で行きたいと思っています。メインは9月の「金婚式」の北陸・東北地方への車での8日間の旅行。計画では石川県の能登半島、輪島の朝市なども予定していたのですが、突然の震災で多くの人命を失ったことや家屋の倒壊、大火災の発生、道路網の損壊など復旧・復興には長期間かかることを思えば行くことができません。石川県内では二次避難先のためホテルや旅館を当てているそうですので、阪神・淡路大震災を経験した者としては、浮かれた気持ちでの旅行は慎みたいと考えています。ただ、富山県八尾町の「風の盆」は、旅行先として長年切望してきましたので、宿泊はしないようにし「八尾おわら資料館」や「風の盆の町流し」などの見物してきたいと思っています。

 

 そうそう、京都府久美浜へは3月末にはカニシーズンが終わりますので「ホテル悠々」へ4月頃に出かけたいと考えています。カニのシーズンは宿泊費が1万円以上も割高になります。私はカニを食べるのが面倒なので出かける気になりませんが、カニシーズンと夏休みの期間を除いて数回は行きたいなと思っています。鮮魚店「ギザ」の魚やお土産店「かにはん」で「サバのヘシコ」などの買い物を楽しみたいと思っています。

 

 ここ数日はあいにくの曇り空、朝晴れていると思えば、午後4時以降は曇天の曇り空、冷たさも厳しく散歩途中での写真も良いものが撮れないのですが、近くの散歩コースの写真を投稿します。

 

 このように空は青空が見えますが、雲の流れが速くて20分もすれば空は雲で覆われてしまいます。

 

 住宅地内を横切る「ショギングロード」の約400mほどのケヤキ並木。高圧線の下はこのように木々が植えられています。植栽して40年ほど経ちますので、春から夏は緑の木々が生い茂り、早朝・夕方時は犬の散歩の人達をよく見かけます。また数多くの野鳥の姿を見かけるのも楽しみです。

 

 陽が射すと色合いが深まります。「こまこ」もカメラ目線で写っています。

 

 この季節は各家庭では山茶花の花が咲いているのが目立ちます。我が家でも玄関横に植えて35年以上も経つピンクの花が綺麗です。

 

散歩の途中で見える高層のマンション。駅近くの一区画だけ。それ以外は全て一戸建て住宅が並んでいます。

 

 散歩の途中で休憩する「コメダ珈琲店」。店内には入らず前のベンチで「こまこ」とオヤツタイム。私は珈琲があまり得意ではありませんので、ベンチの一番端で缶チューハイ。申し訳ないですね。

 

私を見上げる「こまこ」。光が当たり、とても良い表情をしています。

 

何を考えているやら。「こまこ」お得意のホーズです。

 

 

玄関前の素焼きの大鉢に植えたビオラ。綺麗に咲いています。

 

以下の写真は今日のお昼前に撮ったものです。

何時もの散歩コース。住宅内の車の少ないコースを選び散歩しています。

 

 

 

自宅玄関前でビオラの大鉢をバックに撮影。

 

 阪神・淡路大震災を思い出す

   今日は29年前に「阪神・淡路大震災」が発生。兵庫県、特に神戸市から芦屋市、西宮市、淡路島にかけて午前5時46分の早朝、大規模に断層が動き震度7という都市を直下する未曾有の揺れが襲った日です。多くの建物が倒壊し、死者6400人、倒壊を含む家屋被害は52万棟を超え、被害総額10兆円とも言われています。自宅は六甲山の北側で建物の被害はなかったのですが、水道、電気、ガスなどのインフラか崩壊して苦しい生活が長く続きました。地震が起きた瞬間は下から突き上げる縦揺れの次に、柱がキシムような横揺れが続き、私は大阪・神戸では地震が無いと思っていましたので「関東で大震災が起きた」と、すぐ考えました。神戸であの揺れですので関東地方の東京を起点とすれば日本列島は壊滅ですね。まさか神戸・淡路島が震源地だとは夢にも思わず、妻と子供の安否を確認すると、すぐさま勤めていた会社に向かって車を走らせました。六甲山を超えると道路には大きな亀裂や段差ができ、六甲山を下る途中で長田区方面で火災が発生し煙が立ち上り、円盤状に雲がかかったように見えました。灘区に入るとすぐに、マンションの火災に出くわし、倒壊した家屋からは寒さに震え絶望的な表情で多くの人が道路に座り込んでいました。勤め先にたどり着くまで、細い道路は家屋の倒壊に阻まれ進ことができません、比較的大きな道を選んで、ようやくたどり着くと5階建ての社屋は一階部分がつぶれ、火災も発生していました。この震災が朝9時に発生していたら私の命は危うかっただろうし、死者数も約6400人ではなく、その数倍または2万~3万人の犠牲者が出ただろうと推察すると身が震える思いもしました。当時私は一定の部署の責任者でしたのでその日に設置された「対策本部」に詰め自宅には帰れず地震対策について奔走し、電話は不通などで関係のあった「日本テレコム」より当時出始めだった携帯電話を借り、関連部署への連絡をつけた記憶があります。もちろん、ほとんどの高架が落下した阪急電車は西宮と芦屋市夙川間が不通、阪神高速神戸線も東灘区で倒壊して不通、自宅に帰れず50㏄のバイクで瓦礫の中を走り回った記憶があります。国道2号線は支援物資を運ぶ車、知人や親せきなどにリュツクを背負い生活物資を届ける膨大な数の人々が阪急西ノ宮駅から西へ徒歩で歩いている光景を目の当たりにしてバイクに乗っていた記憶が今でもハッキリと浮かびます。阪神・淡路大震災の復旧・復興は長い年月を要しました。石川県特に能登地方の皆さまには復旧・復興が1日でも早く以前の暮らしを取り戻され、刃物のような冬でしょうが乗り越えられて幸多い人生を過ごされますよう心より心より祈念申し上げます。※刃物のような冬とは詩人高村幸太郎の詩集「道程」から、今日の読売新聞朝刊「編集手帳」を参照

 

無駄話

 投稿を書き上げてペットサロンへ「こまこ」をカットに連れて行きました。所要時間は約2時間。家に帰って「こまこ」の散歩。今回は首の周りを短くしてもらいましたので、なんと体の太さに比較して顔と体の大きさの違うこと。肩とお尻の大きさだけが目立ちます。マ、太目は嫌いではないし、柴犬は太目の方が可愛いと自己満足で終わり。夜は我が家に来て3年目を迎える「こまこ」のお祝い。妻が鳥のササミの湯引きではなく豚肉の湯引き?にしました。瞬く間に完食です。「こまこ」の性格などについては、22年11月10日のブロク「こまこ」のことを少し詳しくパートⅣをご覧くださると幸いです。