無気力・自己中も後遺症!
私が後遺障碍を持ってから早!8年の日々が過ぎました。障害者としてこの日々を送る中で、喜怒哀楽!色んな想い(出来事)を実体験して参りました。今日は最近!富に考えさせられる事に付いて記していきます!!私見ですが,僕は(受・身体障碍)後の後遺症は2つあると思います。一つは病を主要因とする(直接的後遺症?)と障碍者として生きる中で(直接的後遺症?)及び人為的に齎された(間接的後遺症?)に分かれると考えてます (直接的後遺症?)は病の急性期や回復期から(OTさんPTさんSTさん)等の沢山のセラビストさんと共に歩んでいく中で、厳しい道でも,一人じゃないし、孤独ではありません。但し命に関わる程の深刻性を帯びてる場合も存在します!!問題は各セラビストさんの手を離れ地域に戻ってから(直接的後遺症?)と反比例するように増大していく(間接的後遺症?)にあるように僕は考えます!!この後遺症は(受・障碍)後の環境や精神状態が起因した(孤立や無気力)といった精神面に影響するものなので直接命にはか関わらないけど、障害後の自分を一人で生きて行く者には由々しき弊害だと僕は思います。(受・障碍)直後は、リバビリという名の希望が在るし、障碍者という新しい自分に慣れてないので、目立ちませんけど、地域に戻って以前のように暮らそうとする頃には・・リバビリの限界や,片麻痺生活上での実質的不安や苦労の存在といった厳しい現実が生み出す焦燥感や孤独感や将来への疲弊感を自分の問題として一人孤独に受け止める作業は弱い人間には辛すぎるように思います。そんな時に限って身近にセラピストさんや相談相手がいなかったりするんです・・ その辛い時期に誰かと共に有りたいと願ったにも関わらず・・誰からも気付れる事なく、誰からも手を差し伸べられる事なく、誰からも必要とされなければ、障碍を持たない健常者さんでも、良くドラマ等で描かれるように、世をはかなんだ挙句、本人の意図しない所で、無気力や自己中に嵌っていくのでしょうね。そこで僕は・・上のような危機を運良く乗り越えた者は,(自分は彼らと違うんだ)という選民思想に浸っておらずに、わがままや自己中は決して人間性ではなく、障害がもたらす悪癖だと捉えて・・同じ仲間なのに、悲しいことにそうなったしまった人々をその世界から引き戻す手立てを考えていく事が、それが共に有るということだし、我々に必要とされるという事のように考えます!!最後までご覧戴きコ誠にありがとうございますにほんブログ村 人気ブログランキングへ ↑ブログ村のランキングに参加しています。よかったらポチ!して下さい