和歌山県を根拠地として世界に君臨する島精機製作所の発展を支えて来たものは何か

従来からの、胴や袖を部分ごとに編んで、手で縫い合わせてきたニットの常識を覆す発明をし、縫い目無しで、糸をセットしボタンを押せば、数十分でニットの服が丸ごと編みあがる機械を95年に世に出した。現在、工業用編機での世界シェアは65%にもなるアパレルメーカーでもないのに、昨秋ミラノで開催された編機の国際見本市に200着以上の自社製“縫い目無し”ニット服を持ち込んでアパレル関係者の度肝を抜いた。ファッション界に「夢のようなデザインができる」(コシノヒロコさん)と衝撃を与えた。ルイ・ヴィトン、グッチなど世界のトップブランドも主要な顧客である。安い輸入服が席捲する現状に“メイド・イン・ジャパンのニットが消えてしまう“という危機感を持ち、ものづくりニッポンを支えた「お家芸」機械工業の不振が続く中で大いに気を吐いているこの島精機製作所を支えているのは、社長の島正博さんのリーダーシップであることはいうまでもないが、それに加えて、氏の辛酸をなめた苦難な時代を通じて育まれたハングリー精神、従業員思いの人間性溢れた人柄、義理人情の重視、地域社会への限りなき愛情にあるのではないかと思う企業の成長を絶えず意識しながらも、従業員を始めとし全ての利害関係者への配慮を怠らない理想的な経営者像を見たような気がするのである1)島さんの父は和歌山県の地場産品・軍手を細々と作っていたが戦死。中学生になると焼け跡のバラックで母の軍手作りを手伝った。銀行に勤めて豊かな生活をと思ったが、「無理だ」と中学校の先生に言われた機械工場でへとへとになるまで働きながら、定時制高校に通い、24歳で従業員30人の町工場を創設したこの時の苦しい経験が世界一の原動力となる。氏は多くの発明をしているが、それらは全て貧しさを克服する気持ちから生じたといっておられる。夢の中で思いつき、飛び起きて紙に書きつけることもあるという2)オイルショック後の74年、ニット業界は大不況に陥り、編機の受注キャンセルが相次いだ。経営危機を伝えるニュースが流れ、債権者が押し寄せてきた。「300人以上の社員とその家族を守らなければならない」と経営者の重責に震えた。メーンの三和(現UFJ)銀行には社員半減を迫られたが、ものづくりへの情熱を訴える「ニットを守るには多品種少量生産を可能にする編機が必要,DQ10 RMT。半減させたつもりで、社員にコンピューターを勉強させたい」。三和の支店長も折れた。「こちらも腹をくくります」社員食堂で債権者に説明した。罵声を浴びながら頭を下げた。「売上は回復します。待てないなら、直ぐ全額払います」と汗だくで1時間以上話した多くの債権者が「つらいのは一緒や。頑張ろう」と手形を持ち帰ってくれた。目頭が熱くなった。また、銀行も現金を準備してくれたこのようにして社員の雇用を死守し、その後着実な成長を遂げ現在に至るが、この危機に際しての対応から、氏の人間味溢れた良き経営者の側面を窺がい知ることができる3)ビジネスの相手は世界,rmt。和歌山という土地では不利では?という質問に対して、育ててくれた地元を離れることはできない。それに経営面でも開発、製造、営業など全部門を一箇所に集めた方が意思統一しやすい。と答えている。お世話になった地域社会への義理を大切にする氏の一端を窺い知ることができるまた、個人的にも富を得たが、お金をもっているのは好きでない。豊かになったと思ったら、そこで止まってしまいそうになる。だから散財する。90年には、京都に新設予定の短大が資金難だと聞いて、家を建てて残った全額を寄付した4)「島さん後」の経営は?という質問に対して、この世界に入って50年以上であるが、寝食を忘れ3人分は働いた。でも、それは貧しい時代だったからできたこと。今の人に同じことをやれと言っても無理。今後は「自分がやった方が早い」と思っても、ぐっと我慢して、後継を育てるつもりである。少なくとも60代の内は現役を離れられないと思うので、時間はあります、と答えている。この種の経営者にありがちなその場限りの経営ではなく、将来を見据えた経営を考えておられる最後に、島社長が、空洞化問題に関連して次のように答えておられることを紹介して本論文を終えたい「低コストの輸入品が日本の市場に溢れ、ものづくりの空洞化を懸念した。従来は胴や袖を縫い合わせる人手が必要であった。だから、アパレル会社は人件費の安い海外に製造を委ねる。でも輸入に時間がかかるから売れ行きを予測して大量発注。残れば廃棄処分である。資源も時間も労力もムダになる。縫製がなければ、どこで作ってもコストは同じになる。ブティックに置いて、注文を受けてから作ることだって可能になる。」
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