昨日の記事
に「いいね!」をたくさんいただき、ありがとうございました。
昨日の記事を読んでメッセージをくださった方がいらっしゃいます。
その方にお返事をしようと思ったのですが、せっかくなのでみなさんにもシェアさせていただきます。
以下、メッセージの一部を抜粋します。
『まだあきらめずにそして期待はしないで「いつか きっと」と思いたい。
それは、手放していないということなのか?そんなことを感じました。
期待しないけど「いつか きっと」をちょっと楽しんでみたいです』
※シェアするにあたり、一部いただいたメッセージの表現を変えさせていただきました。
私は読ませていただいて、この方はちゃんと手放されているなぁと感じました。
手放し方も人それぞれですし、時期によってその選択肢も変わることもありますし、段階的に手放すというケースもたくさんあるでしょう。
私が母と分かり合うことを諦めたのもまた手放すことの一つのかたちですし、メッセージくださった方の手放し方もまた一つのかたちです。
どれか一つが正解ということはなく、どれも正解なのです。
一つだけ正解がわかる方法があります。
それは自分が楽になっていたり、自由な感じや、緩んだ感じがするかどうか。
手放せたかどうかは、自分が一番わかることだと思います。
諦めることも手放すことの一つのかたちではありますが、メッセージをくださった方のように「いつか きっと」を楽しんでみたいというのも、とてもいい手放し方だと思いました。
無理して諦める必要はどこにもないと思います。
自分のこころに正直に「いつか きっと」を楽しみたいという手放し方はとても素敵だと思いました。
今回私は「分かり合う」という一つの愛のかたちに囚われ過ぎていた自分に改めて気づきました。
「分かり合う」という愛のかたちは私にとっては大切なことでしたので、これまでいろいろチャレンジしてきたのですが、そこにばかり囚われていると、他の愛を見逃してしまうのではないか?ということに急に意識が向いたのです。
愛のかたちは一つだけではなく、まだ私が感じたり表現したことのないかたちがたくさんあると思うのです。
一つの愛に囚われることなく、もっとたくさんある他の愛を経験したくなりました。
長い間手に入れたいと思ってきた「分かり合う」という愛のかたちを手放すのはちょっと寂しいですが、清々しくもあります。例えるならば、卒業式みたいなものです。
寂しいけれど、次にまた経験する愛が待っていますから。
「分かり合う」という愛のためのチャレンジをやり切ったので、今回卒業してもいいと思えたのかもしれませんね。
そして、メッセージをくださった方のように私も「いつか きっと」と思っているところがあります。
ただ、それが今世でなくてもいいと思うのです。
魂レベルで考えれば、お互い長い時間を掛けて成長しているわけですから、焦る必要はどこにもないと思えました。
来世でもいいですし、もっとずっと先でも構いません。
それより今はもっと別の愛を経験しすることに興味が湧いているようです。
メッセージくださった方が諦めずに「いつか きっと」を楽しみたいように、私も違うかたちの愛を楽しみたい。
今はそんな気分です。
そして「分かり合う」という愛のかたちを手放したとしても、私の母に対する愛はなんら変わりないことに自信を持っているので、それがこれから先も私を支えてくれているのでしょう。
同じことに対する手放し方でも人それぞれのかたちがあり、私の手放し方だけが正解ではないということと「いつか きっと」を楽しみたいという素敵な手放し方をご紹介したかったことと、昨日の記事の補足の意味もありまして、シェアさせていただきました。
みなさんもいろいろな手放し方、手放す過程を是非楽しんでみてください。
今日も読んでいただき、ありがとうございました
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