「潤!」

病院へ着いた俺は、まだ着いたばかりだったはずの潤が、病院から出てくるのを見て駆け寄った。

「どうした?もう帰るのか?」
「翔くん・・・・。うん。あの・・・彼女、来てるから・・・・」
「彼女って・・・・あの看護師?」

智くんの元カノだと言っていたあの病院の看護師。
彼女がいるのか。
だから・・・・

俺は、今にも泣き出しそうな顔で俯く潤を見つめた。

「・・・何か、話したのか?」
「ニノが・・・今日は来れないって伝えた。他には何も・・・・何も、話すことなんてないし・・・・」
「あるだろう?事件のことなんか話さなくてもいい。他にもたくさん、話すことが・・・・」
「ないよ・・・・何も。俺のことを覚えてない智と話すことなんて・・・・」
「潤・・・・」
「・・・ごめん。智が悪いんじゃないのに・・・・俺、最低だ・・・・」

今にも崩れ落ちそうに見えた。
『大野智』という心の支えを失った潤は、自分がどこにいたらいいのか、何をしたらいいのかもわからなくなっているように見えた。

「・・・俺、先に帰ってるよ。翔くんは智のお見舞いに・・・」
「・・・バカだな」

俺は、潤の頭をそっと撫でた。

やわらかい髪が、指に絡む。

「こんな・・・・今にも泣きそうな奴放っていけるわけ、ないだろう?」
「しょ・・・・くん・・・・」
「一緒に帰ろう。また・・・・相葉にうまいものでも作ってもらおう。な?」

俺の言葉に顔を上げず、黙って頷く潤。
俺は潤の肩を抱き、そのまま車へと乗り込み病院を去ったのだった。



「林美咲は、今池上の実家にいます。精神的なショックが大きすぎて、1人では居たくないということで」

夜遅くなってから、ニノがうちへやってきた。

「まぁ・・・気持ちはわかるけどな。結局あの血は―――」
「林の自宅から採取した毛髪と、酒井の家から採取した毛髪を鑑定してみました。あの血は・・・・90%以上の確率で、酒井雄一のものだそうです。ただ、一部違う人物の血も混ざっているようなんです。血液型の違う血が・・・」
「その血は、誰の・・・・」
「微量で、しかも酒井の血と混ざっているため判別が難しいとのことですが、おそらく・・・・林直也です」
「・・・・林が酒井を殺そうとして、それに酒井が抵抗した時に林も傷を負ったってとこか」
「まぁ、仮説に過ぎませんけど、おそらくそういうことじゃないかというのが今のところの本部の考えですね」

俺とニノが話している間、潤はキッチンで相葉と何やら話しながら酒のつまみになるものを作ってくれていた。
帰って来てからずっと沈んでいた潤だったけれど、相葉が来てコーヒーを淹れてくれると、ようやく少し笑顔を見せるようになっていた。

「・・・で、2人の行方は?」
「酒井の車が消えてます。林のバイクは、酒井の家の車庫に隠してありました。酒井が生きているかどうかわかりませんけど、生きていればあの血液の量から考えても瀕死の状態です。もちろん非常線も張られてるし、酒井を連れたままでそんなに遠くへは行かないと思うんですけどね」
「だよな。それで、警察は今後どう動くんだ?」

俺の言葉に、ニノが顔を顰めた。

「あのね、翔さん。いくら友達だからってそんなに捜査状況をペラペラしゃべれませんよ」
「十分話してるじゃないか、お前」
「だって、潤くんには話さなくたって、どうせわかっちゃうじゃないですか。だから、これまでのことは隠しても意味がないと―――」
「だったら、これからのことだって同じだろうが」
「違いますよ、全然!・・・・たくもう。とにかく、酒井と美咲の不倫を林が知ったとすれば、次に狙うのは妻の美咲しかいないと」
「まぁ、そうなるよな」
「遠くへ逃げることは難しい。だとすれば、どこかに身を隠しながら美咲に近づく機会を狙ってると考えるのが妥当ということで、今はあのマンションと、それから美咲の実家を刑事が張り込んでます。俺も、これから行くんですけどね」
「これから?大変だな」
「仕方ないですよ。ちょっと潤くんの様子が気になったんで、寄ってみただけです」

ニノから『大野さんの様子は』と電話で聞かれたとき、病院に元カノがいて、俺は智くんには会わずに潤と帰って来たと話した。
その後、ニノがうちに来たのだ。

「・・・このまま大野さんの記憶が戻らなかったら・・・・その彼女と付き合うんでしょうかね」
「さぁな。潤は自分から言うつもりはないみたいだし・・・。その可能性はあるよな。でも・・・」
「でも?」
「いくら記憶が無いからって・・・あんなにお互いを想ってたのに、その想いまで忘れちまうもんかな。潤の顔を見ても、なんにも感じないなんてこと、あんのかな」
「確かに・・・・あんなにお互いを好きで、一緒に暮らしてたのに・・・・その全てを忘れちゃうなんて、信じられないですよね」
「もしも智くんがこのまま思い出せなくて、その彼女と結婚でもすることになったら・・・潤はもう、智くんの傍には居られなくなるかもしれないな・・・・」
「それ・・・・潤くんが、どこかへ行ってしまうってことですか?」
「わからない。でも、今日の潤を見てたら、なんとなくそう思えたんだ。でも、あいつを1人でどこかへ行かせたりはしないけど」
「翔さん、それって・・・・」

ニノの問いに、俺は答えなかった。
まだはっきりと言えることは何もない。
今はただ、智くんの記憶が戻ることを願うだけだ。

だけど・・・・

もしかしたら、俺は心のどこかで、智くんの記憶が戻らないことを望んでたのかもしれない・・・・。




翌日になっても林は見つからなかった。
俺は傷口は徐々にふさがってはきたものの、まだ退院することはできず病院のベッドで退屈な時間を過ごしていた。

あれから、俺の頭の中は松本潤でいっぱいだった。
考えてみたら、俺は以前の松本潤のことを忘れてしまっただけじゃなく、今の松本潤のことも何も知らなかった。
翔くんの探偵事務所で探偵として働いていることは聞いたけれど、その他のことは何も知らない。
どこに住んでいるのか、いつから翔くんのところで働いているのか。
そして、翔くんとは・・・・・

別に、仲のいい友達同士なら肩を組むくらい珍しいことじゃない。
頭を撫でたとしたって、それが年下の後輩に対してやっているのだから特に意味はないのかもしれない。
でも・・・・・。


コンコン


病室の扉を叩くノックの音に、俺は我に返った。

「あ・・・はい、どうぞ」

声をかけると、どこか遠慮がちに扉が開けられ・・・・

「おはようございます」
「あ・・・・お、おはよう・・・・」

そこにいたのは、松本潤だった。

「あの・・・着替え、持ってきました」
「え、あ、ありがとう。悪いね、わざわざ」

松本くんは中に入ってくると、持っていたバッグからきれいにたたまれたパジャマや下着を出してサイドテーブルに置いた。

「・・・洗濯もの、持って帰るから出してくれます?」
「え?あ・・・あの、洗濯はいいよ。どうせ1週間で退院できるんだし、退院してからまとめてやるから・・・」
「・・・彼女にやってもらった方がいい?」
「え・・・」
「昨日の・・・前の病院にいた看護師さん。彼女に頼んだ方がいいか」
「いや・・・いやいや、あの、俺、彼女とは付き合ってるわけじゃ・・・・」
「・・・ふーん。昨日の雰囲気じゃ、彼女はその気みたいに見えたけど」
「いや・・・・あの・・・・なんか怒ってる?」

さっきから、松本くんは全く俺と目を合わせようとしない。
声にも、とげがあるというか・・・・
俺、何かしただろうか・・・・

「別に・・・怒ってない。朝は、弱いから・・・・」
「え」

朝弱いって・・・・そんな理由?
マジマジと松本くんの顔を見ると、微かに頬が赤く染まっていた。

―――あ、照れてる。

なんだかその様子が可愛くて、思わずじっと見つめていると―――

「・・・あんま、見ないで」

と言われてしまった。

「あ、ごめん。なんか可愛かったから」
「かわいくねえし」

むっとするその様子も、子供みたいでなんだか可愛い。

「ふふ・・・朝弱いのに、わざわざ来てくれたんだ?」
「だって・・・・着替えが必要だと思ったから。それに、洗濯もの溜め込むのもやだし」
「ありがとう。じゃあ、洗濯もの持って行ってもらっていい?」
「うん。―――退院する時までには、家に持っていくから」
「ありがと。でも、急がなくていいよ?松本くんだって仕事あるし、大変だろう?」
「別に・・・・自分のと一緒にやるから」
「あ、そうか」

俺が備え付けの棚から洗濯ものを出すと、松本くんはそれをバッグに仕舞った。

「じゃあ・・・今日はこれで」

そう言って出て行こうとする松本くんに、俺は慌てる。

「え、もう行くの?もうちょっといてよ」
「・・・え?」
「いや、昨日もすぐ帰っちゃったしさ・・・せっかく来てくれたのに」

俺の言葉に松本くんは戸惑ったように首を傾げたけれど、こちらに戻ってくるとパイプ椅子に腰を下ろした。

「・・・今日は、彼女は?」
「え・・・・昨日夜勤だって言ってたから、今頃は家に帰って寝てるんじゃないかな」
「ふーん・・・」
「あのさ・・・俺と松本くんって・・・どういう関係だったのかな」
「え?」
「いや、ただの顔見知りだっていうけどさ、俺の家に来たことあるみたいだったし、事件の日も会ってたみたいだし・・・仲、よかったのかなあと思って」
「・・・・たまに、遊びに行ってたよ。相葉くんの店でも顔合わせてたし。さ・・・大野さんて、自分であんまり料理しないでしょ?」
「そうだね」
「俺、料理好きだから・・・。たまに行って、作ったりしてた」
「え・・・そうなの?」

俺のために、松本くんが料理を作ってくれてたってこと?
え、なんかそれ、嬉しいんだけど。
なんで俺、そんな嬉しいこと忘れちゃってるんだ?

「なんでそれ、始めに言ってくれなかったの?」
「・・・別に、大したことじゃないし・・・・忘れちゃってるなら仕方ないって思ったから」
「言ってくれたら、思いだしたかもしれないじゃん」

そういうと、松本くんは顔を上げて俺を見た。
今日初めて目が合い、その大きな瞳にドキッとする。

「・・・今、言って思い出した?」
「え・・・いや」
「じゃ、あのとき言ったって同じじゃん。思い出せないってことは、大した記憶じゃないってことでしょ?思い出さなくてもいいってことだよ。・・・俺、そろそろ行く」
「え、ちょっと待ってよ。もっと松本くんの話、聞かせてよ!もしかしたら何か思い出すかも―――」
「無理、しなくていいよ。今は、ゆっくり休んだ方がいい。記憶は・・・・別に、急ぐ必要ないし」
「でも・・・」
「・・・俺も、仕事があるから。そろそろ翔くんが迎えに来てくれる時間だし」
「翔くんが・・・・」
「俺も事件の時その場にいたし・・・いろいろ心配かけちゃってるから」
「そう・・・そうだよね」

昨日の光景が、頭をよぎる。

「・・・翔くんのところでは、どのくらい働いてるの?」
「今年で3年、かな。翔くんには本当にお世話になってる。今は、住むところまで・・・」
「え・・・もしかして、松本くんが今住んでるところって・・・・」
「うん。今は翔くんのところにお世話になってる。ちょっと・・・・前に住んでたところから出なくちゃいけなくなったから、一時的に。住むところが決まるまではいていいって言われてるから」

松本くんが、翔くんと一緒に住んでる・・・・?

ズキン

胸が、痛かった。
どうして?
わからない。
2人が一緒に住んでるという事実が、どうしてこんなにショックなんだろう・・・・・



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