「潤のことだけ、覚えてない・・・・?」

智くんが襲われたとニノに連絡をもらい、病院に駆け付けた俺はニノから信じられない事実を告げられた。

「どういうこと?記憶喪失なのか?」
「まぁ、簡単に言えばそうです。医師の話では一時的な記憶障害だと思うってことだけど―――」
「一時的・・・じゃあ、思い出すのか?」
「事件のせいで障害が起きてる可能性が高いんで、怪我が治って精神的にも落ち着けば、戻るかもしれないって」
「・・・戻らない可能性も?」
「ええ。それは、医師にも何とも言えないそうです」
「・・・潤は」
「今、大野さんの着替えなんかを取りに戻ってます。あとでまた事件のことを聞かなくちゃいけないんですけど・・・・とりあえず俺は、一度署に戻ります。翔さん、潤くんについててあげてください」
「わかった」

そう言ってニノを見送ったものの、気は重かった。
潤が、どれほどのショックを受けてるだろうと思うと・・・。
自分の目の前で智くんが刺されたということだけでもショックだったはずだ。
それに加えて、智くんが自分のことだけを忘れてしまっているなんて・・・・。



「あ、翔くん。来てくれたんだ」

病室に入ると、そう言って智くんがにっこりと笑った。

「・・・俺のことは、覚えてるんだ」
「え?」
「いや・・・・。大変だったね」
「う~ん、実は刺されたことはよく覚えてないんだよね・・・隣に住んでるやつが犯人だって言うんだけど、俺、あんまり近所づきあいもしてなかったし・・・・」
「犯人の顔、覚えてないの?」
「いや、それはうっすらと覚えてるよ。そいつの奥さんらしき女の人が叫び声をあげてたのも覚えてる。で、もう1人俺の傍に誰かがいて・・・それが、さっきまでいた松本潤っていう人だって言うんだけど・・・・俺、彼のこと全く覚えてないんだよね。翔くん、知ってる?」
「知ってるもなにも・・・俺の探偵事務所で働いてるやつだからね」
「え、そうなの?」

目を丸くする智くん。

―――本当に覚えてないのか・・・・。

「智くん、潤は―――」
「翔くん、来てくれてたんだ」

病室の扉が開き、潤がボストンバッグを手に入ってきた。

「これ、着替えとか、歯ブラシとか・・・もし足りないものがあったら、言ってくれれば持ってくるから」
「あ・・・ありがとう。わざわざ、悪いね」

どこか他人行儀な智くんの言葉に、潤がふと寂しげな表情になる。

「―――いいんだ。翔くん、下の売店で買い物したいから、ちょっと付き合って」
「え?ああ、うん・・・じゃ、智くん、またあとで」
「うん」


病院の廊下を歩きながら、潤が口を開いた。

「・・・俺のことは、本当にまったく覚えてないんだ」
「まったく・・・?」
「うん・・・。最初から、何かがおかしいと思ってたんだ。間違いなくそこにいるのは智なのに、何かがいつもと違う。まったく俺の方を見ないし・・・・でもそれが何でなのかすぐにわかったよ。智の中に、俺がいないんだ」
「お前が、いない?」
「そう。今まで俺と一緒に過ごした記憶が全て・・・なくなってた。智の中には、俺の姿や声が、全く残ってなかった。刑事としての経験とか、学生の頃のこととかは全部覚えてるのに・・・・俺のことだけが、きれいに消えてなくなってた」

そう言って潤は、微かに笑みを浮かべた。
寂しそうな、悲しそうな笑顔・・・・。

「でも、一時的なものなんだろ?」
「だけど、いつ思い出すかはわからない。思い出さない可能性だってある」
「そんな、ネガティブに考えるなよ!お前らがどんなに強い絆で結ばれてるか・・・俺だって知ってる。信じろよ、智くんを」
「・・・・ありがとう、翔くん」

それでも、潤の表情はさえなかった。

人を見ただけで、その人を取り巻く状況や生い立ちがわかってしまう能力を持っている潤。
その潤の目に映る智くんは、今は潤を覚えていない。
一緒にいたはずなのに、智くんの記憶の中の潤は消えている。
信じたくなくても、潤にはそれがわかってしまう・・・・。

「―――潤」

俺は、潤の頭を軽く撫でた。
潤が顔を上げ、俺を見る。

「大丈夫。きっと、思い出すよ。何ができるかわかんねえけど・・・智くんが早くお前のことを思い出すように俺も協力するから」
「・・・・うん」



「もう、びっくりしちゃった!こんなところで大野くんに会うなんて!」
「俺もびっくりしたよ」

俺と潤が病室に戻ると、そこには看護師の格好をした若い女性がいて、智くんと楽しそうに談笑していた。

「あ、翔くん」
「・・・・飲み物、買ってきた。・・・お知り合い?」
「うん、大学の時の・・・友達なんだ。今ここで働いてるんだって」
「はじめまして、高野まさみです」

にこりと微笑んだ女性はなかなかの美人で、伸びた背筋が仕事のできる女性という感じがした。

「大野智って名前を聞いて・・・まさかと思ったんだけど。担当、変わってもらってよかった。わたしが責任もって、お世話させていただきますからね」
「なんかこええなぁ。優しくしてよ?」
「怖いだなんて、ひどいなあ。あたし、大野くんには優しかったでしょ?」
「そうだっけ?」

2人の楽しそうな様子に、なんとなく俺たちは居づらい空気を感じていた。
そして・・・・

「潤?どこに―――」
「俺、もう行くよ。ニノに一度署に来て欲しいって言われてるし」
「あ・・・それなら俺も」
「1人でいい」
「潤!―――智くん、お大事に。また来るよ」
「ああ、うん、ありが―――」

智くんの言葉が終わる前に、俺は扉を閉めていた。
すぐに潤の後を追う。
病室からは、2人の楽しそうな笑い声が・・・・・


「・・・あの人、智の元カノだよ」
「え・・・あの看護師が?」

病院を出て、タクシーが来るのを待っている時に潤がそう言った。

「うん。智が大学生のとき・・・2年間、付き合ってた人。卒業したら結婚したいって・・・・」
「結婚!?」
「彼女が、そう望んでた。だけど智はまだ結婚は早いって思ってた。給料も安いだろうし、始めは慣れない刑事の仕事で精神的にも必死だから、家庭のことを考えられる自信がないって。彼女はそれでも結婚を望んでたけど・・・・彼女も看護師になるためにいろいろ大変だったみたいで、結局卒業してから自然消滅的に別れることになったんだ」
「智くんに、そんな相手が・・・・。でも、昔のことだろ?」
「・・・・けど、嫌いで別れたわけじゃない」
「潤?」
「・・・・罰が、当たったのかな」
「え?」
「俺が・・・あんな事件に智を巻き込んじゃったから」
「それは、潤のせいじゃないだろ?自分を責めるなよ」
「・・・・でも、もしかしたら・・・・」
「もしかしたら?」
「俺のことなんて・・・・思い出さない方がいいのかもしれない」
「な・・・に言ってんだよ!?」

俺の言葉に、潤はでも微かに微笑んでいた。

「だって、智はもともとゲイだったわけじゃない。普通に女性が好きで、女性とつきあってきた。俺なんかと出会ってなければ、今頃は、普通に彼女がいて・・・結婚だってしてたかもしれない」
「潤!」
「子供だって・・・・いたかもしれない」
「それは!」
「俺は・・・・どんなに智のことが好きでも・・・・智の子供を産んであげることは、できない」
「・・・智くんは、そんなことお前に望んでなかっただろ?」
「でも・・・・普通に女性と恋愛して結婚した方が、智にとっては幸せなのかも―――だから、神様は智から俺の記憶を奪ったのかも・・・・」

ポロリと、潤の目から涙が零れ落ちた。

「潤・・・・」
「ごめん・・・翔くん。智には・・・俺と智が付き合ってたこと、絶対に言わないで。思い出せないなら・・・・きっと俺たちはそこまでだったってことだよ」
「そこまでって・・・・どこまでだよ」
「ふふ・・・・しょおくんまで、泣きそうな顔してるよ」

潤が俺の顔を見て笑う。
涙を流しながら・・・・。


やがて来たタクシーに、潤は1人で乗り込んでいった。
俺はそれを見送り、溜息をついた。
病院の方を振り返り、智くんの病室がある3階の部屋を見上げ、再び溜息をつく。

潤に、もっと言ってやりたいことはあった。
智くんに、真実を話してみろと。
智くんはゲイだからってその人間を軽蔑したり、気持ち悪がるような人じゃない。
潤と付き合っていたんだと言えば、もしかしたら思い出すかもしれない。
だけど、もし思い出さなかったら。
もし、その事実を信じようとしなかったら。
今よりも、潤を傷つけることになる・・・・・・。
今の潤は、事件と、智くんの記憶喪失という出来事にショックを受け過ぎている。
今はまだ、話すときじゃない・・・・。

俺は抜けるような青空を見上げ―――

3度目の溜息をついたのだった・・・・・。



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