「・・・智、出かけるの?」

潤の声に、玄関で靴を履いていた俺は振り向いた。

「ごめん、起こした?」
「ううん、もう学校行く時間だから」
「あ、そうか。俺、今日からアトリエに行くから」
「泊り?」
「うん。ごめん、寝てると思ったから後でメールしとこうと思ったんだけど―――」
「いいけど・・・・いつ頃、帰ってくるの?」
「それは、進み具合によるかなあ。今ちょっと描けそうな気がしてて・・・・それが終わったら、帰ってくるよ」

画家の仕事をしている俺は、3ヶ月後に迫った個展のために今とても忙しくなっていた。

潤と一緒にいたいのは山々だけど、そんなことも言っていられない。

この日、朝からちょっとインスピレーションが湧いて今創作中の絵が上手く描けそうな気がしていたんだ。

だから、潤がこの日いつもと様子が違うことに気付かなかったのかもしれない。
潤は朝が弱いから、だからちょっとぼんやりしているだけだと、思いこんでいたのかもしれない―――

「じゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃい。ちゃんとご飯食べてね」
「ん、わかってる」

創作中は、集中しすぎて食事も忘れることが多い俺を、いつも潤は心配してくれる。

だけど潤が傍にいるとどうしても集中しきれなくて、食事は近くのレストランでちゃんと食べるという約束で、アトリエにはなるべく来ないように言っていた。

玄関の扉を閉める瞬間。

何か言いたげに俺に手を振っていた潤の姿が、頭の片隅に焼き付いていた・・・・・







「―――お前は、何もんや」

店の奥の部屋の真ん中に座って目を閉じた潤くんに、錦戸が聞いた。

潤くんは目を閉じたまま、動かない。

「―――わかってるんやで。ずっと、潤くんの傍をうろちょろしとったやろ。じーっと後つけて、薄気味悪~い笑み浮かべてなぁ。・・・・年は、いくつや。見たとこ、30歳くらいやないか?・・・・死んだんは、10年前くらいか?あの大学の目の前の道路で・・・事故に会ったんやろ?車の事故や」

淡々と錦戸が話す中・・・

突然、潤くんの体がピクリと震えた。
微かだけど、表情も変わったようだった。

「ほら、あたりや。事故の原因は・・・あんたの飛び出しや。急に道路に飛び出したから、車がよけきれんかったんや。その飛び出しのわけは・・・・誰かを、追いかけとったんやな・・・・あんたにとって、とても大事な人物・・・・あんたの・・・恋人やないか・・・・?」

潤くんの体が、小刻みに震えだす。

俺たち3人は、部屋の片隅に固まりじっと固唾をのんで見守っていた。

「そうか・・・その恋人に、潤くんが似てるから・・・・だから、潤くんの周りをうろついてたんやな。けど潤くんは―――」

『―――やっと、見つけたんだ・・・・』

突然、潤くんが口を開いた。
でもそれは、潤くんの声じゃなかった。
低くかすれた、男の声・・・。

「見つけた?誰を?」
『彼を・・・・僕の愛した、彼をやっと・・・・』
「・・・・あんたの恋人か?」
『そうだ。ずっと、探してた・・・・』

瞼を開けた潤くんの瞳に、いつものような輝きはなかった。

暗く、深い悲しみの色を湛えたような、漆黒の瞳・・・・。

「・・・残念やけど、今あんたが入っているその人は、あんたの恋人ちゃうよ。松本潤くん言う、あの大学の学生や。あんたの恋人は、もうあそこにはおらんねん」

錦戸の言葉に、潤くんは乾いた笑い声をたてた。

『そんなこと、あるわけない。彼は、僕のことをずっと待っててくれたんだ。もう、絶対離れたりしない。僕は、彼を離したりはしない』
「それは無理やて。あんたはもう死んでるんや。あんたがここにずっと留まることはできん。彼だってもう―――」
『僕は、彼と一緒にいるんだ!』

突然、潤くんが目を見開きぎろりと錦戸を睨みつけた。

まさに鬼のような形相だった。

『彼は、僕のものだ!僕らはずっと一緒にいるって、そう約束したんだ!!』

立ち上がり、潤くんは錦戸を押し倒してその首に両手を掛けた。

「おい!」

真っ先に飛び出したのは翔さんだ。

「ぐ・・・・・っ」
「おい離せ!」
「潤ちゃんの体で、何してんだよ!」
「く・・・ッすげえ力だな」

3人がかりで潤くんの体を抑え、力づくで錦戸の上から退かす。

「潤!しっかりしろ!」

翔さんが潤くんの肩を掴み思い切り揺さぶると―――

潤くんがかっと目を見開き、次の瞬間突然体から力が抜けたように床にどさっと倒れたのだった・・・・・。





「潤ちゃんは、大丈夫なの?」

相葉さんの言葉に、錦戸は曖昧に頷いた。

「ただ、気を失ってるだけ・・・やと思うよ」

そう言って、錦戸はソファーに横たえられた潤くんを見つめた。

「思うって・・・いい加減だな。やっぱり病院に連れて行った方がいいんじゃないのか?」

翔さんが顔を顰め、錦戸をにらみつけた。

「いや、大丈夫やて。あれは、潤くんの中に入ってるやつが俺との交信をシャットアウトしたんや。だから、催眠状態に入っていた潤くんが倒れたんや」
「・・・・その、潤くんの中に入ってるやつをどうやって追いだすつもりだよ?相手は拒否してんじゃねえか」
「それは―――」

俺の言葉に、錦戸が答えようとした時―――


「―――潤!!」

突然部屋の入口から、大野さんが顔を出した。

汗をかき、息を切らせて・・・・

「智くん・・・遅かったね」
「ごめ・・・・急いだんだけど、電車で来ようと思ったら途中で信号の故障だとかで止まっちゃって・・・・」

そこまで言って、ようやくソファーに寝かされた潤くんに気付いた。

「潤!?」

すぐに潤くんに駆け寄る大野さん。
青白い顔で横たわる潤くんの傍に膝まづくと、キッと錦戸の方を振り返った。

「潤に、何した!?」
「へ・・・・俺?」

錦戸はきょとんとして自分を指差した。

「お前が、錦戸?潤に何した?なんで潤が―――」

大股に錦戸に近づいてくる大野さんに殺気を感じ、俺は慌てて2人の間に入った。

「大野さん、落ち着いて!説明するから!」

俺の言葉に大野さんはぴたりと足を止めたけれど、視線は相変わらず錦戸を射るように睨みつけていた。

「・・・ふーん、あんたが『智くん』やな。なんや、潤くんの大事な人やっちゅうから、もっと背の高~いしゅっとしたイケメンを想像してたのに、まるっきりイメージとちゃうなぁ」
「・・・・ニノ。こいつ、殴ってもいいか?」
「だから、落ち着いてくださいって・・・・」




「―――というわけで、今潤くんの中にはその男の浮遊霊がいるらしい」

今までの状況を説明すると、大野さんは心配そうにソファーで眠る潤くんを見つめた。

「それ、マジな話なの・・・・?一体いつから・・・・」
「俺が気付いたんは2週間くらい前からやけど。潤くんはなかなか信じてくれなくて・・・・3日くらい前かな、授業中に貧血起こしてな。医務室に付き添ったことがあったんや」
「何それ・・・俺、聞いてないよ」

俺は思わず低い声を出した。
潤くんのことは、俺だっていつも気にかけていたのに・・・・
錦戸が、俺を見て苦笑した。

「そんな、怖い顔せんといてよ。潤くんが言ったんや。ニノに言うと心配するから、言わないでって。けどそんときに、夜ちゃんと寝てるつもりなのに朝起きると体がだるくて疲れがとれないって聞いたんや。その言い方が・・・前にも経験したことがあるような口ぶりやったから、聞いてみたんや。前にも、霊に憑かれたことがあるやろって。それも、かなり近しい人間・・・親とか、兄弟やないかと思ったんや。それがビンゴだったわけや」
「どうして親とか兄弟だと?」

翔さんの言葉に、錦戸は肩をすくめた。

「潤くんの表情が、『怖い体験をした』というよりは、『悲しい経験をした』っていう感じに見えたからや。―――その時、初めて潤くんのお姉ちゃんの話を聞いたんや。そんで・・・ようやく、潤くんは俺の話を信じてくれて、なんとか霊を祓えないかっちゅう話になったんや」
「それで・・・祓えるのか?その男の霊とか言うやつ」

大野さんの言葉に、錦戸は曖昧に首を傾げた。

「祓える・・・とは思う。でも、簡単にはいかないかもしれん。さっきもそうやったけど・・・かなり潤くんに固執しているというか、潤くんのことを自分の恋人と思いこんどる」
「どうすれば、潤は別人だとわからせられる?」
「一番確実なのは、本当の恋人と会わせることやけど・・・その恋人の正体が分からんと」
「・・・・10年前の事故で死んだって言ってたよな?その10年前のあの大学の卒業アルバムかなんか見れば・・・」

翔さんの言葉に、錦戸は首を振った。

「いや、潤くんについてる霊は学生やなかったと思うよ。年的にも、たぶん30過ぎの男やと思うから、大学の職員かなんかや。で、もしそっちが分かったとしても相手が誰かなんてわからんやろ?当時のこと知ってるやつなんておるん?」

錦戸の言葉に、俺たちは言葉に詰まり、顔を見合わせた。

「それは・・・・もしかしたら、いるかもしれないじゃん。大学の前で交通事故に会ったなら新聞とか探せば載ってるかもしれないし・・・」
「相葉の言うとおりだよ。調べてみる価値はあるだろ?何もしないよりは―――」

「―――俺、わかるよ」

突然、声がした。

「潤!?気付いたのか!?」

いつの間にか、潤くんがソファーに起き上っていた。

大野さんが駆け寄ると、少し安心したような笑みを浮かべた。

「智・・・来てくれたんだね」
「ごめん・・・・俺、なんにも気付かなくて」
「来てくれただけで、嬉しいよ」

2人の間に甘い空気が漂い始めそうになり、俺は慌てて咳払いした。

「潤くん!それで、潤くんはわかるってどういうこと?」
「あー・・・俺、実は昨日、俺の中の男の霊と話したの」
「「「はあ!?」」」

しれっとそう言って、だるそうに首を傾げる潤くんを、俺たちは呆然と見つめたのだった・・・・・。




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