水浸しだった部屋は、今はきれいに清掃されすっかり元の状態に戻っていた。

潤はあのホテルの部屋の真ん中に立ち、ゆっくり中を見回した。

「―――何か思い出したか?」

俺の言葉に、潤は首を振った。

「・・・ごめん、翔くん。せっかく連れて来てもらったのに・・・」
「何言ってんだよ、俺に謝ることないって。・・・逆に、よかったかも」
「え・・・」
「だって、お前が記憶を失ったのはここで思い出したくない出来事があったからだろ?それなら・・・・思いださない方が、いいのかもしれないって思った」
「翔くん・・・」
「無理に思い出す必要、ない。今、ニノ達も必死で犯人を探してくれてる。大丈夫だよ」

潤が弱々しく微笑む。

今まで、自分のことだけでなく人のことも会えば瞬時に理解し、自分や人を取り巻く状況を把握することができた潤。

こんなことはきっと初めてで、不安な気持ちでいっぱいなはずだ。

だけど潤は、そんな弱音を俺の前で吐いてはくれない。

潤が本当に自分をさらけ出すのは、智くんの前だけだ・・・・・。

ちょっとだけ寂しい気持ちになってしまい、俺は慌てて首を振った。

―――こんなことで落ち込んでる場合じゃないんだ!



部屋の隅々まで調べてみたけれど、事件のあった日以上のことを発見することはできなかった。

潤もバスルームや洗面台、トイレの中にも入りずっと見ていたけれど、何も思い出せなかったようだった。


「―――だめか。しょうがない、今日は引き揚げよう」
「・・・・ごめん、翔くん」
「だから、あやまんなって。それより腹減ったんじゃないか?もう2時だ。このホテルの下に、レストランがあっただろう」

潤の肩を軽く叩き、ホテルの部屋を出る。


本当は、この部屋を調べてもなにも出ないことはもうわかっていた。

すでに警察でも、もちろん俺自身もこれでもかというほど調べた後だったからだ。

ただ、潤には常人にはない能力がある。

その力で、何かわかるかもしれないという可能性があると思ったのだけれど・・・・。

結局ただの徒労に終わり、俺と潤はホテルの下にある洋食レストランへと向かった。




「あ、ここだ―――おっと」

レストランに入ろうとしたところで、ちょうどレストランから出てきた3人組の男とぶつかりそうになった。

「すいません、失礼しました」
「いや、こちらこそ―――あれ?松本?」

3人組の中の1人、ちょうど潤と同じ年くらいに見える男が潤を見て目を丸くした。

「え?マジ?松本?」

もう1人の、やはり同じ年くらいの男も潤を見て驚いた顔をする。

潤はと言えば、ちょっと目を見開いたけれどさほど大きなリアクションもなく、相手が誰だかわかったようだった。

「あ・・・久しぶり」
「久しぶりじゃねえよ!なんだよ、お前、何してんの?相変わらずきれいな顔しちゃって!」

最初に声を掛けてきた、明るい色合いのダンガリーシャツにジーンズ、短めの黒髪で健康的に日焼けした肌と白い歯が爽やかな背の高い男が潤の肩をバンバンと叩いた。

「いたいって」
「覚えてるか?俺、吉田だよ!吉田!」
「覚えてるよ・・・・。声、でかい」
「なぁ俺は?俺は覚えてる?田中!」

もう1人の、ちょっと小太りで丸いメガネを掛け、チェックのシャツに擦り切れたジーパンをはいた全体的に温和な印象の男がニコニコと話しかけた。

「覚えてるよ、あきら君、久しぶり」
「うわぁ、感激だな!俺お前に名前呼ばれんの超好きだった!超優越感感じてさ!」
「・・・お前ら、3人仲良かったもんなぁ」

そう言って話に入ってきたのは、明らかに50歳は過ぎてるであろう男性で、ちょっとくたびれたスーツを着た真面目そうな感じの人だった。

「先生・・・・お久しぶりです」

潤の言葉に、『先生』と呼ばれた男性は嬉しそうに笑った。

「本当に、久しぶりだな。ここでお前に会えるとは思わなかったよ、松本」
「清水先生が、今年こっちの学校に転勤になったって田中に聞いてさ。先生と中学の時の話で盛り上がったって聞いて、同窓会やりてぇなって話になったんだよ」
「俺も、ちょうど今年からこっちに転勤になってさ、偶然先生と会ったの。そんですぐに吉田と連絡とって、中学の時の連中に連絡網回して―――けど、松本は2年の時転校しちゃったじゃん。お前の連絡先だけわかんなくってさ。あの時教えてもらった親戚の人だっていう人に電話しても知らねえっていうし」
「あと1日早く会ってりゃあなあ!昨日だったんだよ、同窓会!」
「そう・・・・なんだ・・・・。ごめん、俺忙しくて・・・・」

潤の言葉に、俺はふと潤の顔を見た。

どうやら知り合いらしい人たちとの会話に入ることができずちょっと離れて立っていたのだけれど―――

気付けば、潤は真っ青な顔をしていた。

「潤、大丈夫か?」

俺が潤の方に触れると、潤はホッとしたように俺を見た。

「あ・・・ごめん、この人、俺の上司で櫻井さん。翔くん、こっちは中学生の時の同級生で吉田と田中。それから、担任の先生だった清水先生」

潤に紹介された3人は慌てて俺に会釈をし、俺もちょっと頭を下げて営業用の笑顔を見せた。

「じゃあ、今仕事中?ごめんな。あ、これ、俺の連絡先。今度連絡くれよ」

そう言って吉田が潤に名刺を渡すと、田中もポケットから名刺を出して潤に渡した。




結局俺たちはレストランには入らず、そのホテルを後にしたのだった・・・・・。



「―――大丈夫か?潤。顔色が・・・・」

車の助手席に座った潤は目を閉じてシートにもたれていたけれど、その顔色はとても悪かった。

「だいじょぶ・・・ごめん、心配ばっかり・・・・」
「気にするな。・・・事務所に行こうか。相葉に、何か食べるもの作って持って来てもらえばいい」
「・・・・うん」

店で食べてもと思ったが、昨日の今野が来ないとも限らない。
今の潤に、余計な負担はかけたくなかった。

あの今野の言った言葉。
自分が、潤の初めての男だと・・・・。
その時の潤の様子を思い出してみれば、それが真実だと信じざるを得なかった。

ニノは、今野のことを調べてみると言っていた。
事件の犯人はあの男じゃないと潤は言っていたけれど、潤が昔世話になった人という人物に会っていたとしたら、あの男が全くの無関係とは限らないと思ったからだ。
どこかで犯人に繋がっている可能性があるんじゃないか。

しかし、今野を調べるということは潤の過去を調べるということ。
もちろん、事件が起きてから捜査は潤の過去に及ぶことはわかっていた。
だが今野との関係を調べるということは、潤の、もしかしたら人には触れられたくない過去にも触れなくてはいけないということだ。

もしかしたらそれは、潤だけじゃなく、智くんにとっても辛い事実を知ることになるかもしれない。


―――今頃、智くんは何をしているんだろう。


被害者の関係者ということで、今回は捜査から外されていると聞いたけれど・・・・。






「―――何であなたがいるんですか」

俺は、車の後部座席に当たり前のように座っている大野さんを睨みつけた。

「千葉に行くんだろう?俺も行く」
「大野、お前な・・・・」

助手席に乗っていた松岡さんも溜息をつく。
今回、俺は松岡さんとコンビを組んでいた。

「わかってるのか?お前は捜査から外されてるんだぞ?お前にはお前に任されている仕事があるだろう」
「わかってます。ですからそれもちゃんとやりますよ。署に戻ってから―――」
「・・・ったく。書類整理なんて、いつでも誰にでもできる仕事をやらせるなんて・・・・課長も甘いんだからな!」

そう、結局大野さんが課長にどうしても捜査に加わりたいと直談判し、根負けした課長が表向きはごくごく簡単な雑用を与え、空いた時間は別の捜査の手伝いをしろ・・・・という命令を下したのだった。

「・・・潤くんの様子はどうですか?」
「今朝、ちゃんと仕事に向かったよ。朝食も、少ないけどちゃんと食べてたし、少し顔色がよくないけど・・・・本人は、大丈夫だって言ってた」

大野さんが淡々と話す。
本当は、心配で仕方ないのだろう。
ずっと潤くんの傍についていてあげたいはずだ。

「・・・なら、大丈夫ですよ。翔さんが一緒なんだし」
「うん」
「・・・やっぱり、事件の日のことは思い出せないのか?」

松岡さんの言葉に、大野さんは頷いた。

「はい。本人も必死に思い出そうとしてるんですけど、まったく・・・・。本当に、その日1日のことが記憶から抜け落ちてしまってるみたいです」
「そうか・・・・。残念だが、そればっかりは仕方ないからな。無理をさせてもしょうがない。松本くんには、あまり焦らないように言っといてくれよ」
「はい、ありがとうございます」

松岡さんは、以前関わった事件で妹さんを殺されている。

その時に潤くんとも話し、なんとなくではあるけれど、潤くんの特殊な能力にも気付いているようだった。

「これから向かうのは、松本くんが半年間身を寄せていた養護施設だったな」
「はい。昨日、相葉くんの店で会った男もそこにいたということなので、とりあえずはそこに聞きこみに行ってみようかと。潤くんは、彼は犯人じゃないと言ってましたけど・・・・」
「まあ、他にこれといった手掛かりもないしな。―――松本くんの生い立ちなんかについては、もう調べてあるんだろう?」

俺はバックミラー越しにちらりと大野さんを見て、また前に視線を戻した。

「―――ええ。潤くんは千葉で生まれ、両親と3人家族でした。中学2年生の時に両親が事故で亡くなり、養護施設で半年過ごしたあとは横浜の親せきの家に引き取られ、高校卒業までそこで過ごしています。高校卒業後は大学には進まずにすぐに親せきの家を出て働きながら東京で1人暮らしをしています。最初は保険会社の事務員を半年ほど。そこを辞めてからはいろいろなアルバイトを転々としています。どれも長くて半年、短いところでは1週間でやめていて・・・・今の探偵事務所が一番長いですね」
「まあ、その辺の話は聞いてるよ。彼も苦労してるんだよな・・・・。で、その日に会うと言っていた『世話になった人』というのには、2人とも心当たりはないんだな?」
「僕は、全くないです。今の探偵事務所で働くまでは、本当にいろんなところを転々としていたみたいで、『世話になった』って言えるほど関わった人はいなかったんじゃないかって印象でしたね」
「なるほど・・・・。大野は?」
「僕も・・・わからないです。あまり、昔のことは話さないし・・・・」

大野さんは、ちょっと悔しそうに顔を顰めた。

昨日までに潤くんのことでわかったこと。

中学から高校卒業まで身を寄せていたという親戚の家。
潤くんはその親戚とはあまりうまくいっていなかったようだった。
その夫婦に子どもはなく、2人共働きでほとんど家にいなかったために3人の間にあまり会話はなく、潤くんは心を開くことはなかったと、その妻の方が言っていた。
悪さをして困らせるようなことはなかった代わりに、打ち解けて笑顔を見せることもなかったと。
いつも部屋で1人ゲームをしているか、本を読んでいるか。
潤くんのプライベートについても知っていることは何もないと。
どんな友達がいたかも、全く知らないということだった。

それを俺から聞いた大野さんは、無言で唇を噛んでいた。

両親を事故で亡くし養護施設で半年を過ごし、その後留守がちな親せき宅で5年間を過ごした潤くん。
潤くんにとって、その5年間はどんなものだったんだろう。
家に帰っても誰とも話すことなく部屋に閉じこもっていた彼にとって・・・・

『なんだか、薄気味悪くって』

そう親せきの女性は言った。

『いつも人を見透かすような目でわたしたちを見て―――わたしたちのことをぴたりと言い当てて・・・・普通じゃなかったわ。わたしたちは親せきと言ったって遠縁だし子どもがいないからってあんな子を押しつけられて・・・・本当に迷惑だったんです。高校を卒業して出て行ってくれた時には、本当にほっとしたんですよ』

胸が悪くなるような話に、俺は電話を切ってからもしばらくもやもやと気分が悪かった。



そんな話を聞いた後だからだろうか。

俺たちは、その後どこか暗い気持ちのまま、千葉の養護施設へと向かったのだった・・・・・。



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