その男が入ってきた瞬間、空気が変わった。
神々しいその姿に、息を呑む。
ミカエルやその取り巻きたちは即座に膝まづき、俺の後ろにいた翔くんもまた、驚きに目を見開き、無言で膝まづいた。
「え、何?翔くん?」
おろおろする俺と、きょとんと首を傾げる潤。
その時、翔くんが低く呟いたのが聞こえた。
「―――神だ・・・!」
―――え・・・・神って・・・・・あの神・・・・?
潤は、見たことが無いのだろう。
俺と同様、突然の異変に戸惑っていた。
そして、神―――白髪の穏やかな男の後ろにいた、落ち着いた感じの男の天使が、潤を見てにこりと笑った。
「潤・・・・大きくなったな」
その言葉に、潤が目を見開く。
「その声・・・・あの時の・・・・」
潤の言葉に、男は嬉しそうに微笑んだ。
「覚えていたか・・・・。お前には、父親として何もしてやれなかった。せめてお前の傷を癒せたらと思ったんだが・・・・こざかしいことをしてしまったと思っていたんだ」
「今さら・・・・あなたは、潤に何を・・・・」
翔くんが、ひざまづいたまま視線だけを父親に向けた。
「傷を・・・・・ここで負った傷を、治してくれたんだ。その時の声が、聞いたことないはずなのに、どうしてだか懐かしくて・・・・きっと、父さんだと思ってた」
「お前たちには、悪いことをしたと思っている。私の仕事は神に着くこと。それゆえお前たちの傍にいることがほとんどできなかった。特に潤が生まれてからは―――」
「それについては、わたしに責任がある」
神が、そのよく響く声で語り始めた。
「お前たちの父は、とても優秀な天使だ。その代わりができるものはこの天国にはいない。そのため私はお前たちの父親を頼りにしてしまった。―――潤が生まれたころ、ちょうど私の一族はちょっとした争いごとをきっかけに大きな抗争を引き起こす寸前となっていた。その争いをおさめようと、私は様々な方面に働きかけた。そして私とともに先頭に立って動いてくれていたのが、お前たちの父親だ。そのため、お前たちの母親が失踪したことに気付いたのも母親が追放された後だった」
「わたしはなんとかして妻を探そうと思ったが、神の傍を離れることができず、結局はときどき使いの者が持ってくる情報を聞くことしかできなかった。翔・・・・お前の活躍も、潤を育てる苦労も聞いていたが、私には何もできなかった。本当にすまなかった」
翔くんに向かって、父親は深々と頭を下げた。
翔くんは、父親からふいと目をそらした。
「今さら謝られたって・・・・。潤を育てるのを苦労と思ったことなんかない。あんたなんかいなくても・・・・俺たちは不自由なんかしていなかったよ」
翔くんの言葉に、父親は優しい笑みを浮かべた。
「そうだな。本当に・・・・お前は、わたしの自慢の息子だよ。そして潤、お前も・・・・」
その言葉に、潤はびくりと体を震わせ、首を横に振った。
「俺は・・・・俺は、なんの能力もない、できそこないだよ。だから、母さんもいなくなったんだ。俺のせいで・・・・」
「潤、それは違う」
そう言ったのは、神だった。
「お前は、できそこないなどではない。お前には、他の誰も持っていない能力が備わっているのだ」
その神の言葉に、そこにいた天使たちがみなざわめき、戸惑いの表情で神を見つめた。
「俺は・・・・水晶の涙を流すことしか・・・・」
そして一番戸惑っているのは潤だった。
「神よ、その潤というものには天使の能力が1つも備わっておりません。一体、なんのことを―――」
「ミカエルよ、お前までもが気付いていなかったとはな・・・・・。天使の能力は、確かに4つとされている。だが・・・・あまりに稀少で長い間その能力を持つものが現れていないため、誰もが忘れている能力があるのだ」
「誰もが・・・・・・?いや、しかしそんな・・・・・・まさか・・・・・」
ミカエルの顔色が変わる。
「潤、お前の能力は・・・・・愛だ」
潤が、目を見開き、ぽかんと口を開ける。
「え・・・・愛・・・・・?」
「そうだ。お前の力は、愛を生み出す力。あらゆるものに愛を与え、そしてあらゆるものから愛を引きだし、己のものにすることができる能力・・・・。選ばれたものにのみ、与えられるとされる能力だ」
「愛を・・・・生み出す・・・・?己のものにするって・・・・・どういうこと・・・・・?」
潤の声が震え、表情がこわばる。
「愛のないものに愛を与えることができる。そして、自分の思いのままに愛を手に入れることができる」
「それは・・・・・もしその人が俺のことを好きじゃなくても・・・・・好きにさせることができるって、こと・・・・?」
「簡単に言えば、そういうことだ」
「でも・・・・でも・・・・そんなの・・・・そんな愛って・・・・」
きゅっと唇を結ぶ潤。
「そうだな。それを本当の愛と言えるかどうかは、わたしにもわからん。だが、ここ天国でも我々神のいる世界でも、もちろん人間界でも常にどこかで争いが起きている。そんな中で愛を生み出す能力があれば、それは間違いなく世のためとなるだろう。もちろん、それを私利私欲のために使うなどということがあってはならんけれど・・・・ただ、それも力を持つもの―――潤、お前次第ということになる」
「俺、次第・・・・・?」
「力を使うか使わないかはお前の判断によるということだ。天使の能力は、子どもの頃にはその能力を誤った方法で使ってしまう者も多いが、お前は今までその力を使ったことはないだろう?たとえ無意識にでも使っていたなら、お前の母がお前を置いて去ることはなかっただろうし、皆に後ろ指さされるようなこともなかっただろう」
「―――確かに、そうだな・・・・・」
翔くんが、ぼそりと呟いた。
「潤は、その力を持っていながら今まで使ったことが無いのだ。だから、その能力に気付く者もいなかった。ミカエルでさえ、気付かなかったのだ・・・」
神の視線に、ミカエルがびくりと肩を震わせた。
「し、しかし・・・・この私が潤に惹かれたのは、その力のせいでは―――」
「それはないだろう。たとえ無意識だったとしても、潤がそのものに愛されたいと願っていなければその力が発揮されることはない。潤が、お前の愛を欲していたとは思えない」
呆れたような神の言葉に、ミカエルは悔しそうに唇を噛んだ。
「しかし、どうして神は潤の能力に気付いたのですか?本人でさえ、気付いていなかったのに」
翔くんの言葉に、神は潤を見て口を開いた。
「・・・・水晶の涙だ」
「水晶・・・・」
潤も不思議そうに神を見た。
「どうして涙が水晶になったのか・・・・。あれは、お前の発揮されない愛の力が結晶化したものだ。お前の中に溢れている愛の力が結晶化され、それが涙という形で体の外に排出されたのだ」
「あの涙が・・・・。じゃあ、単なる水晶の涙じゃなかったんですね。あれも、れっきとした能力だったんだ」
翔くんは、嬉しそうだった。
できそこないと言われ続けた潤を、ずっとその傍で見ていたのだ。
一緒に悔しい思いもしてきただろう。
その翔くんにとってはこの事実は嬉しいことだったのだろう。
だけど潤は、笑っていなかった。
不安そうに、神を見つめている。
そして、その手は俺の服の裾を握りしめていた。
俺はそんな潤の手を掴み、ぎゅっと握りしめた。
潤が俺の方を見て、泣きそうな顔をする・・・・。
「さて・・・・ミカエルよ。おまえは、その力を私利私欲のために使い、そして2人の天使をいたずらに引き離し、傷つけた。しかもそのために人間をも巻き込んだ。その罪は軽くはないぞ」
神の言葉に、ミカエルの顔色がさっと青くなった。
「―――!しかし、その2人は兄弟であるにも拘らず―――!」
「その通り。だがそれも、事情を考えればいたしかたない部分もあっただろう。しかも2人ともまだ若いのだ。そこはお前がしっかりと誘導して軌道修正してやるべきだったんじゃないのか?」
「・・・・・それは・・・・!その通りですが・・・・」
「お前は、最初から潤に心惹かれていたのであろう。そのために判断能力が鈍っていたのだ。天使の長として、それでは他の天使たちにしめしがつかない。このことは、やがて皆の知るところとなるであろう。そこで―――お前には罰を与える」
「罰・・・・とは・・・・」
「もう一度、天使の子として生まれ変わるのだ」
「生まれ変わる・・・・・ですと・・・・?」
「そうだ。今までのことを全て忘れ―――赤ん坊からやり直すのだ」
「そんな・・・・神、それは―――!」
ミカエルがその場に立ち上がった時。
神が、片手をさっと上げた。
その瞬間、ミカエルの体は光に包まれた。
その場にいた誰もが息をのみ、ミカエルの取り巻きたちもまた立ち上がり、目の前の光景を凝視していた。
光に包まれたミカエルの姿は見る見るうちに小さくなり、やがてそれは野球ボールほどの大きさの光になった。
そして神がその手を振ると、光はあっという間に小屋の外へと飛び出していったのだった・・・・・。
「・・・・神様、あの・・・・ミカエルさまは本当に・・・・・?」
潤が心配そうに神を見た。
神はふと優しい笑みを浮かべると、潤の頭を撫でた。
「心配するな。あの者の心がちゃんと浄化され、また元の思慮深い天使に戻れば、記憶も戻るであろう。それまでは、一から修業のやり直しだ。いい薬であろう」
そう言って神は、ふははと軽やかな笑い声を上げたのだった・・・・。
「天使の一生は長い。このくらいの回り道は、どうということはない。―――さあ、そして次は・・・・・」
神が、くるりと向きを変え小屋の入口の方を向いた。
すると、入口の扉が音も立てずに大きく開いたのだ。
そこに立っていたのは―――
「・・・・・母さん・・・・・?」
潤が目を見開く。
そこに立っていたのは、薄汚れ、ところどころ破れた衣装を身にまとった、髪の長い女性の天使だった。
その長い髪は乱れ、顔色も悪かったが、おそらくはとても美しい女性だったのだろうと思わせ、その面影は潤にとてもよく似ていた・・・・。
「あ・・・・神よ、私は・・・・・」
潤の母親は、真っ青な顔で目を見開き、神を見つめていた。
「お前も、いろいろ苦労は多かっただろう。お前の夫が不在がちだったのは私の責任でもあり、その点は同情に値する。だがしかし、自分が産んだ子を見捨てるなど、たとえどんな事情があったとしても許されないことだ」
「それは・・・・!あのときは、他に何も考えが・・・・」
「つらかったお前の心情は理解しよう。しかし―――翔と潤の気持ちを考えれば、やはりそのまま許すというわけにはいかない。お前も・・・・生まれる前から、やり直すがいい」
神は再び手を振り、潤の母親の体は光に包まれあっという間に小さな光の塊になった。
「母さん・・・・!」
潤が、光に向かって手を伸ばす。
『潤・・・・・・翔・・・・・ごめんなさい・・・・』
その光が神の手によって空の彼方へ消える瞬間―――
母親の声が、風に乗って聞こえた気がした・・・・・。
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