1週間の始まりです。

月曜日…チーン

 

前回、愛犬との出会いを書かせてもらいました。

 

主は愛犬のお洋服を安く作る為(笑)、人生初ミシンを買いました。

それまで、犬達関連の物は全て手縫いで時間をかけて…

 

それがすぐにおわります。感動していますw

 

 

 

さてさて。適応障害は発症し、休職中の時に起きていた会社の事です。

復帰直前に数人の方と飲みに行って教えてもらいました。

(先に言いますと、この会社を既に退職しています)

 

まずは私が休職した一番の理由であった先輩。

本部からも呼び出しをされて、面談の嵐だったようです。

会社側は私が精神病むような人間に見えなかったみたいで

(毎日ニコニコ仕事していたからかな?笑い泣き

まぁこれは予想していましたが、精神的なストレスで休職や退職にした後輩が私で2人目。

※この先輩は私の2年先輩で後輩が全部で5人。

 

 

最初の子は私が気に掛けていた後輩だったんですが、この子にも色々やってたみたいで

突然目が見えなくなったという理由で退職。

後々別の後輩から先輩からのいじめが原因のストレスで視力障害を発症し、退職に追い込まれていました。

(この後輩も退職後、療養を経て視力が回復し違う職種で働いているらしいですニコニコ

この後輩の件は本人は会社で話していなかったのもあって会社では処分はなし。

私の異変をいち早く気づいた後輩(病気についての記事に登場)が私が休職後に施設長に話したみたいです。

 

 

私の一件はこれから半年後。

短期間で2人、精神的なものによる休職で本部は重く受け止めたのか先輩へ複数回面談。

 

先輩は否定したらしいですが、視力障害で退職した後輩の事や

施設長が私と話した際に私が先輩の名前を出すだけで異常に怯えて会社に入られない状態になっていたのを見ていたのもあったので、面談の中でそれを話し、最終的に自分がやっていた事を認めたみたいです。

 

 

 

 

 

それを見て、会社での対応は。

1,主をパート職員であるが、今までいた職場に復帰させる事。

2,先輩は本部の施設(上層部の目が光る)へ異動。

3,先輩が施設に遊びに来る時は必ず連絡をする。

4,施設建物内の喫煙全面禁止

 

 

 

 

パート職員での復帰は、私の適応障害が職場復帰できるギリギリの状態と考慮し(実際はもう少し良い状態でしたが)時間調整が効く立場にしたみたいです。

 

 

そして先輩の異動。

あと1年したら良い評価の職員として本部に異動の予定だったみたいですが

私の件もあり、上層部の監視が出来るという名での異動になりました。

噂によると最近元いた職場に異動願いを出したみたいですが、速攻却下されたようです笑い泣き

 

 

 

喫煙は今回の一件でタバコを吸う為に仕事を押し付けていた、しかも後輩を巻き込んでそれをやったりしていたので、それを防ぐのに建物内では禁止。吸いたきゃ外行けになりましたw

 

最後。施設に来る時は必ず連絡する。

これは施設が私への一番の配慮でした。

名前だけで怯えていた姿を見ていたので、姿を見たら病気が悪化するのではないか。

と危惧して先輩には必ず連絡して、私がいない時に遊びに来るように。と伝えていたらしいです。

 

 

 

 

 

 

が!!!

 

 

 

 

復帰2日目に見事にこれを破ってくれて、私と鉢合わせ。

私→パニック状態になり発狂。施設長の元に避難させられる(完全隔離できる部屋が施設長の側にあったので)

その場の職員→私の避難。私のパニック状態見て不穏になる利用者の対応。

主任、施設長→先輩に説教(連絡しないで来た事をかなり絞られていたらしい)

 

 

復帰2日目で修羅場笑い泣き

 

 

 

 

 

 

 

その後も先輩連絡無しで凸→私パニックをかなり繰り返し

適応障害も良くなったり悪くなったりを繰り返して非常に疲れてしまい

復帰後5ヵ月で職場を退職し、実家から通える職場に転職となりました。

 

先輩が異動却下されたのもこの行動が影響している気がする…

 

 

 

 

 

会社を退職した私。

その後2回転職し、現在は会社の人に恵まれてお仕事が出来ています。

精神的にも非常に安定していて、適応障害で出ていた症状はほとんど出ていません。

 

ですが、あの時最大限の配慮をしてくれた施設には感謝をしております。

同時に先輩は私の反面教師となり、後輩育成の際にこの時の経験が大いに発揮しておりますニコニコ

その時の事を思い出してもパニックになりませんが、先輩が乗っていた車を町で見ると今でも胸がざわざわします。

 

 

また、耳の病気の影響で元々子供の泣き声や叫び声、甲高い声が苦手だったのが適応障害後から悪化してしまい、聴覚過敏みたいになってます。

 

これは精神科に通っていた頃に相談しましたが、特に改善されなかったので現在は子供が多い場所を避け、行かないと行けばいけない場面ではイヤホンをして対応しています。

(子供は元気が一番。元気で過ごすのが仕事なのでニコニコ

 

発症から丁度5年。

つい先日、私を一番最初に助けてくれた親友が元気な女の子を出産しました。

 

親友にあの時は本当にありがとうと言うと、私の方こそ辛い時いっぱい助けてくれてありがとう

って言われました。

辛い時はお互い様。

 

 

 

 

私はまだまだ結婚の予定が無いので笑い泣き

これからも親友を支えつつ愛犬と平和な日々を送っていきますラブ

 

 

適応障害となり、会社を2ヵ月休職。

実家で療養するようになり、有給が無くなるからと4月から復帰しなければならない状態でした。

 

適応障害は職場恐怖症と呼ぶ人もおり、私も会社に行くのが怖かったです。

 

※先輩の事は後日書きますが、私が復帰した時は別の場所に異動になってました。

 

 

 

 

ある日。家族で野球観戦に行った帰り。

父から近所のペットショップに白い柴犬がいると話されました。

 

え、柴犬に白っているの??

 

白い柴犬の想像が全くつかない時にその子に会いに行きたいって話し、ペットショップに行くことに。

そこには大きめのゲージに入った生後6ヶ月の白い柴犬の男の子がいました。

 

 

 

 

見た瞬間、あまりの可愛さに心を奪われました。

人生初の生き物に対しての一目惚れです笑い泣きww

 

 

 

 

そこからは両親に猛アタック。

どうしてもその子を迎えたい!この子を家族にしたいと。

 

 

動物は買わないと決めていた両親だったのですが

父はある可能性に賭けました。

 

犬を飼う事でアニマルセラピーに繋がるのではないか。

 

 

この父の決断で白柴犬は我が家に迎え入れられることに。

 

 

翌日お迎えにし、その日から私は犬とずっと関わっていきました。

朝夜の散歩、ご飯やトイレ、おもちゃで遊んだり。

色々な事をして復帰までの10日を過ごしていました。

 

 

そして仕事復帰の日、玄関に行って外に出て憂鬱な気分で車に向かおうとすると

窓から犬の声が聞こえました。

出窓に犬が笑顔でこっちを見てて

 

 

 

 

 

 

いってらっしゃい!

 

 

 

 

 

 

 

 

って声が聞こえました。

 

 

 

 

いってきます!

 

 

 

犬のお見送りに手を振り、私は会社に向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみにその白柴君は

 

ゆき丸

 

と名付けられました。

 

ハイジに出てくる白ヤギのゆきちゃんみたいに

ゆきちゃん!

って呼びたいのと大好きな祖父母が生前飼っていた犬から丸をもらいました。

 

 

 

この子が家に来てから会社で辛い時があってもゆき丸がいるから!

と会社で働くことが出来ました。

 

 

 

 

 

その1年後に生後7ヶ月のヨークシャーテリアとMダックスのミックス犬の男の子、あずき君を我が家にを迎え入れ

今は二匹の可愛い愛犬と平和に暮らしています。

左があずき。右がゆき丸。

広大な菜の花畑の前での一枚。

 

 

親友のかかりつけ医の元を訪れた私。

そこで私の病気がわかります。

 

 

私の診察は一対一の対話から始まりました。

何があったのか、全部時間が掛かっても良いから話してと言われ、

 

会社の事

先輩の事

 

先生に全てを話しました。

 

話しているうちに涙が流れ、ボロボロ泣きながら話しました。

 

多分1時間、全部を話した私に先生は。

 

 

 

よく頑張ったね。

 

 

 

その一言がとても嬉しかったのを覚えています。

 

診断結果。

適応障害による抑うつ状態。

会社から完全に離れる為に休職1ヵ月。

 

 

病名を言われた瞬間、心が軽くなる感覚がありました。

あ、私やっぱ精神疾患なんだって。

 

 

 

 

その足でまず会社に休職する旨を伝えようと会社に行ったのですが

半径500mで過呼吸一歩手前。

会社を目の前にして動けなくなる。

なんとか友人に付き添われて施設長の元に行き、診断書を提出。

 

施設長にも事情を説明すると、事情を把握していなかった事。

そして先輩に関しては任せてゆっくり休みなさいと。

 

会社からの連絡は全て施設長からという事にし、私は親に会社を長期療養で休むから明日帰る。事情はまだ聞かないでと伝えました。

 

 

 

そのままアパートに戻り、衣類の3/2をカバンに詰め込んで友人宅へ。

 

友人から事情を事前に聞いていたお母様が待っていてくれて、お外にいるわんちゃんと触れ合ったり、夜遅くまでずっとおしゃべりして過ごしそのまま友達宅にお泊りとなりました。

 

 

翌日。

体調が少し良くなった私は実家へ長期帰省。

 

 

母親にだけ事情を説明し、実家で療養する事に。

 

当時の私は母の側か祖父母の仏壇から離れられず、ずっとリビング(仏壇はリビングにある)で過ごしていました。

休職は結果的に2ヵ月になり、3月の上旬には会社にさえ近づかなければ体調が良かったので外出もできるように。

 

 

 

適応障害になって1カ月半後。

私は運命的な出会いを果たし、職場復帰を果たすことになります。

 

 

 

病気については一旦終わり。

次は運命的な出会いについて(*´罒`*)

前回、夜勤明けでアパートにいた私。

4時間何もせず空を眺めていた私の家に尋ねた親友。

 

迎えに来たよ!!

 

 

 

 

はい。その夜、仕事を終えた親友がわざわざ車を飛ばして家に来訪したのです。

グループLINEにいる男友達も連れてドアを開けると家に入り

 

 

何泊か泊まる用意して!

 

 

って言い、私の冷蔵庫の中身を冷凍庫に入れていく。

私はわけもわからぬまま宿泊用ボストンバックに適当に服を入れると親友は部屋の電気を消し、ガスを止めて水抜きし(北国在住なので水道管凍結防止)

男友達に荷物を持たせ、有無を言わさず私をアパートから連れ出した。

 

私は何かに抱き着かないと落ち着かない状態だったので、適当なぬいぐるみをもって友達の車の後部座席に乗ってぬいぐるみを抱えていました。

 

友達はそのまま帰宅せず、ドライブ!と言ってアパートから1時間半はかかる別の友人の元に行くと閉店まで2時間を切ったショッピングモールであそぼ!!となり、ゲームセンターで遊びつくしました。

 

 

この親友、冬は長距離運転するのは怖いえーんっていつも言う女の子。

そんな子が車かっ飛ばしてきたことにびっくりしました。

 

 

ショッピングモールで友人と別れると親友と私は親友宅に行き

 

まずは明日の朝一で私の病院に電話📞かけるから、病院に行こう。

多分うつになってるよ。

 

やっぱりかぁ…って思いました。

 

実はこの親友、私が病気になる3年前にうつ病と診断されて職場復帰するのに少し時間が掛かった経験がある。

私が住んでいた町に引っ越してきたのもあり、彼女の状態を心配して週6で彼女のアパートに行っていました。

その時の彼女の症状と似ている部分があったので、予測はしていました。

 

とりあえず私は明日電話📞と約束し、その夜は眠りにつくことにしましたが

今まで経験した事無い眠りの浅さ。寝ても30分で目が覚める。

それを繰り返しながら朝を迎えました。

 

 

翌日。

朝一で友人のかかりつけに電話をし、事情を説明。

カッターの刃の側面を手首に当てたら落ち着いたと話すと、明日の朝一に緊急で入れるので来てくださいと。

了承して電話を切ると私を心配した別の友人2人が親友宅に来てくれました。

 

友人が来ても私は布団に転がりながら持参したスケッチブックにイラストを描き描きしたり、眠くなったら寝たりして過ごしていました←笑い泣き

 

その日、私がお鍋が食べたいと言ってみんなで囲んだお鍋、ものすごく美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

翌日。

親友は仕事の為、別の友達付き添いで病院へ行くことに。

そこで私はこの病気の存在を知る事になりました。

 

 

 

 

 

前記事でイベント担当に先輩と組まされた私。

自分の中で何かが崩れた感覚でした。

 

その日の夜勤をこなし、職員室でご飯を食べてボーっとして、呼ばれたら行って、ボーっとして。そんな夜勤でした。

 

 

突然の変化は午前4時。

いきなり漠然とした強すぎる恐怖感に襲われました。

 

怖い。怖い…!怖い!!!

 

何が怖いのかわかりません。

ただひたすら怖かったことしか覚えていません。

 

職員室の中を動き回っても

壁に頭を1回打ち付けても

体中擦ってそのうち搔きむしっても

 

怖い。に支配されていました。

 

しかし今は夜勤中。

あと1時間もしたら利用者が起きてくる。

どうにか落ち着かせなければ。

 

そんな私の目に入ったのは、カッターでした。

目に入ったそれを私は掴み、刃を出すと刃の側面を手首に当てました。

手首に当たる刃物の冷たさが私を冷静にしてくれました。

 

その後はカッターをポケットに入れ、怖いと感じたら手首に刃の側面を当てる。

それを繰り返して夜勤を乗り切りました。

 

夜勤を終えた私。当時は会社近くで一人暮らしをしていました。

私は親ではなく、友人のグループLINEにこう書きました。

 

怖い。会社が怖い。

助けて。

 

それだけ書いて私は携帯を手放し、ベッドの上であおむけで窓の外を眺め始めました。

 

 

 

そこから約6時間。

2時間ほど眠ってた時間もありましたが4時間は窓の外を眺めていた時。

 

 

 

 

家のインターホンが鳴り響きました。

起きる気力も無い私が応答せずにいるとドアの外から声がしました。

 

 

 

 

 

迎えに来たよ!!

 

 

それはグループLINEにいる親友の声でした。