一番最初のブログで適応障害の寛解と話しているのですが
私は24の時に適応障害の診断をもらいました。
もうここ2年、適応障害から来る症状が落ち着いているので完治と言ってもいいんですが
担当医の最後の診察の時に
私は治ったと思ったらものすごく無理するから自分の中では寛解って思っていてね。
なんでこんなにキツイんだろって思ったら、自分の中の病気が身体に黄色信号を出しているはずだから。
と言われていますので、私の中では寛解にしています。
発症した時の事を話します。
当時の主、24歳です。(最初のブログに25って書いたけど24でした)
介護士として重度心身障害者が入所する施設で働いていました。
ここで働く3年先輩に仕事や見守りを押し付けられることが多かったです。
当時の私はその前の会社が超ブラック施設にいた事もあり、こういう先輩は当たり前なんだと思い込んでました。
ただ行動障害や他害行為がある利用者20人を私1人に任せて、煙草吸ってサボる先輩でした🤣(どこにでもこんな人いるんだなって印象です)
ちなみにこの間、怪我が起きたりすると私がちゃんと見れていなかったからと報告書を出してました。
日常の仕事が全部私含めた後輩に押し付け、自分は人事評価に大きく関わる仕事のみをする。
ここまでクソ先輩のテンプレっているのか?って人でした笑
それを2年耐えていたある日。
私は顔を出す事に異常な程恐怖を感じました。
常にマスクをしないと身体が震え、狭い所に逃げ込む事が増えていまして
自分ではなんでだろ?って感じていました
その様子に気づいてくれたのが、私がよく相談に乗っていた後輩ちゃんでした。
主さん、顔色ひどすぎます…。
その時の私、顔面蒼白だったみたいです
後輩ちゃんに引っ張られて当時の現場主任に今までの先輩の事を話しました。
私、今後も先輩とイベント担当になったら…本当に病むかもしれません。
最後にそれを伝えて、主任はわかりました。辛かったねって話してくれたのでその時は安心しました。
1週間後の夜勤の日。
月に一回開催する利用者のお楽しみ会の担当職員に
私と先輩の名前があったのを見た時
全てが崩れた音がしました。