こんにちは〜。
毎日ほんとに暑いですね。
お元気ですか?
このポスターから仙台が、どんなに結弦さんを誇りにしているか。
溢れんばかりに伝わってくるね。
そして、仙台こそ行きませんでしたが、
7月8日〜9日に、
宮城県を訪れてきました。
宮城県、南三陸町です。
なかなか訪れる機会の少ない場所だと思うので、
見て聞いて来たことをこちらを読んで下さる方に伝えようと思い、書くことにしました。
宮城県本吉郡南三陸町は、
津波の被害が最も甚大だった場所の一つで、
私の入れてもらっている富山の某グループでは、
3.11以来ずっと南三陸町と仙台近郊の仮設住宅の二ヶ所とご縁を繋いできました。
今もかかさない仙台近郊への毎月の少人数での活動と、南三陸町への年2回の訪問。
なかなか思うように、参加できないけど、
今回、一年ぶりにご縁があって、
南三陸町を訪れることができました。
震災以来6年が経ち、
訪問の形も変わってきました。
最初の三年くらいは、いわゆる作業ボランティアが中心だったけど、
最近はまだ残る仮設住宅でのお楽しみ会などの交流会をしています。
南三陸町では、
昨年からそれまでの仮設住宅から
新しくできた復興住宅での活動になりました。
南三陸町は、
いまも訪れるたびに、
町中に赤茶の盛り土が広がっていて、
そこに賑やかな町があったことなど、
まだ、想像も難しいくらいです。
あの防災庁舎の回りも、何台もショベルカーなどがいて、
一年前と何ら変わりがないように、見えました。
ただ、変わっていた所も。
これは昨年の写真です。
こちらが今年の、
赤く階段は白く再塗装されていました。
向こう20年は残されることになっているということで保存の為、修繕されたとのことです。
是非は訪問者である私には言えませんが、
元気になっていく証の色のように思えました。
南三陸の復興住宅は、
高台にあります。
仮設を出られた方が入居される新しい復興住宅。
こちらも、一年前は、
本当に何もないさみしいところにポツンとあり、年配の方がほとんどでしたが、
近くに新しい家がたくさん出来て、
若い家族もいらっしゃるのが、わかりました。
あと、2年前まではコンビニとお土産商店街だけしかない町だったのに、
今回、便利そうなドラッグストアなどを併設したスーパーができていました。
今回の訪問は、
リーダーのAさん。震災以来100回近く訪問している、道にも超詳しい頼もしい方です!
富山の美味しいものを楽しんで貰おうと、炊事部隊に、女性20歳代から70代までの10名。
お楽しみ会のアトラクションとして、
ご夫婦バンドとそのお子さん中学生、小学生。
アトラクションとして、毎回金沢から参加のマジシャン ルパンさん。ほんとうにルパンみたいなの!
後は今回、七回忌にあたる年なので、
追悼法要をしたいと、大学生から30代の青年僧侶有志を募りました。
20名で車3台に分かれて朝5時に出発。
一路南三陸へ。
一時過ぎに着くと、すぐ準備して、
2時には
南三陸の方、富山からの方もみんなで
震災で亡くなられた方を思いながら、
追悼法要を。
宗派や宗教は違っても、なかなかご法事もままならない方が多いので、ぜひお勤めして下さいと、言っていただき、
みんなで手を合わせさせていただきました。
その後は、
富山名物の冷たいうどんや鱒寿司、有志からのたくさんのお菓子、
ビールも冷やして、歌やマジックの楽しい時間を。
人の流れが早い、仮設住宅や復興住宅では
一年ぶりで、懐かしいお顔も見られたり、
新しく引っ越して来られた方、
越して行かれた方も。
思い出話や、最近の暮らしのお話、
震災以来の様々な思い。
普段の生活のお話など、
お父さん達は若い頃の武勇伝とか笑。
話が弾んで。
お別れの時は、
いつもの言葉。
「また来てねー。待ってるねー。」
「また来るねー。元気でね。」で、
握手とハイタッチ。
いつも思うんだけど、
本当に逆に元気をもらいます。
来て下さる方、全員が被災され、被災地で暮らす方。
訪問者には計り知れないものを今も抱えていらっしゃるでしょう。
ニコニコ笑ってみんなで、お話する。
本当にただそれだけの活動だけど、
また、お顔が見たいな、元気かな?
その気持ちで、足がむきます。
交流会の日は、南三陸の高台にある、
民宿に泊まりました。
流されて、高台に移転した民宿。
とっても眺めがよく、
この日は、海が穏やかで本当に綺麗に見えました。
夕食には、南三陸の美味しいものが、
たくさん!
名物のホヤ…はやっぱり私、ちょっと苦手だけど笑。
いろんな年代の参加のみんなで、お話して、
修学旅行のような夜も楽しみです。
みんな優しくて、
私の結弦さん愛のお話にも、「素敵だもんねー。」と、耳を傾けてくれました。
一夜明けて、
被災地と宮城の名所を見て帰ります。
海の名勝も数多く、美しい宮城県、
津波を増大する理由の一つになった、
リアス式海岸は、穏やかな海では本当に美しく、なんとも言えない気持ちになります。
名勝巡りをしながら、
今回楽しみにしていたのが、
新しくなった、
「南三陸さんさん商店街」
今までは、空き地にプレハブのような商店街でした。
昨年の写真↓
防災庁舎の見える盛り土の中に突然オシャレな商店街があります。
南三陸、宮城県にあるお土産物はなんでもあります♡
飲食店も充実して、
美味しいものが本当にたくさん!
南三陸のワカメとか、海苔、タコとか。
気仙沼のフカヒレとか、海鮮とか。
仙台のあの仙台麩とか。
宮城県は本当に美味しいです♡
買い物は楽しい支援。
みんなでたくさん買い物しました。
ずんだ餅は、冷凍なので、帰りのサービスエリアで買いました。
最後に訪れたのが、
毎回訪れる
宮城県石巻市大川小学校です。
最も悲しい場所の一つ。
今も時が止まっているかのような静かな場所です。
今回、大川小で、お子さんを亡くされた
二人のお父さんからお話を聞いてきました。
あの日から6年以上の今も、
時間が許す時は、大川小に来て。
全国から訪れる人に
あの日、何があったのかを
お話し続けていらっしゃいます。
詳しくはこちら
「あの日何があったのか。一人でも多くの方に知ってもらい、
悲劇を繰り返さないことが、
僕等の子供の命を未來に繋ぐことだと思っています。」
使いこまれた、たくさんの写真を見せて下さいながら、お話して下さいました。
「いろんな意味で、震災が風化しているのを肌で感じています。
ただ、何年目だから何年経ったから、一区切りなどは、僕等にはなくて、
3.11の前と、後。その区切りだけなんです。」
私とたぶん同じ年の頃のお父さんでした。
大川小を出ると、もう夕方でした。
車で一路帰ります。
少し車に酔ったりしていたので、
揺れの強い、ハイエースではなく、
若者部隊のエスティマに乗せてもらました。
20代のみんなと一緒の長い道中。
結弦さんと同じ歳の男の子には
「大丈夫ですか?」
と軽くいたわられ笑。
20代の女子からは、
「アタシ、フィギュアスケートが好きで、たまに見に行くのよ♡」
「えー、そんな人、私人生で初めて会いました笑。」
とまるで希少種扱い笑。
途中仙台の市街地が車窓に広がると、
結弦さんの街だなぁと思いを馳せて。
仙台近郊の活動には
日にちが合わずなかなか参加できなくて。
「よし、次は仙台行くー。そして、帰りは延泊して、いろんなとこ♡行きたい♡」
と決意笑。
着いたらもう少しで日付が変わる時間でした。
今回、福岡の災害と時期が重なりました。
けれど、こんな私達を楽しみに待っていてくれる方がいらっしゃると、
予定通り行って来ました。
こういう活動をしたことを書くことにいろんなご意見もあるかと思います。
私は参加した方がまた、まわりの方に話をすることも意味があると思っているので、
書かせていただきました。
いつもお世話役をして下さるAさん。
この訪問の1週間前にも、南三陸を訪れて、すべての手配をして下さいました。
今や南三陸町中に友人がいる彼の尽力があって続けることが出来ています。
「いつまで続ける?」
やはり最近ではよく話にのぼります。
「もう、来なくていいよー。
と言われるまでかなー。」
Aさんの言葉と、
以前出会った、現地のボランティアセンターの方の言葉。
「被災された最後の一人の方が自立するまで、支援は終わりません。」
との言葉が重なります。
何ができるかと考えたら、
本当に何も出来ないんだけど、
こうして個人では難しい活動をさせていただくご縁をいただいていることは、本当に
ありがたいなと思います。
熊本、福岡と、災害は
他人ごとではないなぁと思い知らされます。
何か力になりたい、そう思うのも自然なことだと思うし、
募金ひとつにしても、理由なんてなんでもいいと思います。
何か力になりたい、
例えば、結弦さんの故郷だから、行って見たい、何かしたい、
お友達の住む街だから、
昔旅行に行った思い出の街だから
極端な話、先生や誰かに褒められたいからとか、
動機なんてなんでもありで、
みんな違っていいと思います。
要は行動するきっかけだから。
長くなったので
もう辞めますね。
最後にひとこと、
一年ぶりに訪れて思ったのは、
だんだん元気になりつつある町から
みんなおいでよ!
そう歓迎されて、招いていただいた感じがしましたよ。
さんさん商店街でも、
「地元帰ったら、いっぱい宣伝しといてね〜。」と。←ここでもしてみた笑。
人は優しくたくましく、自然は美しく、食べ物は豊かで、
また会いに行きたくなりました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
感謝を込めてかれん