目が良い、耳が良い、鼻が利く。
気いた分にはとても羨ましく思いますよね。
私も視力が悪いく、眼鏡やコンタクト等の矯正具がないととてもじゃありませんが生きていけません。
ですが、世の中には目が良い=視力が良いとは限らない事もあります。
分かりやすくお伝えしたい為、"良い"と言う言葉を使いましたが実際に困っている人はこの言葉は使いません。
前の記事でも話しましたが、世の中には視覚過敏・聴覚過敏・嗅覚過敏等が存在します。
感覚が鋭い事は良い事です。
が、余りにも研ぎ澄まされてしまうと時に弊害になってしまうのです。
かく言う私も視覚過敏・聴覚過敏です。
強い光に嫌悪感を持ち、目に入るものが私の思考を遮ります。
機械音や時計の針の音が気になり、夜眠れない日もあります。
あれもこれもそれも、挙げ出すとキリがありません。
友人と遊ぶ時、例えばご飯を食べながら話すとかありますよね。
目の前の友人の話を聞いているはずなのに、周囲の物音や会話を拾ってしまうんです。
目の前の友人を見ているはずなのに、色んな物が目に入ってしまうんです。
行き交う人々、周囲の会話、分煙機に吸い込まれていく煙、食器のぶつかる音。
他にも挙げきれない程の外的な刺激が邪魔をしてきます。
私から話している時もそうです。
ADHDの多動性の症状が、私の場合頭の中で起こっています。
言葉で表現するならとめどなく思考が繰り返されている、でしょうか。
一つの単語からいくつもの想像が浮かんで、またそこから浮かんで、まるでネズミ算式で終わりが見えません。
更に片付けが苦手な私の頭の中のひきだしはどこも開けっ放しで、言葉や思考がとっ散らかっています。
そこから一つ一つ言葉や思考を拾い、組み立てて口に出す。
これが想像よりも大変な作業で。
更にそこに視覚、聴覚から入る情報がバラバラと降ってきて思考はさらに混沌を極めます。
私はよく「口下手だから」とワンクッション置きますが、本当に頭の中が複雑に出来ているようでその一言ではあまり理解されません。
今でこそ自分がADHDとHSPを持っていて、他の人よりも情報処理能力が低く理解力が乏しいそのメカニズムが分かりましたが、診断もされていなかった時には酷く自分を責めていました。
なんでみんなみたいに言葉が上手く出てこないんだろう?
なんで話している事がまとまらないんだろう?
なんで途中で話している内容が分からなくなるんだろう?
不思議で仕方ありませんでした。
発達障害は、目には見えません。
視覚障がい者の方は白棒を持っていたり、盲導犬を連れていたり
聴覚障がい者の方は補聴器を付けていたり、手話で会話をしたり
身体障がい者の方は車椅子を使用したり
目に見えるものに対して世間的な理解度は高いと感じます。
あの方は目が不自由なんだな、耳が不自由なんだな、身体が不自由なんだな。
こんな感じに。
ですが目には見えない発達障害や知的障害等に対しては未だ理解度が低く感じます。
一見普通に見えるけど話してみると「あれ?」となります。
もちろん程度の差があるので黙っていると分からない人もいます。
でも私みたいに障害に感じている方もおられるかと思います。
とても難しい問題ですね。
私の場合思考を組み立てて口に出すのを苦手としています。
ですがこうやって書いて思考を纏めて伝える事が出来ます。
分かりやすいか否かはまた別の話として、割と書くと言う事はしょうに合ってたようです。
視覚障がい者の方は白棒を持っていたり、盲導犬を連れていたり
聴覚障がい者の方は補聴器を付けていたり、手話で会話をしたり
身体障がい者の方は車椅子を使用したりするように、
このメカニズムに気付いた私にはノートが手放せなくなりました。
私にとってのノートはそんな方々が出来るだけ障害を軽減する為の道具と同じなんです。
2019.10.1