【熊野】 その1 イザナミの墓 日本書紀と古事記の違い | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!

 

 

熊野は

イザナミノミコトが

葬られた土地である

 

【日本書紀】

 

一書に曰はく

 

伊弉冉尊

火神を生む時に

灼かれて神

退去(さ)りましぬ

 

故、紀伊国の

熊野の有馬村に葬りまつる

 

土俗(くにひと)

此の神の魂(みたま)を

祭るには

花の時には亦(また)

花を以て祭る

亦、鼓吹幡旗(つづみふえはた)

を用(も)て

歌ひ舞ひて祭る

 

 

 

三重県熊野市有馬村

 

 

花の窟には

イザナミノミコトと

カグツチ(火の神)の

墓がある

「淡路の洲」に葬る

 

神体である巨岩の麓にある

「ほと穴」と呼ばれる

この巨岩は「陰石」であり、

和歌山県新宮市の神倉神社 の

神体であるゴトビキ岩は

「陽石」であるとして、

一対をなすともいわれ、

ともに熊野における

自然信仰(巨岩信仰・磐座信仰)の姿を

今日に伝えている

 

 

 

 

熊野坐大神(家都美御子大神)

須佐之男命とされる

 

大斎原

 

 

 

【古事記

 

 

出雲の国と

伯伎国(ははきのくに)の

堺の比婆の山

(現在の中国地方にある島根県安来市伯太町)

「淡海の多賀」に葬る

玄武岩柱状節理

玉抱石(たまがかえいし)

陰陽竹(いんようちく)

 

 

 

死後、イザナミは

自分に逢いに

黄泉国までやってきたイザナギに

腐敗した死体(自分)を見られたことに

恥をかかされたと大いに怒り、

 

恐怖で逃げるイザナギを

1500の黄泉軍らに追わせ、

最後は自ら追いかける。

 

しかし、

黄泉国と葦原中津国(地上)の間の

黄泉路において

葦原中国とつながっている

黄泉比良坂よもつひらさかで、

イザナミに対して

イザナギが1000人引きの大岩で

道を塞ぎ会えなくしてしまう。

 

イザナミは

閉ざされた大岩の向こうの

夫にむかって

「愛しい人よ、

こんなひどいことをするなら

私は1日に

1000の人間を殺すでしょう」

と叫ぶ。

 

イザナギは

「愛しい人よ、

それなら私は産屋を建てて

1日に1500の子どもを産ませよう」

と返した。

 

そしてイザナミとイザナギは離縁した。

 

この後、イザナミは

黄泉の主宰神となり、

 

黄泉津大神(よもつおおかみ)

道敷大神(ちしきのおおかみ)と

呼ばれるようになった。 

 

 

 

 

伊邪那伎日真名子 

加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命

 

素戔嗚尊の別名である

 

火の発祥の神社として

「日本火出初之社」

(ひのもとひでぞめのやしろ)

 

 

 

 

 

 

 

花の窟は

来年、絶対に行きたいです

 

三重県にありながら

地名は、熊野市

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