楯、館、柵、城 とは 「楯」は五十猛神 | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!

東北要図 7~9世紀

 

 

 

 

「楯」

丸太などを間隔を置いて立て

それに横木を渡してつくった囲い

 

「館」

小規模な城

 

「柵」

木材などを立て並べ、

貫(ぬき)を通して造った囲い

 

「城」

敵を防ぐために土や石で

堅固に築いた建物・設備

 

という意味があります

 

 

今回行きました、鳥越楯

 

「楯」と言いますと

わたしが思い浮かべるのは

 

「射楯」ー五十猛神 です

 

「いたける」ですから

 

 

 

 

 

 

 

 

〈イタテツワモノヌシ〉
別稿でも記したが、

鹿の子と罵られ都を逃れた妃

 大宮姫を追って開聞宮入られた

天智天皇と大宮姫の接待のため、

在の侍従安藤実重が

火の神と竈の神を勧進し、

米を蒸していた時、

突風に煽られ釜豚蓋が吹き飛ばされた。


この窯蓋が落下した処に

建立されたのが、

開聞宮末社 釜蓋大明神と伝えられる。


この神社の主祭神は

素戔嗚、

その荒ぶれた気性から

軍神と崇められ、

戦時中は

参拝客が絶えなかったとか。

 

が実は、

射楯大神とは、

素戔嗚の御子 

五十猛命〈イソタケル〉の別称。


兵主大神とは、

やはり御子の

大己貴命〈オオナムチ〉の別称、

とも言われ

二人とも武を司る神であった。

 

五十猛命は

霧島韓国宇豆峯神社に祀られ、

素戔嗚と共に

韓国を往来し

たくさんの種子を持ち帰り

枯山を蘇らせた神とも謂われている。


また姶良には

兵主神社があり

大己貴命を祀るが

「ツワモノヌシ」ではなく

「ヒョウズ」と呼ばれている。

 

釜蓋神社には、

釜蓋願掛けという

変わった祈願の方法があり、

頭の上に釜蓋を乗せ、

鳥居から神前まで落とさず運べば

運が開けるとされる。

 

 

楯(たて)は

自陣(じじん:自分の陣地)を

弓矢などの攻撃から守るための道具

だから

 

山の樹木も

防御のひとつ、だったのでは

ないかと思います

 

木の神様である

五十猛神の御力も

加わっていたと思います

 

「館」も、だて

と呼びますし、「舘」とも

書きますね

 

 

鳥越八幡神社の祭神には

居ませんが

 

「楯」には

 

五十猛神の意味合いも

あったと思いますよ

 

だから

神社の方に

お聞きしました

「山名は?」と

 

山の名前はなく、鳥越楯だと

 

東北は

蝦夷と関係がありますので

武力神として勧請している

ということは

 

五十猛神の荒御魂

なのではないかと思います

 

 

鳥越楯

 

 

 

https://www.city.shinjo.yamagata.jp/s012/190/020/01.1syou.pdf

 

 

私感、ですが