八咫烏と蝶を同一視していた古代 | その先、ヒカリ♥

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 アサギマダラ

(熊野に飛来する蝶の一種)の幼虫は


ガガイモの葉を

食べるそうなんです。


 ガガイモといえば、神話では



大国主を助けて

国造りをしたスクナヒコナが

天乃羅摩船

(アメノカガミノフネ

=ガガイモの実とされる)

に乗り、

鵝(ヒムシ=ガとされる)の

皮の着物を着て

波の彼方より来訪した


と記されています。 


アサギマダラは

熊野では


海を越えて遥か台湾から渡ってきて

藤袴の花の蜜を吸い、

また、何処かへ渡っていくそうです。


 熊野では


八咫烏がいるように、

風葬がおこなわれていたので

鳥は神聖視されていました。



空を飛んで海を渡ってくる

アサギマダラも


異国(常世の国)の使いでは

と考えたのではないでしょうか?


タニグクが

クエビコに聞いて

その名前がわかるんですが、



スクナヒコナの系譜は


賀茂一族と同じ

神産巣日神の系譜に繋がります。



 つまり

出雲系熊野

といってもよいのかもしれません。



 また神産巣日神の系譜には


度会氏や伊勢忌部などもあるんです。





蛯原さまから

一部、

シェアさせて頂きました


アサギマダラは

わたしも、月山で何度も見かけた蝶です


渡り蝶であることは

知っていましたが



アサギマダラの幼虫は、


ガガイモ科の仲間

(キジョラン、オオカモメヅル、

イケマなど)を食べて育ちます。


 高尾山では

キジョランに

幼虫の姿を見ることが多く、

食痕のついた葉をよく探すと

幼虫を発見できることがあります。


と、あります。



『古事記』では

少名毘古那神


『日本書紀』では

少彦名命(すくなひこなのみこと)、


『先代旧事本紀』では

天少彦根命

(あまのすくなひこねのみこと)、


『出雲国風土記』では

須久奈比古命


『播磨国風土記』では

小比古尼命(すくなひこねのみこと)、



他に

須久那美迦微

少日子根などと表記する。



『古事記』では

神産巣日神

(かみむすびのかみ)の子とされ、


『日本書紀』では

高皇産霊神

(たかみむすびのかみ)の子とされる。



『古事記』によれば、


スクナビコナは、


大国主の国造りに際し、


天乃羅摩船

(アメノカガミノフネ

=ガガイモの実とされる)

に乗り、


鵝(ヒムシ=ガとされる)の

皮の着物を着て

波の彼方より来訪し、


神産巣日神の命によって

義兄弟の関係となって国造りに参加した。


『日本書紀』にも

これと同様の記述があるが、

ミソサザイの皮の着物を着ている。


スクナビコナが登場するのは、


『記』・『紀』以外では、


『播磨国風土記』や

『伊予国風土記』(逸文)、

山陰や四国、北陸などの

地方伝承である。


スクナビコナは

オオナムチ(大国主神)同様

多くの山や丘の造物者であり、

命名神である。



その一方で、スクナビコナは

悪童的な性格を有する

という記述がある

(『日本書紀』八段一書六)。


スクナビコナは

のちに常世国へと渡り去るが、

これは

草に弾かれて常世へ渡った、

川で溺れて神去りした

など様々な説話が存在する。




スクナビコナは、


国造りの協力神、

常世の神、

医薬・温泉・禁厭(まじない)

・穀物・知識・酒造・石の神

など多様な性質を持つ。





と、あります。



古事記、日本書紀にみる日本人の昆虫観




八咫烏も、また

スサノオに仕える神使

死霊を鎮めるという






 


Wikipediaで、蝶は


世界各地に

チョウが

人の死や霊に関連する観念が見られる。


キリスト教では

チョウは復活の象徴とされ、

ギリシャでは

チョウは魂や不死の象徴とされる。



ビルマ語に至っては

〈チョウ〉を表す語

 (レイッピャー)が

そのまま〈魂〉という意味で

用いられる場合もある。


日本でも

栃木県宇都宮市で、

盆時期の黒いチョウには

仏が乗っているといい、


千葉県でも

夜のチョウを仏の使いという。



チョウを

死霊の化身とみなす地方もあり


立山の追分地蔵堂で

「生霊の市」といって、

毎年7月15日の夜に

多数のチョウが飛ぶという。


秋田県山本郡では

チョウの柄の服を好む者は

短命だという。


高知県の伝説では、

夜ふけの道で

無数の白い蝶が雪のように舞い、

息が詰まるほどに

人にまとわりつき、 

これに遭うと

病気を患って死ぬといわれる

怪異があり、


同県香美郡富家村(現・香南市)では

これを横死した人間の亡霊と伝えている。


「春に最初に白いチョウを見ると、

その年の内に家族が死ぬ」

「チョウが仏壇や部屋に現れるのは

死の前兆」

という言い伝えもある。


奥州白石では、

チョウが大好きだった女性が死に、

遺体から虫が湧いて

無数のチョウと化したという話が伝わる。


また秋田県上総川の上流で、

かつて備中という侍が

沼に落ちて死に、

チョウに化身して沼に住み着き、

現在に至るまで

曇った日や月の夜に飛び上がって

人を脅かすという。

そのことからこの沼を備中沼、

または別蝶沼ともいう。




暮らし歳時記では


●仏教では

極楽浄土に魂を運んでくれる

神聖な生き物


蝶は、サナギから脱皮して美しい翅(はね)をもつ蝶が飛び立つことから、死後、からだから抜け出した魂を極楽浄土に運んでくれるとして神聖視されていました。輪廻転生の象徴でもあるため、仏具にはよく蝶の装飾が使われています。機会があったら、探してみてください。

●武士に好まれた

「不死・不滅」の象徴
蝶文が能装束や小袖に意匠されたのは桃山時代からといわれています。その姿の優美さから着物の柄として取り入れられただけでなく、蝶の変化の様子が神秘的で「不死・不滅」のシンボルだったことから、武士に好まれました。
蝶の文様は「平家物語」や「源平盛衰記」などにさかんに出てきます。平清盛からつながる者が多用したので、後に「蝶紋」が平家の代表紋とされました。なかでも有名なのが、平清盛の家紋である「丸に揚羽蝶(あげはちょう)」です。この揚羽蝶は、特にアゲハチョウを図案化したものではなく、羽をあげて休んでいる蝶の姿を描いたものです。


■中国における「蝶」の縁起

中国語の蝶を表す「ディエ」という発音が老年を意味する「耋」という言葉と同じ音なので、長寿につながるともいわれます。
さらに、蝶のイメージは美しく軽やかなので、美しさやめでたさの象徴にもなっており、花を慕う蝶は、愛情あふれる円満な夫婦に例えられています。
また、荘子の「胡蝶の夢」は有名な故事です。
「荘子が蝶になった夢を見たが、覚めた後、自分が夢で蝶になったのか、蝶がいま夢のなかで自分になっているのか疑った」という話で、夢と現実とがはっきりと区別できないこと、転じて、人生のはかないことのたとえとされています。



蝶と考えられるものが出てくる日本最古の文献は「日本書紀」です。
(以下引用)
「「秋七月、東国の富士川のほとりの人、大生部多が、虫祭りをすることを勧めて言うのに、「これは常世の神である。この神を祭る人は、富と長寿が得られる」といった。巫女たちも偽って神のおつげだといって、「常世の神を祭ると、貧しい人は富を得、老人は若返る」といった。このためいよいよ広がって、人々に家の財宝を投げ出させ、酒を並べ野菜や六種の家畜(馬・牛・羊・豚・犬・鶏)を路ばたに並べ、「新しい富がはいってきたぞ」と連呼させた。都でも田舎でも常世の虫をとって安置し、歌い舞って福を求め、財宝を投げ出したが、何の益もなく、損ばかりが極めて多かった、葛野の秦造河勝(はたのみやつこかわかつ)は、民のまぞわされるのをにくんで、大生部多を打ちこらした。その巫女らも恐れて、祭りを勧めることをやめた。時の人は歌を作って言った。 太秦(河勝)は神の中でも神という評判が聞こえてくる。常世の神といいふらしたものを、打ちこらしたのだから。 と。この虫というのは常に橘の木に生じ、あるいは山椒のきにもつく。長さは四寸あまり、その大きさは親指ほど、色はみどりで黒いまだらがある。その形はたいへん蚕に似ていた。」

*2)宇田谷猛「全現代語訳日本書紀」(下)(1988)講談社学芸文庫151頁
この常世の神とされた虫=アゲハ蝶の幼虫と考えられている。


山内麻衣子氏の論文(「境界の装置としての蝶鳥文様」)に曰く、「民俗学では古くから、蝶と鳥はともに霊魂の化身や象徴とされてきた。古代の人々は飛翔するものに霊力を見たことから、「蝶と鳥とを同一視する感覚」があったという。
「蝶はその完全変態を成す神秘的な性質から魂の復活や再生のイメージと重ね合わされたり、蝶雨のような蝶の大量発生を不吉な異変の兆候と見られたりし、生死、吉兆両面の様々な意味を託され、古くから広く民間信仰に根付いていた。」


と、あります