独りを慎む とは | その先、ヒカリ♥

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理性の光で心を照らす

 

 

菜根譚一日一言

 

 

 

 

一燈蛍然(いっとうけいぜん)として、

万籟(ばんらい)声無し。

 

 此れ吾人(ごじん)初めて

宴寂(えんじゃく)に

入(い)るの時なり。

 

 暁夢(ぎょうむ)初めて醒め、

群動(ぐんどう)未(いま)だ起こらず。

 

 此れ吾人初めて

混沌を出ずる処なり。 

 

此れに乗じて一念光りを廻らし、

烱然(けいぜん)として

返照(へんしょう)せば、 

 

始めて耳目口鼻、

皆、桎梏(しつこく)にして、

情欲嗜好(じょうよくしこう)は

悉(ことごと)く

機械たるを知る。

 

 

 

 

現代語訳

 

 

 

夜は更(ふ)け、

明かりも消えかかる時、

全ての物音が途絶える。 

 

この時、

私は初めて坐禅をして

心身とも静かに安定し

真理を探究する。

 

 

 夜が明けつつも、

未だに万物は動き出さない。

 

 この時、

私は初めて混沌から抜け出す。 

 

このような状態で

 

私は智慧を廻らせ、

自分の本性を反省しつつ

真実を探求すれば、

 

感覚器官の全ては

本来の心(仏心)を

束縛する足かせで、

 

煩悩(物欲・情欲)が

仏心を操り

惑わす仕組みであることが解る。

 

 つまり、

深夜に一人、独坐すれば、

 

自分の本来の心と対話ができ、

 

日常の雑多な情報こそが、

煩悩を操る「魔」であることが解り

 

一見では価値がある情報も、

 

仏心(自分本来の心)の活動を

妨害していると体現できる。 

 

言い換えれば、

活人たる者、

 

時に一人静かに坐禅をしないと

 

日常の雑音に振り回される

下世話な人間に

成り下がってしまいますよ、

 

ということだ。

 

 

 

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心落ち着けて、

一日を振り返る時間を

取りたいものです。

 

 

大学に

「慎独」という言葉があります。

 

 

謂わゆるその意を誠にすとは、

 

自ら欺(あざむ)くこと

毋(な)きなり。

 

悪臭を悪むが如く、

好色を好むが如くす。

 

此れをこれ

自ら謙(こころよ)しと謂う。

 

故に君子は

必ずその独を慎しむなり。

 

小人閒居(かんきょ)して

不善を為す。

至らざる所なし。

 

君子を見て

而して后(のち)に

厭然(えんぜん)として、

その不善を揜(おお)いて

その善を著わす。

 

人の己れを視ること、

その肺肝(はいかん)を見るが如く

然れば、則ち何の益かあらん。

 

此れを中(うち)に誠あれば

外に形(あら)わると謂う。

 

故に君子は

 

必ずその独を慎しむなり。

 

 

(大学)

 

 

誠意を持つ(意を誠にする)とは、

自分自身を欺かないということです。

 

悪臭を嫌って、

見栄えのいいものを

好むようなことです。

 

その(ように自分の気持ちに素直な)ことを、

自分の心に満足する(自謙)

 

と言います。

 

だから、

立派な人格者である

君子は、

必ずその独りを慎むのです。

 

 

 

 

これに対して、

つまらない人である小人は、

 

誰も居ないところで

不善の行いをします。

 

それが

(遂には人前でも不善の行いをするに)

必ず至るのです。

 

 

しかし、

立派な人格者である

君子を見ると、

 

自分の行いを恥じるようになり、

自分の不善を覆い隠して、

自分の善が表に出るようにします。

 

けれども、

(その人はその人であり、

その人がどんな人かということは、)

誰からもすぐに

見透かされてしまうことなのです。

 

 

それならば、

(人前で自分の不善を隠すことに、)

何の利益がある

と言うのでしょうか。

 

これを、

 

「中に誠があり外に形として現れる」

 

と言います。

 

だから

立派な人格者である

君子は、

必ずその独りを慎むのです。

 

 

 

 

ありがとうございます

 

「独りを慎む」とは

 

人には

見られていなくても

自分の心は

人に伝わると思うので

甘くなりがちなところで

常に

自分を制する心を持つ

 

いつも

誰かに見られている

 

悪い

言葉遣い、行儀、クセは

思わぬところで

出てしまうものである

 

ということです

 

 

 

    

私が出家した時、

 

今東光師が

「一人を慎みなさい」

とおっしゃいました。

 

一人でいる時も

仏様がちゃんと見ているし、

 

いつでも

仏様と一緒だと思いなさい

ということです。

 

 

瀬戸内寂聴