高尾山駅 石斛(セッコク)に癒されて 雲文字現る | 最強運貯めガイドブック♥古事記、黄泉の国を知る事が大事だよ♥カミコトは記紀の歴史の真実を知る事

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黄泉の国を知ることは、あなたを早く変容させます!
記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
拝読感謝❤
漢方養生指導士で
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!
伊勢神宮と高野山の会員です。
主人のご先祖様は、羽黒山山伏です。

 

 

下を見ると、もう渋滞していますよ

 

 

 

この山が、八王子城跡

 

 

 

 

 

 

 

下を見ると

石斛(せっこく)の花!

満開ですね~!

 

 

 

 

日本に自生が見られる野性ラン。

木や岩の上につく着生植物です。

近年は丈夫な性質と耐寒性の高さなどから、

花を楽しむ気楽に育てられる

ラン植物として

店頭や通販で出回ることが

多くなっています。


花はバルブ

(茎の一部が肥大化したもの、

偽鱗茎(ぎりんけい)

あるいは矢とも呼ばれる)から、

花茎が出て数個の短い距がある

花を咲かせます。

花色は白のほか薄赤紫から

赤紫や薄黄色などがあり、

甘い微香を放ちます。

葉は細長い楕円形で、

つやがあり硬めの印象。

 

落葉樹のように冬に落葉します。

茎にみえる部分は

ラン科らしいバルブ形状で、

硬くて細長く節がよく目立ちます。

 

 

と、あります。

 

 

 

 

石斛は

 

宮城県ですと

松島の瑞巌寺にありますよ!

 

 

 

 

 

 

 

わかりますか?

 

雲文字 「山」

 

 

また、右下は

三角になっており

 

 

 

龍神雲

 

 

ということは

左側は、鳳凰か

 

 

8時15分発

 

 

 

 

清滝駅が見えてますね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高尾山が、「\(^o^)/ばんざい」

しているような!

 

 

 

 

 

高尾山駅

 

 

 

 

また、必ず来ます!

今度は、単独登山だ!

 

 

 

 

 

 

今回、高尾山に来て

思ったこと

 

 

高尾山薬王院に宿泊し、

早朝勤行を終え、

 

貫首さまのお話に

感動感激いたし、

皆様も泣いておられました。

 

どのお寺の者でも、

苦労を重ねられて

今のお寺を維持されて

いますから、

重みを感じます。

 

 

わたしは、一介の石ころですが

 

 

どんな

小さいものであろうと、

そこにあるものは、

意味があるのです。

 

 

ただ、見るものによっては、

ただの石ころであり、

つまらぬものかもしれません。

 

きれいな色じゃないし、

磨いても、

どうにもならないものかも

知れません。

 

わたしは、

陸奥国分寺の

檀信徒でもありませんし、

 

ただの興味本位での、

その場限りの者です。

 

 

それが、何かのご縁で、

この団参に

入らせていただき、

 

知らぬ皆様と

たくさんお話ができ、

 

また、

見知らぬ世界を

覗かせていただき、

 

崇高な方々のお話まで

聴くことができ、

 

 

わたしは、この2日間、

幸せでございました。

 

 

今後の糧となりましょう。

感謝申し上げます。

 

 

 

 

しかし、やはり

わたしは

「高野山真言宗」の檀信徒

 

参与会 会員です。

 

真言宗は、流派があります。

 




小学館より

↑↑↑

PCはそのままクリック

お願いします

 

 

 

観賢が

東寺長者・金剛峯寺座主を兼ね、

教王護国寺東寺を本寺とし、

金剛峯寺を末寺とする

本末制度を確立。

 

金剛峯寺は本末争いに負け、

一時的ではあるが、

東寺長者が

真言宗を統括することになった。

 

 

高野山は

落雷により伽藍・諸堂を焼失したり、

国司による押妨などにより衰微し、

無人の状態になるまでに至った。

 

この状態が

平安時代中期まで続くが、

 

藤原道長

 

高野山に登山

(山上の寺社に参詣すること)

したことにより

復興が進み、

 

皇族・摂関家・公家が

高野山への登山が続いた。

 

その後、

皇族・摂関家・公家などによる

経済的な支援もあり、

高野山は

財政においても安定していった。

 

 

宗祖・空海(弘法大師)への

敬慕が篤く、

 

10世紀には

高野山で

空海の入定信仰が起こり、

弘法大師信仰(大師信仰)を説いている。

 

 

 

平安中期に

益信に始まる広沢流、

聖宝を始祖とする小野流が起こった。

 

両派は、それぞれ六流に分かれて、

野沢十二流(やたくじゅうにりゅう)、

または、根本十二流と称される。

 

野沢十二流の定義では、

 

持明院流を広沢流に入れない。

 

 

また、

中院流を小野流に入れない。

 

 

 

 

 

いずれの法流も

高野山に移ったためである。

 

高野山真言宗

 

 

陸奥国分寺は、智山派

慶長6年(1601年)、

徳川家康の許可を受け寺領

(豊国神社付属寺院の土地建物)を

拝受し復興させたことを端緒に

創建されることとなった宗派

 

金剛峯寺は、高野山真言宗

 

 

今回、不思議なご縁で

川崎大師、高尾山、川越別院と

参拝が叶いましたのは

 

弘法大師空海上人のお蔭

感じています

 

 

 

 

しかしながら

 

今回の旅は

正直、違和感がありました

 

それは紛れもなく

 

真言宗の中の流派に

あったと思いました

 

 

陸奥国分寺は

子どもの頃の遊び場であり

よく友達と来たものです

そのご縁が

繋いでくださったのでは

ないかと思いました

 

しかし

わたしは数年前から

高野山真言宗 参与会に

入会させていただきました

 

 

同じ真言宗であっても

流派が違えば

教義も違います

 

今回

陸奥国分寺の団参ですから

当然

輪袈裟も

智山派のものです

桔梗紋

 

 

それにも

違和感を

隠せなかったのです

 

 

 

 

ただ

流派を越えて

 

 

 

今回は、大変お世話になり

ご住職さま

ご子息お二人の

ご尽力には

感謝しかございません

ありがとうございました

 

こちらのブログでも

陸奥国分寺さんのツアーに

皆様もご一緒に

いかがでしょうか、と

アップさせて

いただきましたが

力不足で

申し訳なかったと思います

 

定員が足りず

だいぶ資金面でも

大変だったようです

 

ご住職さまも

ご主人様を亡くされ

3人のご子息を育てながら

修行され、尼僧となり

成長されたご子息たちを

立派に僧侶に育てたことは

頭が下がる思いです

近々

僧正となられるとのこと

 

時には、師となり

時には、母となり

時には、父となり

 

大変なご苦労をされてきたと

感じました

 

皆様も

陸奥国分寺は

ご縁日、8日でございます

 

 

マルシェも開催されますから

どうぞ

ご参拝くださいませ

 

ご住職さまの

お人柄で

8日のお護摩には

たくさんの檀信徒さまが

いらっしゃり

楽しいお話をされて

いらっしゃる、ご様子です

 

栃木から、毎回

いらっしゃる方とも

ご縁日のお話を聞きました

 

よろしくお願いいたします