子の親に対する孝心は一番尊いもの | 最強運貯めガイドブック♥古事記、黄泉の国を知る事が大事だよ♥カミコトは記紀の歴史の真実を知る事

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黄泉の国を知ることは、あなたを早く変容させます!
記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
拝読感謝❤
漢方養生指導士で
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!
伊勢神宮と高野山の会員です。
主人のご先祖様は、羽黒山山伏です。

 

 

 
 
 
肉親の情愛
 
 
菜根譚一日一言
 
 
 父は慈(じ)、
子は孝(こう)、
 
兄は友し、
弟は恭す。  
 
縦(たと)い
極処(きょくしょ)に
做(な)し到るも、
倶(とも)に是れ、
 
合当(まさ)に
此(かく)の如(ごとく)なるべく、
 
一毫(ごう)の
感激の念頭(ねんとう)も
着け得(え)ざれ。
 
 如(も)し
 
施す者は徳に任じ、
 
受くる者は恩を懐(おも)わば、
 
便(すなわ)ち是(こ)れ
路人(ろじん)にして
 
便(すなわ)ち
市道(しどう)と成(な)らん。
 
 
 
 現代語訳 
 
 
 父は子を慈しみ、子は父に孝行し、
兄は弟を友愛し、弟は兄を敬愛する。
 
 
 たとえ、それが
理想的に出来たとしても、
 
それは当たり前のことで、
ことさら感激に値しない。 
 
 
もし、それを行った方が
満足感を得たり、
受けた方が有難た味を感じたら、
 
それは他人同士であり、
世間的な付き合いになってしまう。
 
 
 つまり、家族には
如何なる場合も、
 
貸し借りの意識を感じず、
愛を基盤にしていなければ
他人も同然なのだということ。
 
 
 言い換えれば、活人は
 
家族との関係を
特別な関係としてはならないのだ。
 
 
 
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 当たり前ということは、
意識せず、自然にできること。
 
それは、普段から、
両親、曾祖父、曽祖父母と、
連綿につづく
当たり前の態度なのだ。
 
 
それこそ、
その家族の風土になる。
 
 
その風土に生まれた者は、
 
自然とそのことが
できるようになるのである。
 
 
 
 
 
小人(しょうじん)は
不仁(ふじん)を恥(は)じず
 
 
易経一日一言
 
 
小人(しょうじん)は
 
不仁(ふじん)を恥(は)じず、
 
不義(ふぎ)を畏(おそ)れず、
 
利を見ざれば
勧(すす)まず、
 
威(おど)さざれば
懲(こ)りず。
 
(繋辞下伝)
 
 
 小人は
思いやりや慈愛を持たなくとも、
 
それを恥じず、
悪逆(あくぎゃく)を恐れずに行う。
 
 
自分に利益がなければ
進んで行動せず、
 
刑罰を与えられなければ
懲りない。 
 
 
小人は
自分に利益があれば
諂(へつら)い、
仮の思いやりも見せる。
 
 
悪事を働いても、
恐るべき結果になることを
思いもしない。 
 
 
時の状況によって、
誰しも小人になる可能性がある。
 
 
肝に銘じたい一文である。 
 
 
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不仁は
色々な意味を持っているが、
とどのつまり
「無関心」なのである。
 
 もう自分の役割は終わった、
後は関係ない
 
という考えでは、
その職場がギスギスする。
 
 
お節介焼きの方が
 
組織はあったかいのだ。
 
 
 
 
 
ありがとうございます
 
安岡正篤先生は
 
父は
子供の尊敬の的でありたい
 
母は
子供の慈愛の座でありたい
 
と申しています
 
人間教育の素地は
家庭教育にあり
 
 
そしてこのように
語っております
 
 

「人間と動物とを分ける

所謂

ボーダーラインというもの、

ギリギリの決着は

何だというと、

 

結局、

大抵が愛だ

というのですけれども、

 

愛は

ある程度動物にも

あるもので、

 

大切なのは

『敬する』

ということであります。

 

『敬する』

ということがあると、

『恥づる』

ということがある。

 

これは一対のもので、

 

敬と恥、

即ち

敬うということと恥づる、

この敬と恥の二つの心、

 

これが

人間と動物の限界線です」

 

 

人倫の根本が

親子の道に在る

 

ということは

言うまでもない。

随(したが)って

子の親に対する孝心は、

 

人類社会を

維持し発達せしめる

一番尊い

はたらきである。

在る時は

在りのすさびに

憎いこともあろう。

 

無くてぞ

人の恋しきは

人情の機微である。

 

父母に死に別れて、

却(かえ)って切に
 

父母の温容を憶(おも)い

 

慈音を偲び、

生前の趣味や理想を考え、

 

敬慕の情を

いや増すと共に、

 

平生みずから 

 

父母に何の報ゆる所も

なかったことや、

 

今も尚お父母の期待に

一向添い得ぬ

身の不肖をば

恥じ懼(おそ)れ

 

せめてもの

心ばかりの供物を

霊前に捧げ、

 

或いは

懺悔の誠を致し、

或は

将来の発奮努力を誓う、
 

茲(ここ)

家庭祭祀の根本義がある。」