善寳寺 国宝龍王殿 御開帳 ① 絶対行くべきです! | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!

 

昨日の仙台は、雲ひとつない青空

 

最高~!


八雲院さんの

開運方位と時間を使い

 

 

 

東北道から、山形道へ

宮城県の県境、笹谷トンネルを

抜けます

 

 

山形県に入りましたら

黄砂がすごくて

 

霊峰 月山も霞んでいました

 

 

 

まもなく、月山インターを下車

 

眼下に、月山湖

 

左から、湯殿山、姥ヶ岳、月山

 

 

 

湯殿山 6月1日に開山

 

 

今年は、雪が少ないですね

 

 

 

姥ヶ岳

夏スキーのメッカ、ですね!

 

 

 

 

 

霊峰 月山

 

 

 

 

山頂は、とんがっているところで

その下あたりが、月山神社です

 

 

 

国道に下りて

ひたすら、鶴岡方面へ

 

 

国道から、湯殿山インターに入り

 

庄内あさひインターを過ぎたあたり

鳥海山も

うっすらで、日本海側は

黄砂がものすごかったです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

善寳寺

山形県鶴岡市

 

 

山形県鶴岡市にある曹洞宗の寺院

山号は龍澤山(りゅうたくさん)

本尊は薬師如来

 

妙厳寺最乗寺と並ぶ

曹洞宗三大祈祷所

 

 

 

 

 

 

龍華庵

棟梁:剣持嘉右衛門籐吉
二棟梁:奥山富五郎
三棟梁:齋藤善六・本間末吉
善寳寺の前身である龍華寺の本堂であり、

善寳寺の歴史を紐解くに重要な建物であります。

 

昔はこの場所から

北北東2キロほど隔てた場所にあり、

現在は西郷小学校の敷地となっております。

 

その地名を

「龍花崎」(りゅうげざき)と

呼んでいたそうです。

 

現在の建物内外の彫刻と建造は

明治13年(1880年)に

善寳寺お抱えの

棟梁「剣持藤吉」の作であります。

明治12年以前の龍華庵は、

五重塔から案内所の間の敷地に

建てられていたそうです。

 

 

 

いつもは閉まっている、龍華庵も

今日は、開いていました

 

 

 

 

 

 

 

あれ???

 

仏像が、七色になってないですか?

滝汗

 

 

龍華庵は、卍、ですよね~

 

 

 

真ん中におられるのは

千手観音さま

 

 

 

総門

棟梁:剣持嘉右衛門籐吉
安政3年(1856年)に再建された

十二支を主体とする細やかな彫刻の総門。

総ケヤキ造り。

この優れた彫刻は

棟梁の剣持藤吉30歳頃の

気迫の込められた作。

特に獅子の造形と迫力は一見の価値あり。

戦時中に

十二支の酉(とり)が盗まれ、

一支欠けています。

辰は龍の姿では彫刻されていません

 

 

 

 

 

中は、十二支です

 

 

 

 

五重塔

棟梁:奥山富五郎・高橋兼吉・山本佐兵衛
明治26年(1893年)建立。

材料は総ケヤキ造り、屋根は銅板葺き、

高さ38メートルの大塔は

「魚鱗一切之供養塔」(ぎょりんいっさいのくようとう)として、

海の生き物達の供養塔として

漁師をはじめ海に関わる人々の

願いと祈りを受けて建立されました。

 

内部には仏の5つの智慧を表す

五智如来が祀られます。

 

正面:釈迦如来 東方:阿閦(あしゅく)如来

 西方:阿弥陀如来 南方:宝勝如来

 中央:大日如来(芯柱円柱がそれを表す)

 

善寳寺には昔から夜になると

音を発する「夜啼き石」という

不思議な石があったが、

それを塔建立の際に礎石として

中央に納めたといわれ、

それ以降石が

啼くことはなくなったと言われます。

 

建立から一年余り後

明治27年に起きたマグニチュード7.0の

直下型地震である酒田地震大火の際にも、

また先の3.11東日本大震災の際にも

ヒビ割れ一つなく建っておりました。

 

大日如来を表す芯柱は

塔中央に上から下へ

分胴のように吊るされており、

振子の役割として免震構造になっており、

大地震からもお護りいただいております。

 

塔の側面には

十二支が3体×4面に彫刻されており、

自分の干支を見つけて、

その方角から

手を合わせるとよいと言われます。

総門と同じく、

辰年だけは龍の姿で彫られてはおりません

 

 

 

五百羅漢堂

棟梁:本間勘蔵 (彫刻は剣持嘉右衛門)
安政2年(1855年)建立。

531体もの羅漢像は顔の作り・表情も、

着物の模様のデザインからポーズまで

一つとして同じものはなく、

衣の模様やデザインに至るまで

同じものはありません。

 

北前船で財を成した

商人達の寄進によって建てられた、

北前船西回り航路の繁栄を

感じさせる貴重な文化的遺産です。

 

「亡き人の面影しのぶ五百羅漢」

と詠われるように、

かつて写真のない時代には

亡くなった人に似た顔を

五百体の中から見つけて、

そこに手を合わせたと言われます。

 

正面は釈迦三尊、十大弟子が祀られ、

柱上には風神雷神、

左右台座上には東西南北を守護する

四天王が安置されしております。

 

現在東北芸術工科大学様の協力の下、

五百羅漢像の修復に取り組んでおり、

一体一体丁寧に修復作業を進めております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在、修復のため

一部はありません

 

 

 

 

山門

棟梁:剣持嘉右衛門籐吉(兄)
脇棟梁:奥山富五郎(弟)
文久2年(1862年)再建。

慶応3年(1867年)5月27日に

上棟式を挙行した記録があります。

構造は複雑で彫刻は至妙なる総ケヤキ造り、

銅板葺きの楼門です。

門内部両脇には右に「毘沙門天」

左に「韋駄天」が門を護ります。

一般にお寺の門には

仁王像が

安置されることが多いのですが、

廃仏毀釈の折、

善寳寺に避難してきた

この両尊天像を安置した

と言われております。

 

山門正面円柱の唐獅子は

棟梁の嘉右衛門の作であるのに対し、

後方の獅子は棟梁の弟富五郎の作であり、

兄弟で技を競い合って力作したものであります。

 

山門二階楼上内部には秘仏である

十六羅漢像が安置されておりますが、

一般への公開はしておりません。

 

梁間に架かっている額縁には

善寳寺の山号である

「龍澤山」と書かれており、

これは江戸時代活躍した

鶴岡出身の能筆の名僧

「不幼老卵(ふようろうらん)」が

書いたものであります。

遠くから見ると小さく、

門に近づけば近づくほど

鳳凰が羽を広げるかのように

壮麗に見えると言われます。

 

 

 

 

 

わたしは、この麒麟が大好きで

 

 

 

 

毘沙門天さま

 

 

 

韋駄天さま

 

 

 

 

弥勒堂

 

宝暦年中の大飢饉に対し

病魔退散・五穀豊熟を願い建立されました。

大阪で造られ、

船から陸揚げの際に

首を海中に落としてしまい、

胴体のみ到着後、

首のみ造作されたと言い伝えられています。

 

 

 

 

感應殿

 

 

慈照殿

 

 

 

まずは

特別拝観の申し込みをして

 

 

12時まで

あと、1時間40分ほど

時間がありますので

 

貝喰の池に行きます!