三輪山伝説 とは | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
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画像お借りしました



蛯原さまの考察

シェアさせて

いただきました


ありがとうございます







『三輪山伝説』その一
〜神話の中の纒向


【三輪山の神をめぐる神婚説話】
活玉依姫(いくたまよりひめ)に、

夜ごとに通う男がいた。
その正体をつきとめるため、

糸巻の糸を通した針を

そっと男の衣に付けておくと、

翌朝糸は鍵穴から抜け出ていた。
辿っていくと〈美和山〉の社に着き、

正体は神とわかる。
糸巻に糸が3勾(みわ)(3巻)

残っていたことから、

その地を三輪と名づけた。
生まれた子は

三輪氏の祖〈意富多多泥古(おおたたねこ)〉

となり、

三輪山の神、大物主神を斎き祭ったと

《古事記》は伝える。

百科事典マイペディア参考

『日本書紀』崇神天皇7年2月15日条では、

国中で災害が多いので

天皇が八百万の神々を

神浅茅原に集めて占うと、

大物主神が百襲姫に神憑り、

大物主神を敬い祀るように告げたという。

同書崇神天皇7年8月7日条では、

倭迹速神浅茅原目妙姫・

大水口宿禰(穂積臣遠祖)・

伊勢麻績君の3人はともに同じ夢を見て、

大物主神と倭大国魂神(大和神社祭神)の

祭主をそれぞれ

意富多多泥古命と市磯長尾市にするよう

告げられたといい、

同年11月13日条では

その通りにしたところ

果たして国内は鎮まったという。
この「倭迹速神浅茅原目妙姫」は

百襲姫と同一視される。

百襲姫は大物主神の妻となったが、

大物主神は夜にしかやって来ず

昼に姿は見せなかった。
百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、

翌朝大物主神は『櫛笥』の中に

小蛇の姿で現れたが、

百襲姫が驚き叫んだため

大物主神は恥じて

御諸山(三輪山)に登ってしまった。
百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、

箸が陰部を突いたため

百襲姫は死んでしまい、

大市に葬られた。
時の人はこの墓を「箸墓」と呼び、

昼は人が墓を作り、

夜は神が作ったと伝え、

また墓には

大坂山

(現・奈良県香芝市西部の丘陵)の石が

築造のため運ばれたという。


【倭大国魂】
『日本書紀』の崇神天皇6年の条に登場する。
宮中に天照大神と倭大国魂の二神を

祭っていたが、

天皇は二神の神威の強さを畏れ、

宮の外で祀ることにした。
天照大神は豊鍬入姫命に託して

大和の笠縫邑に祭った。
倭大国魂は

渟名城入姫命に預けて祭らせたが、

髪が落ち、体が痩せて

祀ることができなかった。
その後、大物主神を祭ることになる件が

書かれている。

同年8月7日、

倭迹迹日百襲姫命・大水口宿禰・

伊勢麻績君の夢の中に

大物主神が現れ、

「大田田根子命を大物主神を祀る祭主とし、

倭国造の市磯長尾市(いちしのながおち)を

倭大国魂神を祀る祭主とすれば、

天下は平らぐ」と言った。
同年11月13日、

意富多多泥古を大物主神を祀る祭主に、

市磯長尾市を大国魂神を祀る祭主にした。

これらの記事からも、

豊鍬入姫命が祖神の天照大御神を祀り、

意富多多泥古が

祖神の大物主神を祀ったように、

倭大国魂神が

倭国造の祖神であったことがわかる。

〜wik参考

三輪の活玉依姫は

「活」は生き生きとした「玉」は

ユイで「魚」、或いは「水」を

意味する言葉ですから、

『新鮮な水の姫』と解釈していいでしょう。
夜な夜な通う三輪の大物主に糸を付けてると、

糸は美和山に三巻残されたので

『三輪山』となり、

生まれた子が三輪氏の祖

『おおたたねこ』となります。


巻向、ミマキイリヒコ(崇神天皇)、

纒向はこの伝承から生まれた

名前だったのかもしれません。


今でも大神神社の御神体は

この三輪山で山中には

古代の祭祀遺跡や磐座も残っている、

大和では最も古い祭祀場所

といっていいでしょう。

ーーーーーーーーーーーーー 


私が気になるのは、


伝承の主人公の大物主(三輪山)はまるで、

糸を巻きつけた『糸巻き』のように

表現されているところで、

しかも三巻き付けられついたという事です。

糸巻きはカセ(桛木)であり、

オリオン座の和名には『かせ星』があります。

大物主の別名は『倭大物主櫛甕魂命』で、


以前、浦島太郎の投稿で


『甕』は海では亀で、

天空ではオリオン座(参宿と觜宿)であり、

龍宮でもあり、

そしてそこには

六角形の井戸『桂樹の井戸』あり、

清純な水を得られる井戸である

ご紹介してきました。

また『櫛』は

井戸や水祭祀に欠かせない呪術的なもの

であることも紹介しましたね。

つまり『倭大物主櫛甕魂命』は

三輪山の水祭祀を意味する

神の名前なのです。
(櫛笥はお化粧道具を入れる箱で

玉手箱と同じです。)

三輪氏(大神氏)の同族には

鴨君、神部直、神人部直、

須羽君(神人部直)、宗像氏、石辺公、

長公、都佐公、長阿比古氏、

億岐氏などがあり、


その出自としては、

三輪氏は海人族の系譜

(安曇氏、和邇氏と同族)であって、

大和の三輪山麓への

東遷により築かれた氏族であるとする

説もあります。

鴨(賀茂)の伝承も

『吉凶は糾える縄の如し』で

ご紹介したように、


鴨川や高野川の水祭祀があり、

億岐氏は隠岐島の大国主の末裔、

宗像は沖の島の三女神、

安曇氏は

まさにオリオンの三つ星となります。

また、三輪氏は『日本書紀』によれば、

垂仁天皇3年3月

天日槍が来朝したとき、

三輪君の祖の大三輪大友主が遣わされ

尋問したり、

大友主は

仲哀天皇9年2月、

四大夫の一人として

仲哀天皇崩御の宮中を守っています。

敏達天皇14年(585年)6月、

三輪逆は排仏派として

物部守屋・中臣磐余とともに

寺・仏塔を焼き仏像を捨てることを

企てています。

用明天皇元年(586年)5月、

穴穂部皇子が殯宮で

炊屋姫皇后(のちの推古天皇)を

犯そうとしたとき、

炊屋姫の寵臣だった三輪逆が

皇后を守ってもいます。

皇極天皇の時、

三輪文屋は山背大兄王に仕え、

王と共に運命をともにしています。

大化5年(649年)5月には、

三輪色夫が新羅に派遣され、
天智天皇2年(663年)3月にも

三輪根麻呂が新羅征討の中将軍に

任命されています。

天武天皇元年(672年)6月、

伊勢介三輪子首は

大海人皇子(のちの天武天皇)を

鈴鹿郡(三重県鈴鹿郡・

亀山市と鈴鹿市の一部)に迎え、

同年7月には

三輪高市麻呂らが

箸陵(奈良県桜井市箸中)付近で

近江朝廷軍に大勝しており、 

この壬申の乱における活躍が

天武・持統朝における

大三輪氏の地位を高めています。

持統天皇3年(689年)2月、

大神安麻呂が判事になる。
同6年3月、

中納言三輪高市麻呂は

天皇の伊勢行幸が農事を妨げるとして

再度にわたり諫言してもいます。

このように、

垂仁期から飛鳥、白鳳時代まで

中央で活躍した人物を多く輩出しています。



〜続く



『三輪山伝説』そのニ
〜疫病と聖水


〜崇神天皇即位5年、

『疫病が流行して人口の半ばが失われた』。
祭祀で疫病を治めようとした天皇は

翌年に

天照大神と倭大国魂神を

宮中の外に出すことにした。

天照大神は

豊鍬入姫命に託して

笠縫邑(現在の檜原神社)に祀らせた。
倭大国魂神は

渟名城入媛命に託し

長岡岬に祀らせた。
しかし渟名城入媛は

身体が痩せ細って

倭大国魂神を祀ることが出来なかった。



ーーーーーーーーーーー

この伝承は

天照大神と倭大国魂神を

別々に祭祀すること、

また天照大神の巡幸ばかりが

注目されてきましたが、


私は

疫病により人々が多くなくなった

という部分が気になっていました。

〜即位7年、

「昔皇祖大いに聖業高く国は盛であったのに、

朕の世になり災害が多い。

その所以を亀卜にて見極めよう

と詔して、

神浅茅原に幸して

八百万の神を集めて占った。


すると倭迹迹日百襲姫命に

大物主神が乗り移って

自分を祀るよう託宣した。
神の教えのままに祭祀を行ったが

霊験がなかった。
そこで天皇は

沐浴斎戒して宮殿を中を清めて、

「願わくば夢に教えて、

神恩を示してほしい」

と祈った。


するとその夜の夢に

一人の貴人が現れ

自ら大物主神と称して

「もし我が子の意富多多泥古を以って

我を祭ればたちどころに平安となる」

と告げた。
続いて倭迹速神浅茅原目妙姫・

大水口宿禰(穂積臣遠祖)・

伊勢麻績君の三人がともに

同じ夢を見て、

大物主神と

倭大国魂神(大和神社祭神)の祭主を

それぞれ

『大田田根子』と『市磯長尾市』にせよ

という神託を受けた。

そこで大物主神の子とも

子孫とも言われる

大田田根子が探し出されて

大物主神を祭る神主となった。

三輪山を御神体とする

大神神社の始まりである。


市磯長尾市(いちしのながおち)も

倭大国魂神を祭る神主となった。
すると疫病は終息して五穀豊穣となった。

即位8年、 活日(いくひ)という者を

大神の掌酒(さかびと)とした。
そして活日が

神酒を捧げて歌を詠み、

続けて諸大夫(役人)と天皇も

それぞれ歌を詠んだ。

此の神酒は 我が神酒ならず
日本成す 大物主の 釀みし神酒
幾久 幾久
(活日)

味酒 三輪の殿の 朝門にも
出でて行かな 三輪の殿門を
(諸大夫)

味酒 三輪の殿の 朝門にも
押し開かね 三輪の殿門を
(崇神天皇)

【市磯長尾市(いちしのながお)】
海神豊玉毘古命の3世孫

『椎根津彦(大倭国造の祖)』の

5世孫御物宿禰の子で、

弟に御戈命(久比岐国造の祖)、

子に五十野宿禰(倭氏等の祖)と

矢代宿禰(明石国造等の祖)がいる。

【椎根津彦】
神武天皇が東征において

速吸門で出会った国津神で、

船路の先導者となる。

このとき、『日本書紀』では

曲浦(わだのうら)で魚釣するところを

椎の棹を授けて御船に引き入れて

名を珍彦(うづひこ)から椎根津彦に

改めさせたとあり、


『古事記』では

『亀の甲羅』の上に乗っていたのを

棹をさし渡し御船に引き入れて

槁根津日子の名を賜ったという。

〜続く




『三輪山伝説』その三
〜陰陽で見る三輪山の祭祀






おそらく

大国主は

金気(大和から見て西の出雲に鎮座)の三合


建御名方は

木気(東の諏訪に鎮座)の三合、


大物主は

水気(倭大物主櫛甕魂、櫛甕は水)の三合

属性があり、




ねぎしさまから




故に大物主は

陰である女性が祭祀できない存在なのです。

『日本書紀』崇神天皇6年条によれば、

百姓の流離や背叛など

国内情勢が不安になった際、

崇神天皇は

その原因が天照大神・倭大国魂神の2神を

居所に祀ったことにあると考えた。

そこで天照大神は

豊鍬入姫命につけて倭笠縫邑に祀らせ、

倭大国魂神は渟名城入姫命につけて祀らせた。
しかし、渟名城入姫命の髪は抜け落ちて

体も痩せてしまったため、

倭大国魂神を祀ることが出来なかったという。

参考
「渟名城入姫命」

『日本古代氏族人名辞典 普及版』

吉川弘文館、2010年

また、渟名城入姫の『渟名』は

玉井(玉のように清浄な井、

または泉に入った姫)の事で

水局の三合ですから


三輪山の水祭祀の倭大国魂が

祭祀出来ないのは

尚更ですね。


女性と水は

同じ陰の存在ですから

祀ることが叶わないのです。

*姫の髪が抜け落ちる、

櫛が使えない(水祭祀ができない)と

表現したのです。

大物主を祀った

『オオタタネコ(多分男性)』は

茅渟県(ちぬのあがた)の

陶邑(すえのむら、陶器荘)にいたので、

水を入れる器(土気)、

甕を持っていたのですね。

(土剋水)

倭大国魂神を祀った

『市磯長尾市(いちしのながおち)』は

海神『豊玉毘古命』の

3世孫椎根津彦(大倭国造の祖、

おそらく風伯がモデル)の

5世孫御物宿禰の子、

つまり龍宮(参宿、オリオン座)の出身

ですから、

国魂を祀るのにふさわしい人物なんです。

それに対して


『天照大神』を祀った豊鋤入姫は

『笠縫邑(天上のドーム、

星が元いた場所)』で祀り、

倭媛は

磯城の

『厳橿の本(三諸の厳橿、三輪山の木)』で

祀ったので

水生木(すいしょうもく)となり、


木は水によって養われ、

水がなければ木は枯れてしまうので、

陰陽の循環が成り立ち、

さらに鏡を依代にする事で陽(気)になり、

木気は方位は東ですから

東へ移動(伊勢国)することになります。

そして

日神へと昇華するのです。

【大神神社】
『古事記』によれば、

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が

出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の

前に現れ、

国造りを成就させる為に

「吾をば倭の青垣、

東の山の上にいつきまつれ」と

三輪山に祀まつられることを望んだ

とあります。

また、『日本書記』でも

同様の伝承が語られ、

二神の問答で

大物主大神は

大国主神の 

「幸魂(さきみたま)・

奇魂(くしみたま)」であると

名乗られたとあります。



ニコニコ出雲大社、ご神語ですよね



そして『古事記』同様に

三輪山に鎮まることを望まれました。
この伝承では

『大物主大神は

大国主神の別の御魂として顕現』され、

三輪山に鎮しずまられたということです。

〜大神神社御由緒より 

以前、神話は

古代の天文観から作られており、

道教や神仙思想を元にしていると

推測してきましたね。


古代の天文観では

西に沈んだ星々は、

西から東へ移動する時は 

地下を移動すると考えられていました。
星々は天上のドームに開いた穴(筒)で、

神々や亡くなった人の魂は、

その筒を通り

天上と天下(地上)を往来する事になります。
出雲は

大和からみて西の星の沈む場所であり、

大国主は

冥界の入口を司る土地神の盟主

なんです。


しかし、大和から遠い出雲に祀られた

大国主では

大和を守護する神とは言えず、

ここに登場するのが、

大和の東にある聖なる山、

三輪山へ西から地下を通り、

山上の天空へと出現する大物主なんです。


神話にある大国主と大物主の問答は、

冥界の主の分身として、

大和の守護神となる大物主を、

古い皇族や豪族の聖地であり、

陵墓が集中する場所に移す事により、

土地神としての機能を持たし、


さらにその末裔たちが

子孫繁栄を願うことに繋がるのです。


故に大物主は

末裔のオオタタネコが祀り、

倭大国魂は

海人由来で道教的な風伯をモデルとした

シイネツヒコの末裔の

倭国造の市磯長尾市が祀るのです。


神話はさらに祀る対象を

天神(アマテラス)の子孫を

特別な存在として、

その子孫の豊鍬入姫や倭姫に

祀らせるようになるのです。


これらは、

亡くなった人(祖霊)を

子孫が正しく祀るという、

農耕やそれに繋がる土地神、

水信仰や鬼神信仰が

その根源にあるのです。



〜続く




『三輪山伝説』その四
〜三輪の椙(すぎ)と酒


味酒呼
三輪之祝我
忌杉
手觸之罪歟
君二遇難寸

味酒を
三輪の祝が
いはふ杉
手触れし罪か
君に逢ひかたき

うまさけを
みわのはふりが
いはふすぎ
てふれしつみか
きみにあひかたき

三輪神社の神官があがめる神木の杉。
その神木に触れてしまったたたり

なのでしょうか、

なかなかあの方に逢えないのは

丹波大女娘子 
万葉集第4巻 712番歌

【椙.杉】
スギ科の常緑針葉樹。
日本特産。
まっすぐ高く伸びるので、

古くから神を祭る神聖な木とされ、

杉葉は神事にも使われた。
奈良県桜井市の三輪明神の神杉や

京都伏見稲荷の験の杉は

神木として知られるが、

ほかにも大杉神社・老杉神社・

杉山神社など、杉を神体とする社がある。

杉枝は安産のお守りや魔除にもされ、

流行病・百日咳などには

「過ぎてよし」の語呂合わせから

杉と葦を戸口につるしたりした。
杉の箸や杖を地にさしたら根づいたとする

箸杉・杖杉の伝説もある。

杉と酒との関係も深く、

三輪明神の神助で美酒ができたとして、

杉葉で玉を作って「酒林」と称し、

酒屋の軒につるして看板にする。
酒樽も杉で作ると

杉香がうつってよいとした。

死者の三十三回忌には

弔い上げに

葉のついた杉の生木の塔婆

(杉仏・葉付塔婆)を墓所に立て、

死者が神になったとする。

神聖視されて

民家の屋敷内に植えたり

垣を作るのは家が滅ぶとして嫌われた。

また杉の立ち枯れは凶兆とする。

杉の脂は

火傷・ひび・・吹き出ものに効く。 
weblino辞書参考
〜続く




『三輪山伝説』最終回
〜大神神社の神紋は三本杉


杉の解説 - 小学館 大辞泉
さん【杉】
[常用漢字] [音]サン(漢) [訓]すぎ

〈サン〉木の名。スギ。「老杉」
〈すぎ〉「杉皮・杉板/糸杉」

杉の木は

すなわち以前からいつも

電柱に用いる樹木である。
中国の南では

杉の木の樹齢が400年を超えるものが多くある。
まっすぐ立って天に向かう形は、

世間に満ちている。
雨量が十分で、

温暖な気候、酸性の土壌は

杉の木の生育を早くさせる。
内外で有名な中国の「福州杉」は

この代表というべきものだ。

杉という字は

木に彡を組み合わせている。
当然これは「三」の変形である。

中国にあっては

数詞の「三」と「九」は同様で、 

どれも数の多いという意味をあらわしている。
このため

影の「影」や彩色の「彩」

その偏旁は皆「三 」で、

重なりや横に並んだ多いという意味を

示している。
杉の木は単独で成長するものではなく、

一塊の林をなす。
杉の木の樹冠は小さいが

樹茎は大きく高く、

一株一株は緊密に寄り添い

一種独特の生態系をなしている。
三五の塊をなし、数片で林をなす。
そこで漢字中の「杉」の便利なところ。 

《杉槽漆斜》の言葉は

蘇軾の中の《宿海会寺》という

詩に出てくるが、

「高堂延客夜不扁 , 杉槽漆解江湖倾。」

ここでの「杉槽」は

杉の木で作った大きな浴槽のことを言う。

漢字「杉」の起源と由来
引用:「汉字密码」

(P162、唐汉著、学林出版社)

神社等の御神紋は、

そのほとんどが平安時代に起源があり、

更にそのルーツは

古墳時代や飛鳥時代の織物の絵柄である

と考えられています。


また、その神社に祀られている神様に

縁のある物や祭具、

または神社ゆかりの神木などの

植物を意匠としたりしています。

奈良県桜井市にある「大神神社」

(おおみわじんじゃ)の

神杉(かみすぎ)が起源の

「杉紋」が例として挙げられます。
他には伝説やその土地の言い伝えに基づく

神紋です。


平安時代の学者で

政治家の「菅原道真」を祀る

「天満宮」の「梅紋」は、

生前の菅原道真が

梅の花をこよなく愛したという

言い伝えがもとになっていると

言われていますし、 

陰陽道や道教、

或いは仏教の影響がある意匠も

あるようです。




今までの投稿で


三輪山(倭大物主櫛甕魂命)は

糸巻きに見立てられていて、

その本来の意味は『かせ』であり、

甕(ミカ)である

オリオン座(觜宿、参宿)である

と推測してきました。




参宿の参はシンと発音しますが、

日本語ではサンで

数字の三と同じです。


参は

オリオン座の三つ星が由来であり、


大神神社の御神紋は『三本杉』、

『杉』の音読みは『サン』となります。


これは単なる偶然ではなく、

三輪山信仰の本来の姿に基づいているもの

なのです。


造酒司の投稿でご紹介したように、


甕(オリオン座、觜宿、参宿)

陰陽では三局会合が重なる六合であり、

見かけの図は籠目となり、

水局と火局の重なる部分は

六角形となります。



また、造酒司の井戸の屋根が

六角形であったり、

平城京朱雀門近くでは

六角形井戸が発見されたり、

神話の山幸彦が

海神の宮(龍宮)で

豊玉姫と出会う場所が

『玉井(桂樹井戸)』で、

これは

参宿の星官の

『玉井ギョクセイ』が起源である

と推測した事と符合しています。


大神神社はお酒の神様でもあり、

井戸の霊水など、


『天空のオリオン座』と

『三輪山の水信仰』は共に

深く関わっているのです。

因みに

出雲の多くの神社の御神紋は

『亀甲』、六角形ですね。


〜続く


『倭大物主櫛甕魂命は水の恵み』
〜櫛と甕は水信仰、三輪の磐井

考古学者石野博信の説によると、

三輪山麓には

聖水思想が古代から存在したことが

指摘されている。


纏向遺跡尾崎花地区の井泉と

家ツラの導水施設は、

古典で言う

井水を浄化して

聖水とするための施設であると推測し、


「三輪の磐井」と呼ばれる井泉があり、 

大泊瀬皇子(後の雄略天皇)と

「三輪の磐井」のほとりで戦った

御馬皇子が、

「この水は、百姓のみ唯飲むこと得む。
王者は独り飲むこと能(あた)はじ」

(『日本書紀』雄略天皇即位前紀)と

呪詛したことを挙げ、


5世紀頃の三輪山麓に

聖水思想があったこと、

それが纏向遺跡の

「尾崎花の井泉」によって、

3世紀にまで遡ることが分かるとしている。
wik参考



『魔力を持つ櫛』
〜水は天から流れだす



櫛は、女性にとって

髪を梳かす道具として欠かせないもので、

かつ若さや美の象徴でもありました。


しかし一方では、

昔から櫛には

強い霊力や魔力がある

と信じられてきました。


例えば

井戸からよく出土することから、

井戸に櫛を入れることによって

水が豊富に湧くと信じられ、

櫛は水の精霊と関係があることが

指摘されています。
また古代から櫛にまつわる話も

沢山あります。



『日本書紀』の中から一例を紹介すると、

素戔嗚尊の八岐大蛇の退治の

一節が挙げられます。



高天原を追放された素戔嗚尊は、

出雲に流れつき、

奇稲田媛命(古事記では櫛稲田媛命)が

人々に災いをもたらす

八岐大蛇の人身御供されることを知り、

湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に変身させた

奇稲田媛命を

自分の髻(みずら)に挿し、

大蛇を退治する話です。



奇稲田媛命は

田の神に仕える巫女といわれ、

奇は美称で美田・豊穣を意味する

といわれています。


八岐大蛇が水の精霊と考えると、

奇稲田媛命は、

処女が水の精霊に奉仕する

という農耕儀礼に関係がある

と思われます。・・・

桜井市立埋蔵文化センター
平成23年度 企画展
祈りの世界〜遺物に込められた

先人たちの願いより〜 抜粋

『日本書紀』崇神天皇6年条によれば、

百姓の流離や背叛など

国内情勢が不安になった際、

崇神天皇は

その原因が

天照大神・倭大国魂神の2神を

居所に祀ったことにあると考えた。
そこで天照大神は

豊鍬入姫命につけて

倭笠縫邑に祀らせ、

倭大国魂神は

渟名城入姫命につけて祀らせた。
しかし、渟名城入姫命の

『髪は抜け落ちて

体も痩せてしまった』ため、

倭大国魂神を祀ることが

出来なかったという。

この記事の

『淳名城入姫の髪が抜け落ちる』

という表現は、

姫が髪が抜けて櫛が使えない、

つまり

『水祭祀』ができない

といっているのです。




文、蛯原春比古さまに

帰属します

マネはできません!