織田信長と明智光秀も、五行論から | その先、ヒカリ♥

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蛯原さまの考察
シェアさせて頂きました

ありがとうございます
 




『土岐は土気』

〜陰陽と桔梗と空色


ときは今 
あめがしたしる 
五月かな

明智光秀

岐阜県瑞浪市日吉町(東美濃)には
10世紀中頃に成立した
「美濃国神名帳」に記載されている
「酒波神社さかなみ」が鎮座しています。

「土岐郡座七社」の中で
神名帳には正一位の
最も高い神格が授与されていて、
中世に土岐氏によって
八幡神が合祀され八幡宮と
呼ばれていたようです。

この正一位酒波神社の名前
「酒波」の由来は

「神道大辞典」によると
大嘗祭や新嘗祭に特別に造られる「神酒」、
 
?「白酒(しろき)、黒酒(くろき)」を醸す
長(造酒児)の助手として奉仕する
女性(陰陽では黒)の事
らしいのです。


何故、「白酒」と「黒酒」が
新嘗祭や大嘗祭で御神酒となったのか?

白黒で陰陽を表している
ともとれますが、

黒酒は
白酒に 
わざわざ「久佐木(くさき)」という、
少々臭い匂いのする木の灰を混ぜて
作るらしく、
とても美味しいとは言い難いようです。


陰陽五行では

北は北辰、つまり玄武で「黒」、

西は「白」、

そしてその間にある

北西は天門で、
陰陽道では
怨霊や魑魅魍魎などの災いが
出入りする方角で、忌むべき方角

としています。


しかし、この天門を鎮めると、
家運が永久に栄え、
子孫が繁昌するとされてもいます。

他の方位神とは異なり、
天門は 
常に乾(北西)の方角にあり、
重要な方角としての
「白」と「黒」の間があてはまるのです。








〜陰陽五行の「気」を簡単に説明すると

 木(木気)
木が持つ形態や性質を
観念化したものです。

一例として
曲がったり真っ直ぐになったり
することがあげられます
(樹木が生長する様子)。
「春」を象徴します。

火(火気)
火が持つ形態や性質を
観念化したものです。

一例として
明るく熱く燃え上がることが
あげられます。
「夏」を象徴します。

土(土気)
土が持つ形態や性質を
観念化したものです。

一例として
実のあるものを持つことや
作物を植えたり取り入れたりすることが
あげられます。
「季節間の推移」を象徴します。

金(金気)
金属が持つ形態や性質を
観念化したものです。

一例として
冷たく硬いことがあげられます。
「秋」を象徴します。

水(水気)
水が持つ形態や性質を
観念化したものです。

一例として
冷たく潤いがあり流れ下ることが
あげられます。
「冬」を象徴します。





白酒に灰(土気)を混ぜることにより
黒酒とする。

秋から冬へと
季節の移ろいを表している、

土岐郡の正一位酒波神社は

正に陰陽の「土気」を意識して
造られているのではないでしょうか。

土岐では
黒酒を作っていた?と
なるのかもしれません。

ですから
郡名の「土岐」も
この「土気」からきている
とも考えられるのです。

実は
美濃国から遠く離れた近江高島市に
「酒波寺さなみ」があり、
「日置神社」も祀られています。

近江高島は
古代より酒造に所縁のある場所
でもあります。

また
瑞浪の「酒波神社」は
日吉町に鎮座していて、

付近には古墳群があり、
奈良時代の創祀となっています、

かたや
近江高島市の酒波寺や日置神社も
奈良時代の創祀であるようです。

この二つの祭祀場には
その「酒波」という言葉と
「日置、日吉」など
「日」が共通していて、

瑞浪の日吉の隣町は
月吉という集落になっていて、

日と月という陰陽
(太陰が月、太陽が日)が
地名となっています。

日置の名前を持つ古代豪族は
「日置氏」と言って、

もともとは
宮内省主殿寮殿部(とのもり)の
負名氏(なおいのうじ)の一つで、

本拠は
大和国葛上郡日置郷にあり、
地縁的にも職掌的にも
同じ負名氏の鴨氏と
類縁の関係にあった
と考えられているのです。

葛城の鴨氏が
阿治須岐託彦根(あじすきたかひこね)神を
祀るのに対し、

日置氏は
この神の妻という
阿麻乃弥加都比女(あまのみかつひめ)を
祀っていたと、

尾張国風土記は伝えています。

鴨氏と言えば
上賀茂・下鴨を祭祀してきた
陰陽道の中心と言ってもいいでしょう。

その鴨氏と近い日置氏もまた
陰陽五行に基づき
「阿麻乃弥加都比女」という女神を
祭祀がしながら、

近江高島や美濃瑞浪で
大嘗祭や新嘗祭に特別に造られる
「神酒」、
「白酒(しろき)黒酒(くろき)」を醸す
長(造酒児)の助手として
奉仕していたのかもしれません。






〜土岐氏の家紋


家紋は空色桔梗紋で、
白黒紋などではなく
彩色紋として知られています。

その由来は
土岐光衡が
戦さで桔梗花を兜に挟んで
戦ったのを記念して、
家紋としたのが始まりと伝えられて、

「土岐桔梗」と呼ばれているます。

旗紋としては
空色(水色)地に白抜きの桔梗紋。

桔梗という花の漢字の読みは、
中国で
キチコウと読ばれていたものが、
変化して
キキョウになったと言われています。

一説では
神仏にお供えする花として、
吉凶を占ったので
キキョウと呼ばれるようになった
とも言われています。

また、万葉集では「あさがお」は
「桔梗」の事であるとされていて、

「あさがお」の別名は「牽牛」で、
その種は「牽牛子」で、
中国古医書「名医別録」では、
牛を牽いて行き交換の謝礼したことが
名前の由来とされています。
(牽牛ですから
星そのものの名前でもあります)

また、あさがおの種のみならず、
現在の桔梗も薬草として、
生薬(桔梗根という)として
利用されているそうです。
(サポニンが多く含まれている)

かの有名な陰陽師「安倍晴明」が
使用した五芒星を「桔梗印」と呼び、
現在の京都晴明神社では
御神紋とされています。

冒頭の明智光秀の連歌は
天正10年(1582年)
5月24日(あるいは28日)、
山城国愛宕山五坊の一つである威徳院で、
明智光慶、東行澄、里村紹巴、
里村昌叱、猪苗代兼如、里村心前、
宥源、威徳院行祐と
巻いた百韻で
発句は
光秀の
「ときは今 あめが下しる 五月かな」

脇は行祐の
「水上まさる 庭の夏山」

第三は里村紹巴の
「花落つる 池の流を せきとめて」
となっています。

私は特に
第三の
里村紹巴の句が重要だ
と考えています。


確かに光秀の歌は
天下掌握を示唆するもの
ともとれるのですが、
紹巴の歌も
それに呼応する内容、
むしろ光秀の歌を増幅するような
内容だと思えるのです。



〜織田の由来


織田一族の発祥地は
越前国織田荘
(現・福井県丹生郡越前町)にある
劔神社で
神官の家系だったといわれています。

現地では織田明神と呼ばれ、
「素戔嗚命」を御祭神としています。

また丹生という地名も
全国にありますが、
特に「水神」に所縁のある場所
でもあるのです。

また、素戔嗚命は
神話では八岐大蛇を退治し、
その尻尾から
「アメノムラクモ剣」を見つけ、
後に皇室の三種の神器となり、
尾張熱田神宮の御祭神の依代
にもなっています。



アメノムラクモは
漢字では「天叢雲」と書き、
これは神剣のある場所に
雨が降りそうな雲が湧き立つイメージを
意味しています。
実際に
ヤマトタケルが
焼津で火攻めにあった時に
剣のおかけで助かることになり
火に勝つ「水の剣」ともいえます。
(後に草薙の剣と名前が変わる)

信長の織田家は
愛知県津島市の津市神社を氏神とし、
御祭神は素戔嗚命(牛頭天王)
としています。

また、今川義元を討ちとった
桶狭間の合戦では、
信長は熱田神宮に軍勢を集結させて
熱田神宮に戦勝祈願を行い、
最前線の善照寺砦に向かっています。

桶狭間では『信長公記』に
「石水混じり」と書かれているように、
視界を妨げるほどの豪雨が降っていて、
義元を討ちとるのに
少兵の織田勢にとって
恵みの雨(水)であったかもしれません。

織田は
「水」と所縁が深く、
天の川に流れる水であり、
織姫星に由来する名前だと思えるのです。
(桔梗は牽牛、不思議な一致ですね)


中国神話では
天の川の水が溢れると
度々災害を起こすといわれ、
紹巴は
池から流れだすのは川(天の川)であり、
それを堰き止めるのが
「土」であると考え、
花は天の花、
(純白で見る者の悪業を払うといわれ、
天人が雨のように降らすという
伝説があります)
つまり、天下を治めようとしている
信長の「水」を堰き止めて、
天人の花を流さないようにするのが
「土」の役目となることを
示唆しているのではないでしょうか。



ニコニコおもしろいですよね〜
五行論を知れば
何にでも当てはまる!
神話も歴史も
この五行論さえ知っていれば
わかりやすいんですよ!


〜土は水を堰き止める

陰陽五行の

相剋
(そうこく・
相手を打ち滅ぼして行く関係・陰の関係)

土剋水(どこくすい)
土は水を濁す。
また、土は水を吸い取り、
常にあふれようとする水を
堤防や土塁等でせき止める。
となっていて、
土気(土岐)には水を堰き止める力がある。

相侮(そうぶ) 
(逆相剋。侮とは侮る、
相剋の反対で、反剋する関係にある。)

水侮土
水が強すぎると、
土の克制を受け付けず、
逆に水が土を侮る。

陰陽で
光秀と信長を対比すると
かなり意味深な感じがしますね。

土岐氏の支流とされている
明智光秀は、
若い頃、医学に詳しい人物であった事が、
6年ほど前に
熊本で発見され古文書に
書かれているそうです。
また明智光秀を知る
最も古い資料として、
ドラマの開始に合わせ
熊本県立美術館で公開されています。
また、光秀は
愛宕百韻の連歌会の前日、
愛宕山の愛宕神社に参拝し、
三度、おみくじを引いたとされています。
戦国時代の武士たちも
戦さの吉凶を占うこと、
あるいは神事を行うことは、
ごく当たり前であり、

当時の記録「フロイス日本史」には
光秀の宗教に対する評価があり

「悪魔(=神道・仏教)と
その偶像の大いなる友」で、
イエズス会に対しては
「冷淡であるばかりか悪意を持っていた」
と記されています。

当時の神道は
陰陽道も含まれ(仏教では宿曜道)
フロイスの記録の通りなら
光秀は
陰陽道に通じていたとも
言えるのかもしれません。

〜連歌

連歌は
原則として複数の作者による
連作によって展開し、
集団制作による詩形である連歌は
講と繋がり
「天神信仰」と結びついています。

天神信仰は
菅原道真の怨霊を鎮めるもの
といわれていますが、

酒波神社の説明と同じで、
元々京都の北野の地には
平安京の西北・天門の鎮めとして
火雷神という地主神があり、
その場所に北野天満宮を建立し、
道真の怨霊を鎮めようとしたもので、
天門は
陰陽道に深く関係があるのです。

因みに「明智光秀」の「明」は
日と月を合わせた字で
「日は太陽」「月は太陰」で
陰陽そのものの意味ともとれます。

明智家歴代当主には
「光」の字が多く使われ、
「光」は
三辰信仰の「星」に由来するのかも
しれません。
「日月星」ですね。


ニコニコわたしの地元、仙台には
全国の三光宮の総本社、青麻(あおそ)神社が
あります

*徳川家康は
松平氏の七代目なんですが、
三代目の松平信光は
一時的に
「賀茂氏」を名乗ったようですね。
墓所の候補は
「愛知県岡崎市鴨田町の大樹寺」で鴨田町。
双葉葵は
陰陽家の賀茂氏の紋ですが、
三つ葉葵は
じつは存在しない葵らしいのですが、
しかし
葵紋では一番有名ですね。


*久佐木(くさぎ)

果実は草木染に使うと
媒染剤なしで絹糸を 
鮮やかな『空色』に染めることができ、
赤い「がく」からは
鉄媒染で渋い灰色の染め上がりを
得ることができる。
花のガクは
五芒星の形になっています。

wik参考

*愛宕神社の愛宕五坊は
朝日峰の愛宕権現白雲寺・
大鷲峰の「月輪寺」・
高雄山の神護寺・
竜上山の「日輪寺」・
賀魔蔵山の伝法寺。

月輪、日輪と、明智の「明」があります。

儒教には
五常「仁・義・礼・智・信」
というものがあり、
仁・義・礼・智・信 とは
「優しい心」「強い心」
「感謝する心」「正しい心」
「正直な心」を差し、
陰陽五行では
仁は木気、義は金気、
礼は火気、智は水気、
信は土気とされているようです。

土気は、
色は黄色、
方角は中央、
季節は季節と季節を結ぶ
中央の土用になります。

信とは、
心と言葉、行いが一致し、
嘘がないことで得られる信頼です。

また、死は土気であり、
五行の中央で
すべての季節をつないでいます。

死は陰が極まる象徴であり、
陽の萌す始まりなのです。



ニコニコ2022年の方位盤は
真ん中の中宮が、五黄土星でした
まさに
「終わりであり始まり」の年でした
その年から悪事を働いた、プーチン
いいように見えて
確実に、ロシアは腐ってきています


ですから、死は
次なる繁栄を導く契機である
と考えれているのです。

つまり、土は
万物の命をその中から生成し
発現させる働きを有すると同時に、

土はまた、万物の終わり、 
死を促す交替の働きを強く有しています。 

織田氏は
越前国丹生郡の出自です。

丹生はニウ、つまり「牛」を意味し、
牛宿には織姫と牽牛がいて、
織姫の一字から
織田と名乗ったのかもしれません。

尾張熱田神宮の神剣は
水気のアメノムラクモ
(天叢雲、水を生じさせる雲、
天空では星団)であり、
草薙の剣
(焼津で火攻めにあった
ヤマトタケルを救う)です。

織田氏は
越前丹生郡の出自で
劔神社の神官、スサノオが御祭神で、
信長の織田氏も
津島神社の
スサノオ(牛頭天王)祀っています。

スサノオは
海を司る神、
信長自身は
牛頭天王(スサノオ)と言っていますね。

つまり、水なんです。

水を堰き止めるのは土、
土気は陰陽五行の中心で
死を意味すると共に
始まりも意味しています。

「あめ」は水ですから。

信長が
天下に知られるようになったのは
『桶狭間』、
つまり、水を入れる器(桶)だったんですね。

織田氏の家紋の木瓜紋は、
まさに木気ですから、

水から生じるのは木、
さすが劔神社の神官ですね。
よく考えられている家紋です。


かたや光秀は
桔梗(土岐桔梗)ですから、
五芒星(清明桔梗)そのものであり、
土岐氏で
土気になりますから
五芒星の中心ともいえます。

水は天から落ちてくる、
つまり織姫と牽牛のいる
天の川から生じることになりますから、

その水(織田)を堰き止めるのが
土(明智・土岐)である
と言っているのでしょう。

本能寺が何故、焼かれたか?
焼く必要があったのか?
それが、ずぅーっと悩んでいたこと
なんですが、

木(木瓜)を焼くと灰(土)が生じます。


土気は死と再生を意味しますので、
本能寺を焼いて
土(土岐、明智)が生まれることが
必要だったのですね。


文、蛯原春比古さまに
帰属します
マネはできません



ありがとうございます