目には見えねども、あるのだよ | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!




造化の力―「むすび」①


安岡正篤教学一日一言


大自然の信仰に関しても、

人間を滅ぼし、
世の中を壊してしまうような
神力(しんりょく)ではなく、

物を成し、人を生み、
世を修めてゆくような、

『古事記』にいわゆる

「是(こ)のただよへる国を
修理固成
(つくりかためな)す」

という、
創造のはたらきを

崇拝(すうはい)している
のであります。


この物を造り、
不思議な作用をなす造化を

「むすび」
(産霊(むすび)、
産単日(むしび)、
産日(むすび)。

日も霊も「ひ」で、

「むす」は化生という意味。

産や巣をあてたのは面白い)

と称するのであります。

その最も大宗(たいそう)は

「たかみむすびの神」と
「かみむすびの神」とであります。



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日本人であるがために、
ご縁を大切にし、
むすばれているその絆を
大切にしたいものです。


ありがとうございます


造化 とは

  1. 天地や万物を創造すること。
  2. 天地や万物を創造した神。造物主。
  3. 天地。自然。森羅万象。
  4. 万物が生滅変転し無窮に存在していくこと。自然の運行。
  5. 幸運。運命。
  6. 造作。ものをつくること。



また、安岡正篤先生は、


造化と人

安岡正篤教学一日一言

造化は
人を通じて心を発(ひら)いた。

心は
人の心であると同時に、
造化の心であって、

造化は
心によって自(みずか)ら
「玄(げん)」より
「明(めい)」に化し、

人は
造化の一物に過ぎずして、
しかも個の心によって
またそのまま造化なのである。


人がもの思うのは、
すなわち
造化が
もの思うに他ならない。

*造化・・・天地万物を生成化育してやまない
宇宙や自然の根元にある霊力・営為。

*宇宙・・・東洋古典の宇宙は、
すべての空間と時間。
及びそれに包含されるものを
意味している。



造化の三作用

安岡正篤教学一日一言



細(こまか)に
造化の特質を省察すれば、
何人も
そこに三つの顕著な作用を
看取することが出来るであろう。

第一、
造化は無限の分化生成であること。
由(よ)って森羅万象があり、

第二、
造化は不断の向上化育であること。
由って万物の霊長なる人間あり、
人間の師表たる哲人君子がある。

第三、
造化は体系的発展であること。
万物はいかほど相分かれても、
畢竟一造化
―いわゆるそれぞれ所謂
天地同根・万物一体である。
故に夫々(それぞれ)
各自(己、私)であると同時に、
全体(大宅、公)の部分である。

*師表…人の師、手本となること、
また、そのような人。

*天地同根・万物一体…
『伝習録』に見える王陽明の言葉に
「献しその天地万物一体の仁、
疾痛(しっつう)迫切にして
これを巳(や)めんと欲すと
雖(いえど)も、
自ら己む容からざる所あればなり。
ああ、これ誠に
天だれ地万物を以て
一体となす者にあらずんば、
だえ孰(だれ)か能く以て
夫子の心を知らんや」
とある。



禅問答、公案とも言われるが、
それに有名な
「隻手の声(せきしゅのこえ)」
というのがある。

「両手を打つと、音が響きます。
しかし、片手では、
どんな音がするでしょう」。

 江戸時代中期の禅僧、
白隠和尚が修行僧に問いかけます。
 「両掌(りょうしょう)打って
音声(おんじょう)あり、
隻手(せきしゅ)に何の音声かある」と。

 隻手とは、片手のことです。
片手では、打つことが出来ません。
音も響かないでしょう。
その片手の音をどう聴くのでしょう。

 白隠和尚は、
修行者を
日常的な判断や思考、
思慮分別を超えた世界に
導いているのです。

いくら耳で聴こうとしても、不可能です。
頭で考えても答えは出ません。

「隻手(せきしゅ)音声(おんじょう)」に、
何か意味ある答えは
無いのです。

理屈や分別に固執しているうちは
ダメだと示しているのです。

言葉を超えたところに、
体現できることがあります。

 世の中には、
言葉では説明できないことが
たくさんあります。

自分に向かって、
声や音にならないが、
無言で何かを訴えることもあります。

声なき声、音の無い音、
耳では聴き取れない音声があります。

音や声は耳で聴くもの
と云う
固定観念を捨て去り、

音声を目や鼻や肌、
全身全霊で受け止めることが
大切なのだと
示してくれています。

 「隻手音声」は、

常識とか当たり前に、
こだわりながらそれが正しいと
凝り固まって生活している
自分に向かう、

一喝言です。



 


金子みすゞ『星とたんぽぽ』より。

青いお空の そこふかく、
海の小石の そのように、
夜がくるまで しずんでる
昼のお星はめにみえぬ。
        見えぬけれども あるんだよ
        見えぬ ものでも あるんだよ。

ちって すがれた たんぽぽの
かわらのすきに だァまって、
春の くるまで かくれてる。
つよい その根は めにみえぬ
        見えぬ けれども あるんだよ、
        見えぬ ものでも あるんだよ。