神代文字ではない、カタカムナ | 最強運貯めガイドブック♥古事記、黄泉の国を知る事が大事だよ♥カミコトは記紀の歴史の真実を知る事

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蛯原さまの考察
シェアさせて頂きました

ありがとうございます

カタカムナ文字とは


『神代文字ではないカタカムナ』

〜SF好きな一家に捧げられた文字、
もしかすると
星新一のブラックジョーク

カタカムナ文字を
信じていらっしゃる方には
申し訳ないのですが、

カタカムナ文字が
何をモデルにしているのか、

わかったような気がします。



「DIN記号(電気設備図面の
フローチャート記号、論理回路記号)」

だと思います。


ドイツの記号(工業規格)として
使われていたデザインですから、

日本風にアレンジして
現場で使おうとしていたのでは
ないでしょうか。

楢崎某氏は

電気関係の技術者でしたから。



【カタカムナの意味】
カタカ(ムー大陸的)ナ文字。 

【カタカムナ文字とは】
1949年に
楢崎が
六甲山系の金鳥山付近で
64日間にわたる
大地電気測定の研究を行っていた折、

猟師の姿をした
平十字(ひらとうじ)という人物から
調査用に設置した機材について
苦情を受けた。

楢崎が
苦情に応じて
直ちに機器を取りはずすと
平十字から感謝され、
お礼代わりに、
平十字の父親が
宮司をしていた
カタカムナという神社の
ご神体であった巻物の書写を許された
という。

これが今に伝わる
カタカムナ文献であるという。



原本成立の経緯が、
楢崎が
解読できたと主張する冒頭箇所に
書かれているという説がある。

森克明の著書によると、
楢崎が解読した冒頭には

「アシアトウアン
 ヒビキマノスベシウツシフミ」

と記載されており、

『アシアトウアン』なる人物が
元となる文書を写したように
読めると主張する。

とはいえ、
文献をご神体として祀る
「カタカムナ神社」は

現在の
「保久良(ほくら)神社」である
とする説が有力であるが
現在のところ不明であり、

ご神体の巻物も
同じく所在不明ではある。



『平十字とは誰か』
〜名前のトリック

このトリックは簡単なんです。

カタカムナは
カタカナにムー大陸を入れていますが、

平は平賀で『ひらが』、
十字は『ナ字』で、
二つを合わせると、
平(賀)ナ字=平十字

『ひらがな字』です。

これは
カタカナ(カタカムナの元)に対し
『ひらがな』を平十字としたんです。

『字』は
名前なら普通は
『次』や『ニ』ですよね。


楢崎は
電気技師でした、

江戸時代にエレキテルを作ったのは
『平賀源内』ですね。

つまり、
『ひらがな』になるんです。



【楢崎 皐月(ならさき さつき、
或いは「ならさき こうげつ」】
1899年5月9日 - 1974年7月31日)
日本の物理学者・
電気技術者、
疑似歴史家。

カタカムナ文字という
古代文字の文献を発見・
解読したと主張し、
「カタカムナ文明」と称する
超古代文明の科学について論じた。

一部で天才的な科学者と称賛されたが、
学界からは評価されておらず、
存在自体あまり知られていない。

その常識とかけ離れた広範な研究は、
一部を除いて
ほとんど評価されておらず、

彼の発想全体を
誇大妄想と考える人も少なくない。

経営コンサルタントで
オカルティストの『船井幸雄』が注目し、

楢崎が
カタカムナ文献の内容として説いた

「イヤシロチ」に
度々言及したことで、

現在でも一部で知られている。

中学校卒業後、
兄と同じ東北帝大への進学を
目指して上京したが、 
受験時にトラブルで遅刻して失格となり、
1917年もしくは1918年に
日本電子工業の電気の専門学校に入学した。

日本石油と契約を結び、
20代で特殊絶縁油を開発し、 
事業化した。 

兄と共に
雷の研究を行っていたが、
兄は実験で死去したという。

大日本炭油で
亜炭を原料とする
人造石油精製の研究を行い、
これが軍に評価され、満州に渡った。

満州にて
日本軍の製鉄に関わる
技術職に従事する。

ここでの経験から、 
製鉄の出来不出来と、
溶鉱炉のある場所の周囲の
植物の状態に関係があることに気が付き、
土地の環境(イヤシロチ等)に
興味を持った。

また、1944年に
老子廟で蘆有三導師という人物と出会い、
老子の思想と蘆有三の博識さ、
神秘性に触れて感銘を受け、
上古代の日本に
「アシヤ族」という
高度な文明を築いた民族がおり、
「八鏡の文字」を使い、
様々な技術を開発し、
これが神農によって
日本から中国に伝えられ、
中国文明の元になったと教えられ、
常識とかけ離れた話であったが、
蘆有三を尊敬していた
楢崎はこれを信じた。

終戦後、
職を失った陸軍系の技術者たちを
支援した星製薬社長の
『星一』の援助で、
日本のために密かに研究を行う
「化成会」という
科学者グループを結成した。

星製薬内に
「重畳波研究所」を設立し、
様々な研究を行う。

戦後の食糧難を解消するための
農法の研究として、
全国の電位分布実測調査を行ううち、

1949年か1950年、
または1955年か1956年(娘談)に、

兵庫県六甲山山系の
金鳥山(俗称:狐塚付近)での生活中に、

カタカムナ神社の宮司の
平十字と名乗る人物と出会い、
カタカムナ文字とされる巻物と
出会ったという。


楢崎はこれを、
蘆有三に教えられた
アシヤ族の「八鏡の文字」で
書かれたものではないかと直感し、
大学ノートに書き写したとされる。

つまり、
カタカムナ文字の文献の
原本の存在は知られていない。

植物が茂り、
人が長生きする優れた土地は
高電位であるという考えに基づき、

土地の電位分布を利用し
土地を良化する農法は
「植物波農法」としてまとめられ、
1950年から指導された。

右翼や左翼と
結びつくこともあり、

ある程度の広まりを見せたとされるが、
国の方針との対立や、
農薬や化学肥料の広まりで、
短期間で頓挫してしまったという。

1960年代中盤以降に、
カタカムナ文字を解読したという
研究内容について、
著書に記述し始める。

このカタカムナ文献は、
他の超古代文書とされるものと異なり
科学書と呼べるような内容とされており、
原子転換や、
何事も良い方向に向かわせる
力を持った土地
「イヤシロチ」についても
書かれているという。

楢崎は
カタカムナ文献を重視し、
イヤシロチを
土地の電位測定などで研究し、
土地のイヤシロチ化の研究も行った。


カタカムナ文献の研究の後継者として、
晩年の1969年に
宇野多美恵を見出し、

宇野を中心とする宇野天然会が、
1970年に会員制の雑誌として
「相似象学会誌 相似象」を発行した。

楢崎は
本誌発刊に当たり
過去の著述、講演をすべて破棄し、
以後本誌以外に
発表しないことを決め、
弟子たちにも、
カタカムナの研究の発表は
本誌に限るよう命じたという。

星 一(ほし はじめ、
1873年(明治6年)12月25日 
- 1951年(昭和26年)1月19日)
福島県いわき市出身の実業家・政治家。
略称、ホシピン。
星製薬の創業者であり、
星薬科大学の創立者。

長男は
SF作家の星新一、
次男は
元日揮常務の星協一。

星 新一(ほし しんいち、
本名:星 親一、
1926年〈大正15年〉9月6日 -
 1997年〈平成9年〉12月30日)
日本の小説家、SF作家。
小松左京・筒井康隆と共に
「SF御三家」と呼ばれる。

船井 幸雄
(舩井 幸雄、ふない ゆきお、
1933年1月10日 - 2014年1月19日)
経営コンサルタント、起業家、
企業経営者、自己啓発書作家、
精神世界・スピリチュアル系の著作家、
オカルティスト、
陰謀論者

コンサルティング会社・
コンサルティング業界で
世界初の株式上場を果たした 
株式会社船井総合研究所
(現 ㈱船井総研ホールディングス)
の創業者・代表取締役会長、
船井総研グループの創始者。
株式会社本物研究所、
船井メディア、
船井財産コンサルタンツの
トップを務めた。

日本のオカルト・スピリチュアル系
ビジネスの世界では
特に重要な人物であり、
プロデューサー的な才能を発揮し、
精神世界ブームとビジネスを
結び付けることに大きな役割を果たした。

参考
寺石悦章「楢崎皐月の生涯について」『四日市大学総合政策学部論集』第9巻1_2、四日市大学、2010年、 25-50頁、 NAID 130007697493。
寺石悦章「楢崎皐月に関する資料について」『四日市大学総合政策学部論集』第9巻1_2、四日市大学、2010年、 1-23頁

【日本のムー大陸】
日本でのムー大陸の紹介記事は
1932年(昭和7年)8月7日の
『サンデー毎日』の記事
「失はれたMU(ミュウ)
太平洋上秘密の扉を開く」
(三好武二)をはじめ、
1938年(昭和13年)7月の
『神日本』2巻7号(神之日本社)の
「陥没大陸ムー国」など
多数紹介されていた。
現在では
その名が冠された雑誌
『ムー』の誌名でも知られる。

出口王仁三郎は、

チャーチワードが
『失われたムー大陸』(1926年、1931年)を
発表する4年前の1922年(大正11年)に、
『霊界物語』第9巻の総説歌で
「太平洋の真中に 
縦が二千と七百浬 
横が三千一百浬 
黄泉(よもつ)の島や」
と書いて、
太平洋に巨大な大陸があった
と述べている
(2,700海里=約5,000キロメートル、
3,100海里=約5,700キロメートル)。
チャーチワードは
1931年の著作の中で、
日本人はムー大陸住民の
支配層だった白人の子孫であり、
その血をかなり純粋に維持している
と述べ、
日本とムー大陸に接点がある
とに記している。
1932年(昭和7年)に
大阪毎日新聞で
チャーチワードのムー大陸説が
報道されると、
ムー大陸とは
霊界物語の黄泉島(よもつじま)
のことである、と述べている。
ムー大陸が沈没したことも、
霊界物語第12巻第27章で書いている。

20世紀後半になって
太平洋の海洋底探査が広く行われると、
ムー大陸の存在を
真っ向から否定するデータが
次々と出てきて、

その存在は
科学的に否定されています。

古史古伝の竹内文書を紹介した
1940年(昭和15年)10月刊行の
『天国棟梁天皇御系図宝ノ巻き前巻・後巻』
(児玉天民 太古研究会本部)で
葺不合朝(ウガヤフキアエズ王朝)
69代神足別豊鋤天皇の代に、
「ミヨイ」と「タミアラ」という大陸
(というよりも島)が陥没したとし、
その世界地図が記載されている
(1934年(昭和9年)5月の
『大日本神皇記』(皇国日報社)では
4代天之御中主神身光天皇と
35代の千足媛不合
10代天日身光萬國棟梁天皇の時とする。
ただし「ミヨイ」や「タミアラ」の
名称はない)。

竹内文書では、
これらの島では
五色人(白人・黒人・赤人
・青人・黄人)と
王族の黄金人が暮らしていたが、
天変地異で島が沈んだために
天の岩船で
日本など太平洋の沿岸域に避難したとする。
「ノアの洪水」に代表される
世界の大洪水は、
このときの
「ミヨイ」と「タミアラ」の
水没の影響としている。

なお、この竹内文書自体が
明治から大正にかけて
竹内巨麿によって創作された
偽書と認識されている。

チャーチワードの論は、
戦時下において、
日本の起源を世界的な出来事と
位置づけたいと考える
一部の急進的な愛国者の間で支持された。

仲小路彰や藤沢親雄、
仲木貞一などによって、

天皇家はムーの子孫であり、
日本人こそムーの正統である
という主張がなされ、
日本の天皇こそが
世界における正統な支配者である
ということ、また、
当時の日本が委任統治していた
ミクロネシアなどの南洋支配の
正統性を裏付ける根拠の一つとされたが、
国が教育する
天皇像や皇国史観から
大きく逸脱しているため、
同じ右翼系論壇からも
批判され次第に消滅していった。



 星新一の作品に
「ほら男爵 現代の冒険」
というものがあります。


主人公の
「ほらふき男爵のミュンヒハウゼン」
の男爵の子孫シュテルンの
シュテルンはドイツ語では
星⭐️という意味です。

きっと星新一も若い頃に
楢崎の話しを聞いたんでしょうね。

『ホラ吹き男爵の冒険』
18世紀ドイツの作家
ビュルガー(1747-1794)により出版された、
ミュンヒハウゼン男爵を
主人公とする冒険譚。1786年作

星新一のは
このビュルガーの作品の
パロディを作ったのです。

*ほらふき、ではなく「ほら男爵」、
『ほら』と『なら』(楢崎)似てるでしょ。

古代史番外編

『カタカムナの原理』仮説

カタカムナ
ヒビキマノスベシアシアトウアンウツシマツル
カタカムナウタヒ

○カタカムナ
◇ヒ      ハヒ
◇ビキ     バビ カキ
△マ      ノ  なはま
           ノ
▼ノ      ナ  な
           ノ
○スベシ 
○アシアト 
☆ウアン    私Wǒ拼音
○ウツシマツル
○カタカムナウタヒ

カタカムナは  
馬鹿の なすべし足跡 
私    ウワン Wǒ拼音
写しまつる
カタカムナ歌い

カタカムナは馬鹿の為すべし足跡
私写しまつるカタカムナ歌い

【私訳】
カタカムナ理論は愚かな私が実証する足跡 
それゆえ私は写すカタカムナの文字を

【解説】
楢崎自身を馬鹿と呼び
私は楢崎自身

楢崎は
満州にいましたので
中国語も知っていたのですね。
『私』を中国語にしています。

1944年に老子廟で
蘆有三導師という人物と出会い、
老子の思想と蘆有三の博識さ、
神秘性に触れて感銘を受けていますから、
私を『ウワン』という拼音で
表現しています。

つまり楢崎自身を隠す
アナグラムトリックです。

しかし、なかなかユーモアがあり、
アナグラムトリックも
何か世に問うような
深い意味があるように思えますね。

文字を創造する事と
文字の形の相似性(対称、シンメトリー)の中に
循環が意識されていますね。

まさに、陰陽を見本とした考え方です。

回転するウタヒの図は
太極図の派生で、

陰陽の原理に
電気的(科学的)な素粒子を
文字に合成しようとしたもので、

研究課題としては
独創的で壮大すぎるので、
理解を超えるものになり、
これでは神の軌跡を辿るようなものですね。

楢崎が作った化成会の会の
構造の一文に

彼自身やあの時代の事が
書かれています。

カタカムナは
まさに終戦後の科学者としての
自責の念から生み出された文字だ
と想像できるのです。

化成会
・・今次敗戦の主要な原因は、
わが国が技術を創造する能力が
劣勢だったということを認め
(したがって当時において
技術研究に携わっておったものは、
ほかの人よりも一層深く敗戦の責任を感じ)、
時代に対する償い方として、
技術研究ということに
奉仕しようという考え・・


〜楢崎皐月





文、蛯原春比古さまに
帰属します
マネはできません