読書したとて、実践が伴わねば意味は無し | その先、ヒカリ♥

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開運行動があなたを変える!
黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!




 




格言、名言、難しい言葉を、

解説どおりに解釈するのであれば、


それは知識でしかない。



学んだことを実践する勇気、

継続する力を


格言、名言、難しい言葉から

得たいのです。



そして、その解釈は、


私の今までの人生経験から

得たことから


話をしたいのです。




実践を伴わないと


学んだことは身に付かない


言ってみるが、

実践の段になったら難しいと

首を傾げる。



そんな簡単に

分かってもらっては困ると


安岡正篤先生のように言ってみたいが、


こちらも達観していないから

剣先がぶれる。





「道理は見ることができないし、

聞くこともできない。


見ることができ、

聞くことができるのは、


道理の痕跡である。


その痕跡によって

見ることも聞くこともできない

道理を悟るのである。



これを自得という。


学問は

自得するのでなければ


役に立たない。


(中略)


ただ書物を読み、

他人の言う事を聞くだけで、


自分自身で試してみなければ、


物の道理も

ただの噂話のようなものになって、


自分自身の役には立たない。


これを噂学問というのである。


学術、武芸心術に関する一切の事は、


その理論を聞いて、

そのすべてを

自分自身で試してみて

納得した場合にかぎり、


それらの事の邪正、難易度が

確実にわかるものである。


これを修行という。」




天狗芸術論より





ありがとうございます


安岡正篤先生や

二宮尊徳翁

論語、菜根譚などを

教えて下さっている

先生より


毎日、書かれていることを

学んでいますが


毎回、話している通り


わたしの父方祖母は

明治生まれで

その両親は

幕末あたりの生まれ


当然、両親の子どもの頃は

論語などを学んでいる


祖母も

親から、その話を

聴き伝えられているし

教科書も

その内容に近いものが

あったと推測


わたしが3歳になると

途端に

その教えと正しい躾が

課される


子どもの頃は

何が正しいのか、わからず

習いと、身につけるのが

関の山で


元来、読書好きだったので

30代

論語などを読んでみると

そういえば

祖母の、あの教えは

これか?と思い出し

納得したものです


さらに

還暦を過ぎ


あの世には

モノは持っていく事が

できないから

せめて、こころの勉強を

し直そうかと


その先生の言葉を

借りながら

また、論語などを読み返すと


60年という

人生の酸いも甘いも

知った歳には


さらに理解度が

深く増していきました




あっという間に

読んだところで


「小難しい」だけで


ひとつひとつ

区切って読んで


今まで生きてきた人生経験を

思い返し、当てはめて

じっくり読むと


論語などの凄さが

沁みてくる



だけど

それを昔の子どもらは

「つ」のつくうちに

身につけて

勉強してきて、焼きつけて


大人になって

さらに読み返して

自分が

どうしたら、世の中に

役立つ人間に

なれるだろうかと考え


事業していく


儲けた者は

世に還元していく


松下幸之助さんは

浅草寺や四天王寺

椿大神社などに寄進して

信仰心向上のため

観光のため

働きましたし

松下政経塾を開いて

人を育てました


世のため、人のために

尽力しました


「お金持ちになりたい」


お金持ちになって

有頂天になりたいのではない


お金を

生き金にして

もっと日本を発展させたい

その気持ちなんです


今の人との違いは



ある人は

馬主になって儲けたけど

世に寄付をする気はなく

代わりに

子ども二人を

亡くしました


わが宮城県の

サンドウィッチマンは

実際に

東日本大震災の大津波に

接して

直後に寄付金集めに奔走し

毎年、岩手、宮城、福島に

寄付を欠かしません

有難い事です


伊達さんは

介護用品の会社に勤務して

いたこともあり

そこで

学んだと思うのです


自分が有名人となり

その名を利用して

売上の一部を寄付し続ける


松下幸之助さんや

渋沢栄一さんなどを

彷彿とさせるなあと

頭が下がります


そういう有名人を

見た事がないので

日本の宝だと思うのです


こういう、何気ない事も


実は論語などにも

書かれていまして


もし、本当に

人間が

生まれ変わるごとに

苦労や人生の勉強を

させられて


いつか自分が

空海上人のような

位に上がったり


さらに

菩薩や如来などのような

仏となるまで

続いているのだとすれば


モノに執着している

ヒマはないのだと


今、終活の域に達して

思うようになりました


わたしは、結婚して

同居して、17年

人の結婚式に出るよりも

人の生き死にを

何度も見てきましたし

その葬儀も

何度も出ました


「黄泉の国とは何ぞや」


ひとりで生まれ出て

ひとりで逝く


しかし、その期間

人の何たるかを学び

こころに焼きつけていく


自分が

「鬼畜」でなくて良かった


感謝の日々です