Facebookのお友達から
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ありがとうございます
「振り子の法則」
振り子の法則が
本物の悟りを人生にもたらす
知恵逆境、失敗や絶望
人間誰しも人生を自分なりに
豊かなものにしたいと願っている。
理想の自分になりたい。
仕事で成功したい。
経済的に楽になりたい。
人間関係を良いものにしたい。
自分の性格を変えたい。
異性にモテたい。
人それぞれに
さまざまな悩みをもって
生きている。
そして欲しいもの、
なりたい自分を夢みて
毎日を送っている。
そんな悩みや問題を解決するのに役立つ
本物の考え方がある。
それが・・・。
「振り子の法則」なのだ。
これは古代より現在、
果ては未来にわたるまで
受け継がれる不滅の法則。
永遠無窮の法則である。
それは、
神と呼ばれるものの存在、
そして宇宙が私たちに及ぼす
確実な影響を
すべて網羅した法則。
かつて
古代エジプトや古代ギリシャなどで
提唱された
知る人ぞ知る、
ごく限られた人にだけ
口伝・伝承されてきた
秘伝中の秘伝。
激動の歴史の中、
世の賢者達によって大切に
語り継がれてきた奥義。
これを活用することによって、
私たちは人生の苦悩を
脱することが出来るのだ。
そんな驚きの法則を活用できるなんて
私たちは
なんという強運なのだろうか。
本当に素晴らしい時代に
生を受けているのだと
心の底から強く感じる。
私は最近まで、
この法則にピンとこなかったのだが
今になってふと読み返して、
本当にびっくりしている。
シンプルなのだが
正鵠を言い当てているのだ。
やはり
人生はシンプルに考え、
意識していくことによって
開けていくのだな
と深く感じている。
まさに振り子の如く、
私たちの人生は揺り動いているのだ。
いいときもあれば悪いときもある。
喜びもあれば苦しみもある。
人生を自分で意識して
コントロールしなければ
私たちは
振り子に支配されてしまって
何も成しえないまま終わってしまう。
神の存在、宇宙の存在、
そして自分の存在を
いかに意識して
振り子の法則を生かすか。
振り子の法則を理解することは
劇的に
人生を創造する確実な方法なのだ。
人生を自分で支配したい。
人生を思うがまま
自由にコントロールしたい。
それは夢物語ではない。
現実に可能なことである。
まれに
金銀財宝を手に入れたとしても
そんなものは風前の灯。
消えてすぐになくなってしまう。
しかし
「振り子の法則」を身につければ
まさにこの世は天国になり、
歓喜と至福に包まれた
本当の自分を謳歌できるのだ。
「振り子の法則」は
いつどんな問題にも対処できる。
それには
この地球における
二面性あるいは二極性に
注目するのである。
振り子時計を思い浮かべてみると、
一方に振れれば
もう一方に同じだけ振り子は振れる。
例えば、ある出来事で、怒ったとする。
そうしたら、
後に怒った分だけ冷静になれる。
何かに対して悲しんだとする。
悲しんだ分だけ、うれしいことがある。
この二極性の原理が
「振り子の法則」なのである。
何か思考をするとき、
この法則を意識して
おこなうこと。
この法則に沿った思考をすることで
見事に
成功のルールに従うことが
できるのである。
私はこの二極性の原理に
人生を切り開くカギがあるとは
夢にも思わなかった。
難解なことを認識すれば、
人生を支配できるということに
気をとられ過ぎていた
かもしれない。
ここ数日は「振り子の法則」を
反芻してみることにしたい。
ネバーエンディングリッチライフより転載
ありがとうございます
草場さまも
同じようなお話があり
シェアさせて頂きました
無人の船
たとえ話には
目がさめるようなものが
たくさんあります。
イエスも釈迦も
たとえ話の名人ですが、
ものごとの本質を射貫く
力のなせる技ですね。
荘子の山木篇にも
こんなお話があります。
ある人が船に乗って
川を渡ろうとしていたときのことです。
向こうから一艘の船がやってきて
こちらの船とぶつかりそうになりました。
その人は大声で何度も
向こうの船の人に呼びかけましたが
反応がまるでありません。
そこでその人は怒りにまかせて、
向こうの船の人を
大声で罵りはじめました。
ところが、向こうの船が
近くまでやってきたとき、
船には誰も人が
乗っていないことに気づきました。
「無人の船」です。
するとどうでしょう。
その人の憤怒もすぐにおさまった、
というのです。
おかしなものですね。
ぶつかってきた船に
「人が乗っていたか乗っていなかったか」
によって
怒りが左右されています。
同じように船がぶつかっても、
人がいないと腹がたたない。
怒り、には相手が必要だ
ということなのでしょう。
自分が感情や理屈を通せる
相手です。
何か不愉快なことがあったとき
「こんなことをして!」
「なんて人だ!」と
相手に対して腹を立てます。
本来は、その行為に
腹をたてるところですが・・・。
思い通りにいかないこの世で、
思い通りにしたくて
出来そうなのが
「相手」(他人)だ
と考えているのかも知れません。
怒りというと
普通の感情と思われがちですが、
仏教では
人間が抱える108つの煩悩のうちでも
最も恐ろしい
3つの煩悩のひとつですし、
キリスト教でも
7つの大罪のひとつに
数えられています。
怒りは
自分に盛る毒とも。
荘子は
相手に憤怒を感じたときは、
無人の船と考えよと言うのでしょう。
そうして救われるのは
自分自身。
わだかまりを残さないことですね。
◇草場一壽公式ホームページ
荘子の、山木篇とは
訳は、吉成学人さまより
人のこころは、振り子の如き
左右されている
中庸でいる事の難しさよ