平常心、これ道なり | その先、ヒカリ♥

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黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
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第三者の立場に


菜根譚一日一言



波浪(はろう)の天(てん)を
兼(か)ねるや、

舟中(しゅうちゅう)
懼(おそ)るるを知(し)らず、

而(しか)して
舟外(しゅうがい)の者(もの)は

心(こころ)を
寒(さむ)くす。 

猖狂(しょうきょう)
坐(ざ)を罵(ののし)るや、

席上(せきじょう)
警(いま)しむるを知(し)らず、

而(しか)して
席外(せきがい)の者(もの)は
舌(した)を咋(か)む。

 故(ゆえ)に
君子(くんし)は、

身(み)
事中(じちゅう)に在(あ)りと
雖(いえど)も、

心(こころ)は
事外(じがい)に
越(こ)えんことを
要(よう)するなり。



現代語訳

逆巻く波が
天のよう覆い被さってしまえば、

舟に乗っている人は
怖さを感じないが、

外で見ている者は
心を震え上がらせる。


 猛り狂う者が
宴席で罵倒しだすと、

同席している者は
それを戒めないから、

周囲の客は苦々しく思う。


 だから、上に立つ賢い者は、

その身が渦中にあっても、

心は高く置いて
冷静に対処する必要がある

ということ。 

つまり、達人は

自分を失うようなことが無い様に
群れる事を
差し控えておく方が良いが、

仮に渦中にあっても

付和雷同することが無い様に
心しておこう。

 言い換えれば、
達人は

平常心是道なり、

を座右の銘にしておこう。


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行徳哲男先生も
言われている。

味わいのある人とは、
「素・朴・愚・拙」の人。


「素(そ)」

素のよさは 
何も身につけない。 

木を見るとわかる。

枝葉をつけた木は
見栄えはいいが、
滋養は枝や葉が吸ってしまい、
幹は弱る。

枯れ木は見栄えこそないが、
実に力強い。

これこそが「素」の魅力



「朴(ぼく)」

言うなれば泥臭さ

柴田錬三郎が
シベリア抑留中の話を書いている。

そこに極寒のなかで
靴下をしばしば盗まれた
という話がある。

盗人は
インテリや育ちのいい人間だった
という。

それに対して
「俺の靴下を履けよ」と
情けを示したのは、
魚屋のおやじやヤクザ者だったそうです。

限界状況で
情を示せる人間には、

どこか朴訥な
田舎っぽいところがあると

柴田錬三郎は言っています。


「愚(ぐ)」

アホになれる、
馬鹿になれること

そういう人物の下には
たくさんの人が集まる。

この人のためにと皆が思う。

これが本当の利口というもの。

目から鼻に抜けるような
才たけた人間は慕われないし、
人も寄り付かない。

利口は馬鹿であり、
馬鹿は利口なのだ。
馬鹿こそ力。馬鹿力のゆえん。




「拙(せつ)」

下手くそのこと。
下手くそな人間は魅力的。

今の時代、

上手に生きる
要領居士(こじ)が
あまりに多すぎる。

ゆえに
人間の魅力がなくなっている。

講演会などで、流れるように話をし、
知識や情報も抜群にあるのだが、
なぜか
胸に響かない人がいる。

反対に、
話はつっかえつっかえでヘタだが、
妙に魅力的で
味のある話をする人がいる。

「平凡にして、
その味わい
飽(あ)かざる人たるべし」




ありがとうございます



人間の魅力は

「素・朴・愚・拙」の

四つの言葉で表すことができる、
という。


素とは、

飾らない魅力。


朴とは、

泥臭い朴訥とした魅力。


愚とは、

自分を飾らずバカになれる魅力。


拙とは、

不器用でヘタクソだが一途な魅力。




「素朴愚拙」の人は、

時には
愚か者のようにも見える。


本当に強い人は、

いつも
ハリネズミのようにピンと
神経を張りつめ、
戦いにあけくれる

剛(ごう)の人ではなく、


どんな非難や攻撃も、
フラフラ、ヒョロヒョロと
受け流す

柔(じゅう)の人。



剛ではなく、柔。


鋭ではなく、鈍。


賢ではなく、愚。



周囲と闘っても、

まわりの人を

変えることはできない。


 

時に、

ボーッとすることも必要だ。




小林正観




悲しい出来事が
起きた時

第三者の立場としては

目も耳も
塞ぎたくなります

それに負けまいとして
立ち向かいたい

はたまた、逃げたい

感情的に
そんな気持ちに
なります

逃げてもいいんです

でも、逃げても

冷静さ、平常心を
失わず

わが身に置き換えて
こういう時は
このように動こう、とか
シュミレーションして
おけば

なにも恐れることは
ありません


情報を遮断とか
情報を断捨離とか

ある意味
そういう逃げもあるけど

万が一を考え
現実を考え

シュミレーションする

この事が
とても大事だと思います



歳の初めから
皆様は
現実を直視
したのです

この事が、大事なんです


これは当然なんです

すべて出会うものは
当然のことなんです

 



偶然でも
必然でもありません

偶然と必然を
対比させたのは、カントです



昨年も言いましたが

「本質を知る
ホンモノを知る」

それは、現実を知ることにも
つながります

決して
夢物語ではない
スピリチュアルでもない

目の前で起こったことです


あまり
こういう言葉で
言いたくはありませんが

神々様から

しっかりと
根を張りなさいよ
何が起きても揺るがない
図太くいきなさい」と

人生は、一度きり

古事記の神様が
生まれ変わった、なんて
書かれていません

生まれ変わることが
もう、ないならば

この人生
どんなことが起きても
笑って生きたい!

そう、思いませんか?





枯れ木は見栄えこそないが、
実に力強い。


それは
枯れていても
土台である、根っこが
しっかりとしていればこそ


馬鹿になれるのは

思考が
柳に風、だから

受け流すことで
多元的な視点が
持てるから

視野が広くなるから


わたしも同居してた頃
馬鹿のふりして
何を言われても
黙っていたのね

そうしたら
逆に、もっとバカにして
貶めたところまで
やった人物がいたのよ
実際に

その時のわたしは
比較的、冷静で
相手の本性を読んでたの

「こいつ、人間として
ホンモノのバカだ」と

柔軟さのある馬鹿と
悪意のあるバカ
🤣

わたしって
馬鹿なふりして
相手を読んでしまう

これって
職業病なんです

銀行員って
おカネが絡むじゃないですか
強盗とか、
うまい事言って
誤魔化しもある

相手に
馬鹿になって、笑って
隙を見せているようで
こころは
しっかり、相手を観ている
相手が
どんな人間か、読んでしまう

これは、ある意味
クセなのかも知れない

「素朴愚拙」とは
ちょっと違うと思うけど

馬鹿なふりして
笑わせて
受け流している人ほど

こころには
揺るがない信念が
あると思います


逆に
受け流すことができず
人の言うことに
いちいち、網を張って
自分の思う事と
違う事を言うものなら
反撃する

こういう人は
付き合いづらいし
話もしたくないですね

サンドウィッチマンの
伊達さん
あの方が
誰とでも打ち解けられるのは
「素朴愚拙」
だからだと思います
ホント、いい例です

馬鹿になって
人を笑わせても

冷静なんですよね
人の見方は

すごいなあと思います