書物を広く深く読むことの大事さ | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!




人間学と観音薬師行


安岡正篤教学一日一言



教化の上に必要な事があります。

一体民衆が道を求めるという、
その道は色々ありますが、

如何なる愚夫愚婦も
必らず求めるものは


健康の道、平和の道です。

人間は意外に

疾病(しっぺい)に悩み、
煩悶(はんもん)を持って居る。

そこで学に志すものは

その郷土の人達の心を救うと共に
始終その健康と
煩悶の救主たる事
心懸けなければならない。

仏書を読んでいると

到る処に

「仏是大医王(ぶつこれだいいおう)」

というような言を見ます。

確かに
仏は薬師であり医者です。

薬師如来・観世音菩薩の
信仰の多く行われて居るは

故あるかなです。

観世音は
世の中の人の訴うる声を
よく観じてやる意で、

薬師は
衆生(しゅじょう)の
病患(びょうかん)を救い、
無明(むみょう)の
旧痾(きゅうあ)を治する法薬を
与える師のことです。

だからを興すには

観世音と薬師如来になるつもりで
 
やらなければならない。

そして
人の世話の出来る人に
ならなければならない。

私は青年達によく言いますが、

世に出たら、
人の世話の出来る人になれと。


「世話」という言葉からして
味のある言葉です。

世話は
人世(じせん)の話だ。

それは書物の抽象論とは違う。

それが出来なければならない。

*旧痾・・・久しく治らない病気。

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学びの実践ほど
一筋縄ではいかない。

まさに書物の抽象論とはちがうのだ。

経営学と、経営を行うのとの違いである。






八休


安岡正篤一日一言



消し難きの味は食するを休(や)め。
酬(む)い難きの恩は受けるを休め。
守り難きの財は積むを休め。
釋(と)き難きの怒は
較(あらそ)うを休め。
得(え)難き物は蓄えるを休め。
久しくし難きの友は交わるを休め。
雪(すす)ぎ難きの謗(そしり)は
弁ずるを休め。
再びし難きの時は失うを休め。

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消し難きの味は食するを休めよ。
一汁一菜、贅沢はせずに、
出されたものを
ありがたくいただくよう心がける。

得難きの物は蓄ふるを休めよ。
分を弁(わきま)え、
慎ましくし生きることを心がける。

酬い難きの恩は受くるを休めよ。
とても返すことができないような
過分な恩を受けることのないよう心がける。

久しくし難きの友は交はるを休め。
親しき友こそ、
節度を持って付き合うと心がける。

守り難きの財は積むを休めよ。
財産を子孫に
過分に残すことのないよう心がける。

雪(そそ)ぎ難きの謗(そしり)は
辯(=弁)ずるを休めよ。
誹謗中傷は、
言葉だけで弁解するのではなく、
行動で示すと心がける。

釋(と)き難きの怒は
較(あらそ)ふを休めよ。
抑えきれないような怒りがおきた時は、
自分に厳しくすることを心がける。

再びし難きの時は失うを休めよ。
二度と得られないような機会は、
しっかりと摑まえるよう心がける。




「休めよ」の「休」という字は、

やめるようにという意味です。

この八休は、
理解していても
 なかなか実行は難しいもの。

やめなさい!という語調ではなく、

「休」を使っているところに
内省すべきという

(反省)

安岡先生の思いが伝わります。








六中観     安岡正篤

忙中閑あり
(どんなに忙しい中でも閑はつくれるし、
またそういう余裕を持たなければならない)

苦中楽あり
(どんな苦しみの中にも
楽は見つけられる)

死中活あり
(もう駄目だという状況の中にも
必ず活路はある)

壷中天あり
(どんな境涯の中でも
自分独自の別天地を持つ)

意中人あり
(尊敬する人、相許す人を持つ)

腹中書あり
(頭の知識ではなく人間の土台をつくる
書物を腹に持つ)
腹の中に書、
すなわち信念・哲学があり、
座右の銘、
愛読書を持っていることです。
頭の中に書があるのはだめで、
それは単なる知識にすぎない。
腹の中に書があってこそ
知識が腹に納まって、
血となり、肉となって生きた人格を造り、
賢明なる行動をとれます。


↓↓↓

人間の幅は読書で決まる

いやしくも
自分の前途を展望して、
将来ひとかどの人物になって
活躍しようと思うなら、

今日から遠大な志を立てて、
大いに
書物を読まねばならぬでしょう。

それというのも、
一人の人間の持つ世界の広さ深さは、

要するに
その人の読書の広さ深さに、
比例すると言ってもよいからです。

森信三






ありがとうございます