近づき難い神社にこそ、尊い神様が居られる | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!




埼玉県の、ある神社の
宮司さまの
素晴らしい、お話です

シェアさせていただきました





【「無常」という幸】

 
・我々を苦しめるものは
そんなものではない、というお話
 


(中略)


一人の死を受け、
今日また思うことがあります。
 
宮司が
仏教哲学を語るのも
おかしなことですが、

あぁ、やはりこの世は
「無常なのだなぁ」と。
 
今日まで、
「私」は常に、
この形の「私」で
あり続けたわけではありません。
 
6歳の頃、園児であることを辞めたように、
 
20歳の頃、子供であることを辞めたように、
 
40歳の頃、シワが刻まれ始めたことに
気付いたように、
 
生まれる前は
ただの精子と卵子という
タンパク質であったように、


 
記憶の連続の中で、

一貫した「私」を感じつつも、
それは幻であり、
その時代ごとの全く違う肉体と心の
「私」の断面が重ねられ、

今また新たな
「私」としてここにいます。
 


その時代ごとに
嬉しいこともあれば
悲しいこともあり、


その全てが「過去」という
脳が
都合よく造成する
フィクションとなっていきます。


 
100年前の世界も、
100年後の世界も、
私たちの存在し得ない世界であり、

我々はそこから来て、
そこへ帰っていきます。
 

我々の不安や不満は

「この世界が永遠に存在し続ける」

という勘違いや思い込み、

つまり
執着によって引き起こされます。
 



このどうにもならない思いこみが
生み出すものこそが、

悪霊やら、魑魅魍魎やらです。
 

そんなものは
全く怖くありません。

 
本当に怖いもの、
我々を苦しめるものは

そんなものではなく、

それらを「怖い」と感じてしまう

無明の心の状態です。
 
 
無明の心とは、

「私」が生まれる前から
「私」であり、

死んだその後も
「私」である、という

誤った思い込みです。




この思い込みこそが、

金や地位や名誉名声への執着

となっていきます。



そして
それらが得られない時、

得られない理由を

「無知無策」でなく

「悪霊」や「前世の業」の仕業に
仕立て上げていく

という
短絡的な発想が起こるわけです。

 


うまくいかない理由が
わからない人たちにとっては


その方が楽なのでしょう。


 
それらの無知蒙昧を
教え諭すのではなく、

金蔓のように扱う
宗教者がたくさんいます。

 
とどめを刺すように、

悪霊を語るのです。
 



「寂れた神社などには悪霊が宿る」
 
などと抜かす輩は

典型的なダメ宗教者である

と断じます。



そのような
人の近づかぬお社にこそ

尊い神々がおわし、
力が得られるものだからです。



事実、私は好んで、
毎月欠かさず600km離れた、

人の近寄らぬ山奥の神社に通い
力を得続けています。



猫も杓子もおとづれ
賑わう観光資源のような

有名神社よりも、


覚悟がなければ
近づけぬような
人気(ひとけ)のないお社こそ

本物の力が宿るものです。

 

神々が
我々人間に与えたもうた力は、

悪い意味づけではなく、

良い意味づけの力です。
 


徒然なるままに語りましたが、

宗教者として少しでも、

この誤った前時代的な
情けない風潮を正したい、


と、日々感じます。
 
 
「生きる」ということを、
もっとより良く感じられる
技術を得たい方は、


ぜひ神社へ。
 
 



※我々もまたいつか
「私」であることをやめる日が来ます。

「私」という役割がある今は
必要と感じるものも、

役割がなくなれば
全て不要なものとなります。
 



※「じゃあ生など無意味じゃないか」
といえば
まさにその通りで、

その無意味な世界に
どのような美しい意味をつけていくか、

が、人間らしい生き方なのだ
と思います。

無意味であることを百も承知で、

より美しい「私」という意味を
重ねていきます。
 


※「私」=「筋トレをする宮司さん」
みたいな、そんな意味づけ☺️
 
 
※ちなみに亡くなられた方は
どうなるかといえば、
形を変えてなお、
この物理世界に存在し続けます。
 

※物理的に、細胞レベルで考えると、
一年前の体の細胞は
全て入れ替わっていますので、

肉体は全くの別人です。

去年の自分の写真が
今の私に似ていても、別人です。
 
 
※私は目の前に、
悪霊が現れても怖くありません。
私の方が強いからです。
 
 
(中略)





ありがとうございます

素晴らしいです!
(*'∀'人)♥*+

神学科を出られた神職さんは
きちんと
学ばれていらっしゃる
心得ていらっしゃる
修行されていらっしゃる

そんじょそこらの
神社の本とは
比べられません!

ここですよ!

覚悟がなければ
近づけぬような
人気(ひとけ)のないお社こそ

本物の力が宿るものです。

これですよ!

わたしも
それこそ、クマの出そうな
荒れた神社も行きます
しっかり
クマ避けの、2種類の
鈴をつけて

元々、神様の
住まうところは

大自然であり
八百万です

わたしの父方祖母の
教えの中に

「小石ひとつにも、心あり」

が、ありまして

あなたの
何気なく踏んづけている
小石にも
意味がある、と言うんです

気味悪いというふうに
思うのは

地域の人たちが
その鎮守神様を
愛していないから
または
過疎化して
手入れできないから
なんです

それは
御社という、「モノ」に
きれい、汚い
と思うから、です

でも
神様の住まうところは
元は、大自然で
きれいも、汚いも
ないんです

それこそ、
「空」「海」「森」などです

汚くしているのは
誰ですか?

人間、ですね

全部、人間の仕業です

「きれいなところ」に
ばかり
良い神様がいるわけでは
ありません

古びた御社の中
境内にも
神様は居られるのです


この宮司さまの
お話は
何にも変え難い
有り難いお話です

ホンモノを知って
正さなければならないのは

人間のこころ
ですね


分け隔てしてはならない




 きりんさんから