【祝詞】五元之神を拝む辭(ことば) | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!

 

五元之神を拝む辭(ことば)

五元の神とは

易で云う五元にあらず

風、火、金、水、土

五種の神の事なり

 

掛巻も 畏き 

産霊之大神達の

 かけまくも かしこき

 みむすびの

おほかみたちの

 


奇しき

 御霊に依て

 くすしき みたまによりて

 


現出座る 

五柱の 元津神は

 あれいでませる

 いつばしらの もとつかみは

 


風の神

 志那津比古之命

 かぜのかみ 

しなつひこのみこと

 


志那津比賣之命

 しなつひめのみこと

 

伊耶那岐・伊耶那美二神の

神生みによって、

木の神・山の神・野の神と共に

生まれた風の神

 

 

 『日本書紀』一書六では、

伊弉諾尊の吹き払った息が

風神、

級長戸辺(しなとべ)命となり、

その別名を

級長津彦(しなつひこ)命としている。

「級長津彦」の方は

ヒコとあるので、

『古事記』と同じく男神であるが、

「級長戸辺」のベは

女性を意味する語と

解されるので、女神と考えられる。


 シナツのシは、

ニシ・ヒムカシ・アラシなどに同じく、

風を意味する言葉と考えられる。

『日本書紀』の

「級長津彦命」の表記を参考に、

ナを長いの意と捉え、

シナを風の長いことの意

とする説がある。

ツは助詞で、

ヒコは男性の意とされる。

また、

シナツをシナト(風な処)と考え、

風の吹き起こる処と解する説もある。

シナトは、

六月晦大祓祝詞に

「科戸の風の

天の八重雲を吹き放つ事の如く」

とある。

トは、単なる場所の意ではなく、

入口のすぼまって

奥行きに広がりのある場所を

指すとする見方もあり、

シナトを

風の吹き起こる大元の戸口

と解する説もある。


火の神 

火産霊之命

 ひのかみ 

ほむすびのみこと

火之迦具土神

 

伊耶那岐神・伊耶那美神の

神生みで、

火之夜芸速男神

(火之炫毘古神・火之迦具土神)を

生んだことで、

 

伊耶那美神は

陰部を焼かれて病み伏し、

その嘔吐物・糞・尿からは

神々が成った

 

(金山毘古神・金山毘売神・

波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神・

弥都波能売神・和久産巣日神)。

 

その後ついに

神避りしてしまい、

 

これを悲しんだ

伊耶那岐神の涙には

泣沢女神が成り、

 

神避りした伊耶那美神を、

出雲国と伯伎との堺の

比婆之山に葬った

 

そこで、伊耶那岐神は、

帯びていた十拳の剣を抜いて、

その子、

迦具土神の頸を斬った。

 

その血によって

神々

(石析神・根析神・石箇之男神・

甕速日神・樋速日神・

建御雷之男神・

闇淤加美神・闇御津羽神)

が生まれ、

 

殺された迦具土神の

体の各部位からも神々が生まれた

(正鹿山津見神(頭)・

淤騰山津見神(胸)・奥山津見神(腹)

・闇山津見神(陰)

・志芸山津見神(左手)

・羽山津見神(右手)

・原山津見神(左足)

・戸山津見神(右足))。

 

その後、伊耶那岐神は

伊耶那美神に会うため黄泉国へ向かった。

 

「迦具土」のカグは、

カガヨフ・カゲ・

カグヤ・カギロヒなどに

共通する語と捉えて、

光や火が

ほのかにちらちら揺れることを表す

とする説がある。

輝くの意とする説もあるが、

カガヤクの上代の語形は

カカヤクと清音であったため、

それとは異なるとする批判がある。

また、

香わしいの意として、

物が火に焼けると

においを発することによる名前

する説がある。

「香」と書いた例として、

『日本書紀』神武前紀戊午九月条に

 

「火を名けて

厳香来雷(いつのかぐつち)と」する、

とあり、

『延喜式』所載の神社名にも

「香都知神社」が見られる。

 

ツは連体助詞、

チは神霊の意とされる。

 

 火神の登場によって

生まれた神々について見ると

 

金属の精錬

(金山毘古神・金山毘売神)、

土器の製造

(波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神)、

焼畑農耕

(弥都波能売神・和久産巣日神)、

刀剣の鍛造

(石析神以下)

のように、

火の使用による

生産的な活動に関する要素が

見出だされる。

 

こうした内容から、

火の利用による

人間の文化の起こりが

語られていると捉える説もある。


金の神 

金山比古之命

 かねのかみ 

かなやまびこのみこと

 


金山比賣之命 

かなやまびめのみこと

 

伊耶那美神が

迦具土神を生み、

陰部を焼かれて病み臥した際に

生まれた神々

(金山毘古神・金山毘売神・

波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神・

弥都波能売神・和久産巣日神)

のうち、

嘔吐(たぐり)によって生まれた神で、

対偶を為す女神。

 

 

伊耶那美神が

病み臥した際に

嘔吐物・排泄物から生まれた

神々の意義については主に、

 

火山の噴火を表わすとする説、

焼畑など農耕の反映とする説、

五行思想の影響とする説、

鎮火の伝承に由来するという説、

香具山の祭祀に基づくとする説

がある。

 

「金山」は

鉱山と解するのが一般的で、

金山毘古神・金山毘売神の二神は

鉱山の神と解する説が行われている。

 

タグリ、嘔吐によって

生まれることについては、

鉱石を火で溶かした様子からの

連想によるとする説や、

食物が人の腹中で

成り変ったものがタグリである

と捉え、

鉱石が火の力によって

金属になることの表現とする説がある。


水の神 

彌都波能賣之命

 みづのかみ 

みづはのめのみこと

 

 伊耶那美神が

迦具土神を生み、

陰部を焼かれて病み臥した際に

生まれた神々

(金山毘古神・金山毘売神・

波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神・

弥都波能売神・和久産巣日神)

のうち、

尿から生まれた二神の第一。

 

 

弥都波能売神の名義は、

ミツハのミを水と解して、

水つ早、

あるいは水つ走の意と取り、

灌漑の水の源を

司る神とする説や、

灌漑用の水を

走らせる女神とする説、

 

ミヅハナと取り

 

(『万葉集』19・4217に

「始水(はなみづ)」とあり、

出水の先端の意とされる)、

 

出始めの水の女の意で、

 

火の暴威鎮圧と

灌漑用水の神格を兼ねるとする説

 

水際(みつきは)の転で、

水害のない清泉を表象した

やさしい女神として崇拝された神

とする説がある。

 

また、

水つ蛇(蛇の古語「はは」)の意で、

ミヅチ(蛟)と同類の神とする説もある。


 その性格は、

尿から生まれていることから、

屎から生まれた埴安の神

(波迩夜須毘古神・波迩夜須毘売神)と

合わせて下肥の表象と捉え、

農耕にまつわる神とする説がある。

 

他に、この一連の神々を

火山の噴火の表象と捉えて、

 

伊耶那美神の尿が

 

火山の活動に伴う

温泉や冷泉の涌出を

表していると見る説がある。

 

ミツチ(蛟、鮫)が

水中に棲む荒ぶる霊を指す

のに対して、

 

ミツハは

河川や井戸などの水の霊を指す

と考える説もある

 

神武天皇即位前紀

(戊午年九月)には、

祭りを行った際に

 

「水を名けて厳罔象女と為ひ

(罔象女、

此には

瀰菟破廼迷(みつはのめ)と云ふ)」

とある。

 

「罔象」の字は

漢籍で水の精を表わす

 

 

 


土の神

 埴山毘賣之命 達

 つちのかみ 

はにやまびめのみこと 

たち

 

 伊耶那美神が

迦具土神を生み、

陰部を焼かれて病み臥した際に

生まれた神々

(金山毘古神・金山毘売神・

波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神・

弥都波能売神・和久産巣日神)

のうち、

屎(くそ)から成った神で、

波邇夜須毘古神と対偶をなす。

 

名義は、「波邇夜須」を

ハニ・ネヤスと解し、

埴(はに。土器などの材料となる粘土)を

練って柔らかくする(ねやす)ことの意

とする説がある。

 

従って、この神の性格は、

 

土器などの製作に関わる

粘土の神とする説や、


『日本書紀』(五段一書六)に

「土神を埴安神と号す」とあることから

粘土に限らず

土一般の神とする説とがある。

 

出生のもとになった火神との関係は

土器を焼き固めることに求められ、

 

屎から生まれるのは、

ねやした埴が

屎と似ていることからの

連想とする説がある。

 

一方、ネヤスの語が

ネル(捏)から出たものとすると、

 

その核となるネが

略されては意味を成さないとして、

ヤスをネヤスと同一視するのを

疑問とする意見もある。

 

他に、ヤスを「安」の意に取り、

尿から生まれた弥都波能売神と

合わせて

下肥の表象と捉え、

土壌を安定させる神とする説や、

 

当該条の神々の誕生を

火山の噴火現象に見立てて、

熔泥の流出の表象とする説もある。

 

『延喜式』神名帳・大和国十市郡に、

香具山の麓に鎮座する

「畝尾に坐す健土安神社」


是の五種の 

元津氣を以て

 これのいつくさの 

もとつけをもって

 


世に 所有物を

 生幸へ 給へる

 よに あらゆるものを

 なしさきはへ たまへる

 


最も 最も 

奇毘成る

 いとも いとも 

くしびなる

 


御恩頼に報い 

奉むと為て

 みたまのふゆにむくい

 たてまつらむとして

 


称辭 

竟奉る状を 

ただへことを

えまつるさまを

 


平けく 安らけく

 聞食と 白す

 たいらけく やすらけく 

きこしめせと まをす

 

 

國學院大學より

 

 

わたしは、ちなみに

「7」 火でした

 

埼玉県→川越八幡宮

茨城県→鹿島神宮

和歌山県→熊野神社、高野山金剛峯寺
奈良県→金峯山寺

大阪府→住吉大社

 

これらは実際に行ってますし、

川越八幡宮は、親戚が近く

金峯山寺は、会員

熊野神社は、ルーツです

高野山も、参与会会員です

 

当たってますな~

ひらめき飛び出すハート