イザナギの禊 節分の禊と立春 | その先、ヒカリ♥

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開運行動があなたを変える!
黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!

 
 

神社人さまから

 

 

こうして、伊邪那岐大神

 

「私はなんとも醜い醜い、

穢れた国へ行っていたものだ。


ぎをして身体を洗い清めよう」

 

と言って、

 

筑紫
日向
小門

阿波岐原
にたどり着き、

禊ぎ祓いをした。

 

 そこで、投げ棄てた

御杖
(みつえ)に成った神の名は

衝立船戸神

 

 

 

 

(つきたつふなとのかみ)

境界にあって

邪悪なものを侵入を防ぐ

道祖神に当たる神

 

道饗祭の祝詞にも

道祖神として

「八衢比古・八衢比売」と並んで

「久那斗」が見え、

根の国・底の国から来る

悪いものの防塞が祈られている

 


 次に投げ棄てた

御帯(みおび)に成った神の名は、

道之長乳歯

(みちのながちはのかみ)

祝詞に

「ゆつ磐群の如く塞り坐す」

という表現があるように、

邪悪な物を防塞し、

長い道中の安全を守護する岩の神

とする説がある。

「長い道の端」として

異界との境界としての

意味を汲む説もある

 

 


 次に投げ棄てた

御嚢(みふくろ)に成った神の名は、

時量師

(ときはかしのかみ)

旅行の安全に

大切な時間の把握に関わる神

「解き佩し」の意とし、

解いた腰より下に

身につけたものから成ったことを

表わす名で、

物実を「裳」とした上で、

それを解いて露出した

陰部の生命力と併せて

黄泉国の邪悪な穢れを

除去することを職能とする神

 


 次に投げ棄てた

御衣(みけし)に成った神の名は、

和豆良比能宇斯能

(わずらひのうしのかみ)

書紀には「煩神」とあり、

「和豆良比」は、

文字通り「煩ひ」と解される。

「宇斯」は、

大人の意で人格化の称とされる。

その神格は、道祖神とみられ、

あるいは

黄泉国の穢れ

そのものの神格化で、

疫病神を統御する道祖神が

疫病神と同一視されるようになった

神であるとする説があり、

また、

ウシという人格化から、

災厄や穢れを付着させて

遷却する蒭霊(くさひとがた)の類ような

具体的な偶像の存在を当てる説がある。

また、十二神の化成を

旅に関わるものとして、

旅の災厄をもたらす神

 


 次に投げ棄てた

御褌(みはかま)に成った神の名は、

道俣

(ちまたのかみ)

書紀では

褌からは

開嚙神

(古事記の飽咋之宇斯神に相当)が

成っており、

この神は現れない。

道饗祭の祝詞に

八衢比古・八衢比売・久那斗と

あることと関連して、

道祖神としての性格が窺われる。
 名義は、

道の二股に分かれた処の意

とされる。

その神格は、

災厄や穢れの捨てられる道の

辻などに立つ神で、

禊ぎとの関連が、

異界との境界に当たることに

見いだされるとする説がある。

褌から成るのは、

その二股に分かれている所による

とされる。

 


 次に投げ棄てた

御冠(みかがふり)に成った神の名は

飽咋之宇斯能

(あきぐいのうしのかみ)

「速開都比咩止云神、持可可呑弖牟」

(祝・大祓)という罪を

飲み込む女神を参照にして、

諸々の罪穢れを

口を開けて食う神とする解釈

神名を「飽食の大人」と捉え、

付近に供物のあふれかえった

大型の道祖神と見る説、

また当該部分を

旅に関する神名の列挙と捉え、

旅行者にとって

最も恐れるべき

飢餓から守ってくれる神と

見る説もある。

 


 次に投げ棄てた

左の御手の手纏(たまき)に成った神の名は、

奥疎

(おきざかるのかみ)

「奥」は沖の意で、

海辺を意味する「辺」に対するもの

と理解される。

サカルは

「放る」「離る」の意で、

遠くの意とし、

浜辺を意味するナギサ、

境界を意味するカヒベラに対して、

遠くへ離れた所の意とされる。

 

 

 

次に

奥津那芸佐毘古

(おきつなぎさびこのかみ)

「奥」は沖の意で、

海辺を意味する「辺」に対するもの

と理解される。

「那芸佐」は

波限で波打際の意とされる。

「毘古」は男性とされるが、

「疎神」

「甲斐弁羅神」の神に対して

ここだけ人格的な名称を持つのが

注目される。

 

 

 

次に

奥津甲斐弁羅

(おきつかひべらのかみ)

「奥」は沖の意で、

海辺を意味する「辺」に対するもの

と理解される。

「甲斐弁羅」の意義は諸説ある。

「甲斐」は

「間・合(あひ)」

「峡(かひ)」に通じて、

同列の二神

サカル・ナギサに対応して

沖と渚の間の意とする説があるが、

これに対して、

単なる間の意で

カヒと呼べるかを疑問とし、

手巻の玉が海神に属し

貝殻で作られるものであることから

「貝」と取る説があり、

「弁」は

「那芸佐毘古神」の男である

のに対して女を暗示、

「羅」は接尾語としている。

これを否定する説では、

上代特殊仮名遣いで

「斐」字は

ヒ乙類の仮名であるが

「合」「間」「峡」や「貝」は

いずれもヒ甲類であるという

指摘がある。

海と陸地が交叉している所、

海岸線の意とする説もあり、

「弁羅」は

「縁(へり)」で境界の意味、

陸(現し国)と海との境界を示しており、

 

神名は、

厄病神としての

この神が他界への境界に

到着したことを意味するとみる。

 

 

 

 


 次に投げ棄てた

右の御手の手纏に成った神の名は、

辺疎

(へざかねのかみ)

「辺」は海辺の意で、

沖を意味する

「奥」に対するものと理解される。

サカルは

「放る」「離る」の意で、遠くの意とし、

浜辺を意味するナギサ、

境界を意味するカヒベラに対して、

遠くへ離れた所の意とされる。

 

 

 

 

次に

辺津那芸佐毘古

(へつなぎさびこのかみ)

「辺」は海辺の意で、

沖を意味する「奥」に対するもの

と理解される。

「那芸佐」は

波限で波打際の意とされる。

「毘古」は男性とされるが、

「疎神」

「奥津甲斐弁羅神」の神に対して

この神だけ人格的な名称を持つのが

注目される。

 

 

 

 

次に

辺津甲斐弁羅

(へつかひべらのかみ)

 「辺」は海辺の意で、

沖を意味する

「奥」に対するものと理解される。

「甲斐弁羅」の意義は諸説ある。

「甲斐」は

「間・合(あひ)」

「峡(かひ)」に通じて、

同列の二神

サカル・ナギサに対応して

沖と渚の間の意とする説があるが、

これに対して、

単なる間の意で

カヒと呼べるかを疑問として、

手巻の玉が

海神に属することを

下地として

それが貝殻で作られることから、

「貝」とする説があり、

「弁」は

「那芸佐毘古神」の男である

のに対して女を暗示、

「羅」は接尾語としている。

海と陸地が交叉している所、

海岸線の意とする説もあり、

「弁羅」は

「縁(へり)」で境界を意味するとして、

陸(現し国)と海との境界を示して、

神名は、

厄病神としての

この神が他界への境界に

到着したことを意味すると見る。

 

 


 右の船戸神から

辺津甲斐弁羅神までの

十二はしらの神は、

 

伊邪那岐命が

身に着けていたものを

脱ぎ棄てたことによって成った神である

 

 

 

そこで  伊邪那岐命は、

 

「上の瀬は流れが速い、

下の瀬は流れが弱い」

 

と言って、

 

初めて中ほどの瀬に降りて潜り、

身体を濯いだ時に成った神の名は、

 

八十禍津日

(やそまがつひのかみ)

「八十」は

数の多さを表す語で、

「大禍津日神」の「大」と同様、

美称とされる。

「禍(まが)」は

「曲」に通じ、

「直(なほ)」に対する語で、

よくないことを表わす。

「津」は

「の」にあたる連体助詞、

「日」は

霊格を示す語とされる。
 マガツヒという神名は、

神直毘神・大直毘神のナホビと

対をなしており、

凶事や悪事に関係する神と考えられる

 

①禍いをもたらす

悪神的な性格を強調する立場、

②悪いことに対して

過ちを正させる

善神的な性格を強調する立場がある

 

 

 

次に

大禍津日

(おおまがつひのかみ)

「大」は

数の多さを表す語で、

「八十禍津日神」の

「八十」と同様、美称とされる。

「禍(まが)」は「曲」に通じ、

「直(なほ)」に対する語で、

よくないことを表わす。

「津」は

「の」にあたる連体助詞、

「日」は

霊格を示す語とされる。
 マガツヒという神名は、

神直毘神・大直毘神の

ナホビと対をなしており、

凶事や悪事に関係する神と考えられる

 

 

 

この二柱の神は、

かのれた醜い国に行った時の

穢れによって成った神である

 


 次に

そのを直そうとして成った神の名は、

 

神直毘

(かむなおびのかみ)

「直」は

マガ(曲・禍)に対する

ナホ(直)で、

直すことを意味し、

「毘」は

神霊を意味するとされる。

神名に冠する「神」は

美称とされるが、

神直毘神と大直毘神との

具体的な違いは明らかでない。

 

 

次に

大直毘

(おおなおびのかみ)

「直」は

マガ(曲・禍)に対する

ナホ(直)で、

直すことを意味し、

「毘」は

神霊を意味するとされる。

神名に冠する「大」は

美称とされるが、

神直毘神と大直毘神との

具体的な違いは明らかでない。

 

 

 

次に

伊豆能売

(いつのめのかみ)

『日本書紀』にはこの神は見えない。

名義は、

「伊豆」を、

威いのあることや

神聖・清浄なことを意味する

イツ(厳)の意とする説があるが、

その場合のイツは

一般に清音であるから

疑問とする意見もある。

「能」は助詞で、

「売」は女の意とされる。

その名を、

厳しく清浄な女の意ととって、

禊をするときに

必要な神祭りをする巫女と解する説や、

汚れをすすぎ清める女神と

解する説がある。

 

神名に「神」という称が付かないのは、

もと神を祭る巫女であったためで、

後に自身が

神として祭られるようになったもの

と解する説がある。

一方、写本の中には

「神」の字を補ったものもあり、

「伊豆能売神」を

元来の形と見る説もある。

 

 

 

 

 

合わせて三はしらの神。

 


 次に

水の底で身体を濯いだ時に

成った神の名は、

底津綿津見

(そこわたつみのかみ)

 

 

次に

底筒之男命

(そこつつのおのみこと)

 

 

 

 

 


 水の中ほどで

 身体を濯いだ時に成った神の名は、

中津綿津見

(なかつわたつみのかみ)

 

 

次に

中筒之男命

(なかつつのおのみこと)

 

 


 水の表面で

身体を濯いだ時に成った神の名は、

上津綿津見

(うわつわたつみのかみ)

 

次に

上筒之男命

(うわつつのおのみこと)

 

 

 

 底津綿津見神・中津綿津見神・

上津綿津見神の

「三柱の綿津見神」について、

 

『古事記』の本文には、

阿曇連が祖神として奉斎する神で、

阿曇連は綿津見神の子、

宇都志日金析命の子孫である

と記されている。

 

 

上箇之男命・中箇之男命・

底箇之男命の

「墨江之三前大神」

(住吉大社の祭神)と対称

 

 

ワタツミの神を祭る神社は

西日本の沿岸や島の各所にあり

(『延喜式』神名帳)、

 

また、名前に

ワタツミとつく神を

祖神としている氏族は、

阿曇連に限らず、

安曇宿禰、海犬養、

凡海連、凡海連といった

海人の氏族がいる(『新撰姓氏録』)。

 

ワタツミの神が

海人の諸氏族によって

広範囲にわたって

信仰されていたことがうかがわれる。
 

 阿曇連は

その中でも、

中央に仕えて

海人の統括者として

活躍した有力な氏族であった。

 

 

 

 

 

 

 

そして、

左の目を洗った時に

成った神の名は

天照大御神

(あまてらす

おおみかみ)

 

 

 

 

次に、

右の目を洗った時に

成った神の名は

月読命

(つくよみのみこと)

 

 

 

 

次に、

鼻を洗った時に

成った神の名は

建速須佐之男命

(たけはや

すさのおのみこと)

 

 

 

 

 


 以上、

八十禍津日
神から、速須佐之男命まで、

十四柱の神は、

伊邪那岐命

身体をすすいだことによって

生まれた神である。

 

 

 

 

 

 

まるで、黄泉の国のこと、

イザナギの禊は

 

一年の穢れを

落とす

節分の頃の

ような話で

 

三貴子が生まれるところは

立春にも似ていますね

 

 

 

 

2022年節分の再投稿