井上ひさしさんがいた、孤児院
1950年(昭和25年)、
宮城県仙台第一高等学校へ進み
孤児院から通学。
在校中の思い出を
半自伝的小説『青葉繁れる』に記している。
在校中は新聞部に所属し、
同級生に憲法学者の樋口陽一、
1学年上級生には俳優の菅原文太がいた。
と、あります。
ひょっこりひょうたん島の原作者でした
著書は、
けっこう難しかったなあ
実は、菅原文太さんと同級生だったのは、
父方の祖母の実家、長男だった叔父でした。
文太さんが仙台に来ると、よく会っていましたよ。
文太さんが亡くなり、
そのあと、叔父も亡くなりました。