人生は、ドラゴンボールを集める旅 | 開運行動すれば【その先、ヒカリ♥】

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占ってもらうだけでは変わらない今を、開運行動するだけで、あなたを変える!
黄泉の国、記紀を正しく知る事は、日本人として非常に大事です。
漢方養生指導士
ご縁玉と寅の日お財布さまおまじない感謝祭の提唱者です!

画像お借りいたしました

 

 

そもそも、わたし

ドラゴンボールという

マンガに興味はございません

爆  笑あせる

 

この玉が生まれた理由が

 

ナメック星人の中の龍族の

天才児だけが作ることができる。

本来は

ナメック星だけのものだったが、

後に

地球の神様になるナメック星人が

地球に降り立ち、

ナメック星でのかすかな記憶をもとに

地球でもドラゴンボールを作った。

 

老界王神は

ドラゴンボールを

「宇宙の法則を無視した

反則のようなもの」

と語っており、

乱用を快くは思っていない。

本来それを生み出した、

「まじめなナメック星人のみに

許された反則技のようなもの」

とも語っており、

地球にドラゴンボールが

存在していること自体に

驚愕していた。

 

まだ人間が正直だった頃、


ポーン

ドラゴンボールは

もともとは大きな一つの球で、

神が人間を祝福し与えたものであり

人々の願いをかなえるため

神殿に飾られていたが、

人間たちが欲深くなったために

それを神様が7つの球に分割し、

各地に散らばらせた、

ということが

アニメ『ドラゴンボール』の

第33話後半パートで

亀仙人の口から語られた。

この回では

亀仙人は

ドラゴンボールのことを

伝説や言い伝えとして知っていたが、

どういう形をしているのか

知らなかった。

 

と、あります。

 

地球での名称

それぞれ星の数の順に

一星球(イーシンチュウ)、

二星球

(アルシンチュウ/リャンシンチュウ)、

三星球(サンシンチュウ)、

四星球(スーシンチュウ)、

五星球(ウーシンチュウ)、

六星球(リュウシンチュウ)、

七星球(チーシンチュウ)

となっている。

 

地球の神様は

神龍(シェンロン)という名の

龍を呼ぶドラゴンボールを作った。

1つだけ願いを叶えてくれる。

 

ナメック星での神龍は

ポルンガという。

夢の神という意味である。

話す言葉は

ドラゴンボールの世界の

共通語だが、

悪用を防ぐため、

ポルンガを呼ぶ時や願いを言う時は

ナメック語を使わなければならない。

叶えられる願いは3つで、

地球のドラゴンボールとは違い

同じ者を何度でも

生き返らせることができる。

 

と、あります

 

へぇ~そうなんだ

うーん 

 

******************:

先日、


五常の徳

 

仁、仁愛、最高の徳

 

義、正義を貫く心

 

礼、敬意を表す心、学がある

 

智、正しい判断

 

信、信頼、ウソを言わない

 

について書きましたが

 

**********************

 

南総里見八犬伝

という物語を

うーん

ご存じですか?


八徳のことです

 

五常の徳の

仁、義、礼、智、信のほか

 

忠、心に偽りがない

 

孝、親や先祖を大切にする

 

悌、兄弟仲が良い

 

**********************

仏教には

「十の徳目」があり

うーん

八徳のほか

 

忍、二つある


一、迫害や侮辱、自然災害

病気などの苦難に

耐え忍んで怒らず、

動揺しない

 

二、空、無我、無常、縁起など

仏教の真理において

心が耐え忍ぶこと

真理に対して、

不動心である


智慧によっての忍こそ、

あらゆる苦難を忍ぶことが

できるという

 

**********************

畏、五怖畏(ごふい)

 

●不活畏

生活上の畏れ


●悪名畏、

プライドが失われる畏れ


●悪道畏(悪趣畏)

地獄に落ちるのでは

という畏れ


●死畏

自己の死に

たいする畏れ


●大衆威徳畏(衆威徳畏)

大衆の前に、

自信がないのに出る畏れ

 

 

************************

 

孔子は、


翡翠について


十一徳です

 

 

(これはある方から、

以前に

教えていただいたものです。

ちょっとネットで

探しました)


ほっこり

 

子貢問於孔子曰:

「敢問君子玉貴而珉賤,何也?

為玉之寡而珉之多歟?」

孔子曰:

「非為玉之寡故貴之,珉之多故賤之,

夫昔者君子比德於玉:溫潤而澤,

仁也;縝密以栗,智也;廉而不劌,

義也;垂之如墜,禮也;叩之,

其聲清越而長,其終則絀然,

樂矣;瑕不掩瑜,瑜不掩瑕,

忠也;孚尹旁達,信也;氣如白虹,

天也;精神見于山川,地也;珪璋特達,

德也;天下莫不貴者,

道也。


《詩》云:『言念君子,溫其如玉。』

故君子貴之也。」

(孔子家語 第三十六)

 

(ある時、孔子の弟子である)

子貢が孔子に言いました。


「お尋ね致しますが、君子が

玉(ぎょく、軟玉ヒスイのこと)を

貴んで、

宝石を卑しむのは何故でしょうか? 

玉は数が少なく、

宝石は数が多いからでしょうか?」。

 

すると孔子は言いました。

 

「玉は数が少ないから貴いのではない。

宝石は数が多いから卑しむのではない。

昔の君子は

その徳(人格)を

玉に比べられたものだ。

 

温和に潤っていてツヤがある、

これは仁の徳である。 

 

厳かで慎しみ深いことは

厳しさを以ってする、

これは智の徳である。 

 

決まり正しくて損なう事がない、

これは義の徳である。 

 

真っ直ぐなことは落ちるようである、

これは礼の徳である。 

 

これを叩けば清らかな音が長く続き、

終わりは縫い合わせたようである、

これは楽の徳である。 

 

傷はきれいな玉を覆い隠さず、

かつ、きれいな玉は傷を覆い隠さない、

これは忠の徳である。 

 

真心をおさめ、広く行き渡っている、

これは信の徳である。 

 

気は白い虹の如くである、

これは天の徳である。 

 

その精神を山川に見いだす、

これは地の徳である。 

 

儀式に用いる玉の中でも

特に優れている、

これが徳の徳である。 

 

天下に優れていないものはいない

(と平等に見る)、

これは道の徳である。 

 

『詩経』に曰く、

「心の中で思いを述べている君子は、

穏やかなること玉のようだ」と。

 

だから君子はこれを貴ぶのだ。」

 


 

人間だもん

全部

できるわけではない

ぼけー

 

だいたい

人間

生まれた時は

真っ新で

清らかだけど

 

だんだん

世間の荒波に揉まれ

歪んだり

卑屈になったり

時には

正しい道を

踏み外したり

人を傷つけたり

自分を卑下したり


マイナスに

かぶれていく

 

その時々

歪みそうに

なりながら

自分で修正したり

踏み外しそうに

なっては

立て直したり

人生勉強をして

智慧を得ていく


プラスにしていく

 

歪みっぱなし

踏み外しっぱなし

そんな人もいるけど

長い人生の中で

必ず

はたと気づく時期が

やってくる

 

 

人は

死ぬまでの間に

ひとつひとつ

人生勉強して

 

 

ひとつひとつ

ドラゴンボール

集めていく

 

「神龍」を

呼べるか

呼べないか


そんなことが

答えではないけど

 

きっと

ひとつずつ

集めていきながら

人は

大きくなって

人望を集め

好きに

やっていることも

広がっていく

のでしょうね

 

そういう人を見た時

善悪も判断

しなくては

ならないし


口車に乗せられ

勢いで持って

いかれぬよう


こちら側も

学ばねば

ならないのは

確かだ

 

 

 

いつまで

生きられるかわからぬが

わたしも顔晴って集めよう!

片意地張らず

肩のチカラを抜いて

 

知識も大事だが

智慧は上


要領がいいというもの

でもない

 

ほっこり