私がお父さんと呼ばなくなった理由
息子が2歳前に離婚した。息子に少しだけ罪の意識を感じた。私には、父も母もいる。息子には、父がいなくなる。
離婚したあの日から私は、父のことを『お父さん』とは呼ばなくなった。息子からお父さんを取り上げてしまった罪の意識?負い目?いろいろな複雑な気持ちがあった
だから、父親のことは、「おじいさん」と呼んだり、名前で呼んだりする
あの時、私が1人で息子を育てていこうと思った。やってやる!って頑張った。何も世間を知らない私は挫折の連続であった〜泣きたくなる、死にたくなる、そんな日もあった。
息子が20を超え、家から離れていった今、ようやくいろいろな事に気づく
i 西加奈子
私は、お金持ちでないけれど、『i』の気持ちがわかる
世の中の惨劇に胸を痛める
いくら胸を痛めても世の中は変わらない、いくら胸を痛めても高みの見物、いくら胸を痛めても自身はそっちの世界に行きたくない、・・・
胸を痛めるのは、悪なのか?とは、思わないけれど、胸を痛めていることを悩みとするのは違うような気がする
若さからくるものかもしれない
考えない人より考える事が大切かもしれない
自身の父や母はどんな人で、祖父と祖母はどんな人で、どういう風に私が出来上がったのかわかる安心さ
それがあるから強さを持てているのかもしれない
それが全くわからなかったら?
自分は誰で、どこからきたのかという謎、不安・・
息子は父を知らない。父を知らない息子がアイのようにそこに縛られ、胸を痛めていたとは思いたくない
生まれた時のことは変える事は出来ないけれど、今やこれからは、いくらでも自由に、好きなように生きていける
それが息子にあげた私からのプレゼント