はじめまして。

ごく普通の専業主婦です。

 

大好きな人と結婚し、

2021年に待望の第一子を授かりました。

 

『普通』の妊婦生活

『普通』の出産

『普通』の育児が

始まると思っておりました。

 

………その時までは………真顔

 

 

今度詳しくまとめますが

妊婦生活は本当にドタバタで安定期なんて無かったです絶望(笑)

 

 

出産予定日より1か月以上早く破水し、大きな病院に緊急搬送アセアセ

私は陣痛に気づかないうちに娘の頭が出てきて、娘爆誕立ち上がる

娘は大きな声で泣いて、目を開けて私を見つめてくれ、

その時とても安心したのを覚えています赤ちゃんぴえん

 

 

出産してすぐ娘は検査のために新生児の先生に連れていかれ

一瞬たりとも抱っこできませんでした赤ちゃん泣き

 

 

約1時間後、「話があります」と新生児病棟に呼ばれ

産後の私は車イスに座り、旦那に車イスを押してもらい

不安な気持ちのままNICUに入室しました。

 

 

妊婦検診ではお医者さんに特に問題は言われず

「小さめだけど大丈夫です。元気ですよ。」と

言われ続けた我が子でしたが、

産んだ後に娘の病気が発覚し、病名を伝えられた時は

もう本当に頭が真っ白になりました。

 

 

や………。低出生体重児なのは覚悟してたんです。

だけど聞いたことのない、何て読むのかも分からない

難しい漢字が並んでて……。

 

 

もう本当に無理でした宇宙人くん

このまま失神するんじゃないかと思いました。

 

 

先生から告げられた病名は

・大動脈縮窄症

・心室中隔欠損症

・心房中隔欠損症

・異形症候群(手の指・耳)でした。

 

 

検査・治療のため娘を産んだ病院ではなく、

もっと高度な小児科専門病院に行ったほうが良いと言われ、

娘は救急車で遠くの病院に連れていかれました……。

 

 

私はまだ産後すぐなので退院できず……

あんなに命がけでお腹の中で育てて産んだ子なのに

なぜ離れ離れにされなきゃならないんだと

とことん神様を恨みました。

 

 

なんでうちの子が?私が何かしてしまったのか?

今までの何が悪かったのかな?

なぜこんなことになってしまったのか?

とそればかり考えてしまい夜も眠れませんでした。

 

 

そして娘は生後2日で緊急手術することになりました。

私はまだ退院許可が出てなかったので

娘の手術に立ち会うこともできず

産後から1度も娘の顔を見てもいないのに

もし万が一娘に何かあったらどうしようと

最悪のことばかり頭に浮かんでいました。

 

 

朝から夜までずっと泣き、

新生児より泣いていた私でした。本当に。

 

 

何度も9階の病室から飛び降りることを考えましたが

娘の顔、そして旦那の顔がよぎり、

ここで死んでられないなと持ち堪えました。

 

 

娘の1回目の手術は無事に終了し

私も次の日(産後3日目)に退院でき、

娘の顔を見ることができて

本当に生きていてよかったなと思いました。

 

 

そんな感じの出産&娘の病名発覚エピソードです。

また今度ゆっくりまとめますおやすみ

 

 

今まで何度も泣き喚いたか数え切れませんし

夫婦そろって精神科に通い、抗うつ剤に助けられて

何とか生きているネガティブ母ですが

どうぞ宜しくお願い致しますおやすみ(笑)

 

 

妊娠出産は奇跡中の奇跡です。

決して当たり前にできることではありません。

 

 

そして子供の生命力は本当にすごくて………

1500g&心不全の状態で生まれた我が子は

今6か月を迎え、4500gまで大きくなってくれました花

 

 

たくさんよくおしゃべりし、

人の顔を見てニコッと笑い、

私たちを癒してくれていますほんわか

 

 

1日ごと少しずつでも大きくなってくれて

私はとても嬉しいですおねだり

 

 

そして、大雪で前が全く見えない日もありましたが

どんな日も遠くの病院まで毎日欠かさず

面会に連れて行ってくれた旦那に感謝です。

 

 

この人と結婚できて良かったなと心から思いますし、

旦那がこの人じゃなかったら

私はとっくに三途の川を渡っていたと思いますので(本気で)

 

 

私もどんどん強く、娘にとっての自慢のママになれるよう

日々精進していきたいですにっこり

 

 

ではまた気ままにマイペースに更新しますので

どうぞ宜しくお願い致しますお願い

 

 

2回目3回目の手術も色々ありましたし、

マクドナルドハウスの話も書きたいですし、

もうとにかく私の産後うつ辛かった奮闘日記を書きたい(笑)

 

 

ゆずママのしほでしたハムスター