おねえちゃんだから平気3 | 過去の虚無と対峙して

過去の虚無と対峙して

恵まれているようで、恵まれていなかったことに気づいた時、私の心は崩壊した。
(おねえちゃんだから、平気だよ)と母親を喜ばせ、本当は甘えたかった気持ちを隠してきた。
絶賛加筆修正中。テーマで絞ってお読みください。

 中学へ上がって制服というものを着るようになった。中学校も家からかなり近かったのだが、その短い道のりを友だちと登校するようになり、勉強もまあまあ楽しくて、中学生活に何一つ不満がなかったころ。
 またしても、引っ越しの話が出る。

 父も働き盛り、子どもも2人いて、弟がもうすぐ小学校1年生になる。そのタイミングで、市内で最近埋め立てられた住宅街に家を建てるというのだ。新築の家に住めることはとても嬉しい。でも、やっぱりそこでついてくる問題が、転校のことだ。

 母は一応、父に相談してくれた。
「お姉ちゃん、また転校になるよ? 小学校も、入学した学校で卒業できなかったのに、中学校も同じことになるよ? それでも今しかないのかな?」

 我が家では父が絶対だった。母も仕事をしていない専業主婦だし、父の考え方が固かったので、父の言うことは絶対で、ご飯を食べる時も醤油は父から使う決まりがあり、お風呂も父が最初に入るような家だ。
 父も私と一緒で、そうと決めたらすぐに行動するタイプだったので、母がなんと言おうと家を建てる時期は変わらなかっただろう。

 中学1年生の2学期の終わりごろ、家は完成した。その住宅街は、そのころはまだ家が少なくて、空き地になっている土地が多い中に、ポツンと我が家が建っている。
 多趣味である父の趣味の一つ、『製図』を活かし、父が設計した家だった。玄関を出ると屋根から雨が流れてくるという設計ミスもあったが、他はまあ大きなミスもなく、よく素人がここまで設計したと思う。

 広いリビングに狭いキッチン。これが『父が絶対』ということを物語っていた。母はこれから先何十年も、この暗くて狭いじめじめしたキッチンで父への料理を毎日3食作るのだ。
 リビングに面した和室は、隣町の厚岸町に住んでいる父方の祖父母が遊びにきた時に寝泊まりできる部屋となっている。家を建てる時に少しお金を工面してもらったようで、祖父母も時期がきたら一緒に住む約束だったらしい。
 結局、その後すぐに父方の祖母は肺がんを患い亡くなってしまったので、来たことがあるのは祖父だけになるが、祖父は自転車であちこち出歩くほど元気だったので、しょっちゅう汽車に乗って遊びに来ていた。この家を建てる時の『地鎮祭』には私も参加したから覚えているが、家を建てると身内が不幸が起こるというジンクスは、生きているようだ。

 玄関を抜けてもう一つある和室は、母方の祖母の部屋。母方の祖父は、私が幼稚園の時に心臓病で亡くなってしまい、それから祖母は私たちと一緒に住んでいた。パートで家を空けることも多かった母に代わり、夕飯を作ってくれ、私と弟にとっては母親のような存在だった。

 そして納戸といわれる物置があり、お風呂とトイレがある。

 2階は両親の寝室と、父の書斎、私と弟の部屋がそれぞれある。トイレは2階にもついていた。物置が一つあり、無駄になっている屋根裏のスペースがある。
 ここはそのうち、父が自力で改造して、パソコンと電子ピアノとソファーを置いた、簡易音楽室になった。
 さらに奥には物置がもう一つ出来上がった。その物置に入るには四つん這いになって2mくらい行かないと入れない、謎の物置だったが、物に溢れた我が家には必要な部屋だった。ちなみに荷物を四つん這いで運ぶのは無理なので、キャスターと紐を付けた板が置いてあり、それに乗せて押したり引いたりするアナログなシステムだ。

 父の趣味は趣味の域を越えているものがたくさんあって頼もしい。

 さて、私の学校と弟の幼稚園問題。私は、2学期の残りはバスで前の学校に通うことにした。かなり早くに家を出なければいけなかったが、バスで通うという、『他の生徒がやっていないことをやる』というのが苦ではなく、むしろ誇りに思えた。バレエの時からそうだったが、『私ってすごいでしょ』感を出してしまう癖がある。だから嫌われたのだろう。

 弟は、通っていた幼稚園に新しい家方面の子がひとりいたらしく、そっちの方まで通園バスが来てくれていたので、卒園まで同じ幼稚園に通っていた。弟は、「両親は姉にばかり甘い」と思っているようだが、私は両親の都合で転校を2回していると考えると、最後まで同じ幼稚園、小学校、中学校、高校に通わせてもらえた弟の方が恵まれていると私は思う。私は「おねえちゃんだから」いろいろ平気なふりをした。

 義務教育の中学校で校区が違うのに3年もバス通学をできるわけがなく、私は1年生の3学期から新しいマンモス校に転校した。手続きとか大変だったのではないだろうか。でも、ここで私の人生が大きく変わった気がする。いい意味で。