昨日無事に高山旅行の宿泊地が決まりました。


高山といえばの赤い橋のすぐそば

朝市で有名な川沿いにある旅館です。


女性だけの風呂施設が別棟にもあって

だいたいのところへ徒歩で行けて

チェックアウト前後も車を預けられる

めちゃくちゃ立地も条件も良いとこ。


前日動画でみてたけど

高いから外してたところのうちの1つでしたが

夫が頑張って取ってくれたようです。

ほんと、私には甘いなぁ笑


しかし私は高山には正直トラウマが。


元夫絡みで悲しい思いはたくさんしました。

そして私と同じくらいかそれ以上

私の両親にもつらい思いをさせました。


一番つらかったのは

どれだけ約束をしてもお金に関して

その場逃れの嘘をつき続け

ホントか嘘かわからない話を

私に黙って私の両親にまでしにいって

お金を借りようとしていたりして


それでも両親に助けを求めず

むしろ遠ざけて電話すら取らず

心の病になったことさえ一年以上隠して

殻に閉じこもる私を見て

両親はもう黙っていることができなくなった。


元夫の亡き母の姉

つまり伯母にあたる親戚に連絡をとり

元夫が言っていることがどこまで本当なのか

生い立ちも含め話を聞きに行く、と

私に言ってきた。


今まではなんとか思いとどまらせようと

あの手この手だったはずだけど

(薄々わかってたけど、自分の選んだ人を

信じられないことを認めたくなかった)

この時にはもうそんな気力もなかった。


たまたま私の勤務先の移転の時期と重なり

2週間ほど強制的に有給消化となったので

両親と三人で元夫には本来のことを言わず

ただ気晴らしに旅行に行くと言って

親戚の家へ向かった。


元夫の伯父と伯母は両親の目的を察し

丁重に迎えてくれ

穏やかに話をしてくれた。

元夫の伯母は結婚前から本当に良くしてくれて

私は大好きだった。


結局最近元夫が言っていたことは嘘だろうと

いうことがわかり両親も私も失望した。

他人にお金を貸したというのも嘘なんだろう。

どこかではもう分かっていたけど 

今度こそもうダメかもしれない

そう思った瞬間だった。


玄関先で両親は元夫の伯父伯母に向かって


「あなたがたがどう思っているかは

わかりませんが、うちの娘は(彼のせいで)

こうなってしまったことを知っておいて

いただきたくて参りました」


と毅然として言った。

我慢強く人が好い母親のあんな姿

初めてみた。


伯父と伯母はそんな両親に土下座にちかい

格好で頭を下げて謝ってくれた。

この人たちは悪くないのに。


そうじゃない。そういうことじゃない。

私がひとつこの人たちに恨み言を言うとすれば

借金苦で親戚ほうぼうから借りまくって

サラ金からの大量の借金を

抱えたまま亡くなった元夫の母親。


そんな母親や、残された義兄や元夫が

払わなくてもいい方法や(相続放棄とかね)

借金を減らす方法なんか私でも思いついた

し、弁護士に頼って実行できたのに、それまで

誰一人として彼らにそんな助言をしてくれ

なかったこと。


みんな公務員や地主農家で金持ちで

偉そうなことを言う人ばっかりなのに。


たぶんそれだけのことを彼の母親は

してきたのだろう。 

親戚たちは貸したお金が返ってこないことは

もう諦めていたという。というか

返ってこないことをわかってて貸してたはず。

だからきっとみんなもう関わりたくなかった。


でもその子どもに

「母親の借金はサラ金だろうと

無かったことにせずお前らが返せ」

って…それは正しいことなの?


とにかく両親や優しい元夫の伯母の

こんな悲しい姿を見たくなかった。

今でも思い出すと涙が出る。

そして肝心な元夫はそこにいない。

なんなんだろう、これは。そう思った。


車に乗り出ようとするときに

伯母は私に泣きながら

「もうこれからは自分を大事にしてね。」と

言ってくれた。


私は泣かないように頷くことしかできず

結局それが伯母の顔を見た最後に

なってしまった。 

(伯母はその2年後、私が再婚するか

しないかの時に癌で突然逝ってしまいました。)


その後どこかすっきりして高山旅行を楽しん

でいるように見えた両親とは反対に

私はもう何もかも嫌になって車中でも旅館でも

ひたすら寝るか、寝たふりをして

会話しなくてもいいようにしていた。


一泊二日のその旅行は

雨が降っていた事以外

どこで何をしてどこへ泊まったか

今でも何ひとつ思い出せない。


たぶん旅館とサービスエリアくらいで

街歩きとかの観光はしてないと思う。

パニック障害で仕事以外引きこもっていた

時期だったし。


ぼんやり覚えているのは

露天風呂で母に

「こんなにガリガリになっちゃって…」

と背中をさすられたことと

「私だってバカじゃないし、次はないから」

と、宣言したこと。


実際にその半年後、最後だからねという

約束を破られて離婚しました。


悪い人じゃなかった。

仕事が好きで、休むことを知らず

ひょうきんで人が好きな人だった。

でも育った環境に負けたのかな。


苦難を乗り越える力が足りず

育ちを憎むことしかできなかったんだと

思う。


それをあさはかにも

私が変えてみせると結婚したけど

私も私の両親も

何をどうやっても変えられなかった。


両親ははらわたが煮えくり返る思いを

必死で隠して、私のために私が幸せならと

彼を一家に引き入れようとすらしてくれたのに。(元夫は頼れる身内がいない為)

でも誰も彼の育ちには勝てなかった。


楽しいときもたくさんあって

休みが合わず、年に1度もないくらいだけど

お墓参りついでに高山日帰りドライブは

当時は嬉しかったけど

やっぱり今思うと…いろいろ悩みや不安

はあってせつなかったな。


よくあるただの鄙びた旅館なのに

「いつか余裕ができたらこんなとこに

泊まって観光したいね」

って遠い夢のように元夫と話してた

そんな思い出を

今の夫は軽々と払拭して上塗りしてくれようと

しています。


夫には詳しく話していませんが

私の何気ない発言や両親の話から

私が相当追い詰められていたことは

よく理解してくれています。


元夫。

私以外頼る人がいない孤独な人。

今生きてるのかな。

私みたいに今まで出来なかったことを

叶えられてたり、支えてくれる人が

側にいてくれたらいいな。