皆様こんにちは
父との話を毎日更新できずすみません
途切れ途切れでわかりにくいかもしれませんが、
いつもお読み頂き感謝申し上げます
早速前回の続きです
父と年末を実家で一緒に過ごす為
病院から戻って来る途中、
父の両親のお墓参りをし、
懐かしい場所を巡りました
家では母お手製のすき焼きを食べ
かけがえのない大晦日を過ごしました
私は父との思い出の中で
家族団欒という時間を
母と私の旦那さんと
可愛い実家のワンちゃんと
笑顔で楽しく過ごせた
この日の記憶は一生忘れません
しかし、楽しい時間はあっと言う間で。。。
父が病院に戻る時がやって来ました
そして2010年の年が明けましたが
入院に戻った父の容体が日に日に
悪化の状態を辿りました
痙攣が頻繁に起き
息も苦しくなって来て、酸素の量も
増えていきました。。。
この前まで、あんなに笑って
思い出話を楽しくしていたのに
こんな短期間でどんどん
父が衰弱するなんて嘘のようでした
その後、1月も終わりに差し掛かろうと
していた寒い日の朝
いつものように私は
田辺から和歌山の病院に通い、
母と待ち合わせて、父の様子を
見に行きました
薬のおかげでとてもスヤスヤ寝ていたので
父の手を握り、少し座って様子を見て
今日は起きそうもないなと判断し、
穏やかな父の顔を見て
「また明日も来るからね」
そう寝ている父に話しかけて
病院を後にしました
そして、あと少しで田辺に着く夕方の高速で
病院から着信がありました
物凄く嫌な胸騒ぎを感じ
サービスエリアに入った私は
急いで病院に電話をかけました。。。
「お父さんが危篤ですすぐに
病院に戻って下さい」
看護師さんの緊迫した声が
全ての状況を物語っていました
すぐに仕事中の主人と母に連絡をしました
田辺で主人を乗せ、その足で
すぐに和歌山に戻りました
病院には母と、父側の親戚が集まっていました
私が到着した時はすでに
父は息を引き取っていました。。。
とても穏やかな優しい父の顔でした
最期を看取る事は残念ながらできなかったけれど
父と過ごせた、この1か月半は
本当に本当に私にとって
ぽっかり空いた隙間が埋まり
私は愛されて生まれて来た事も実感でき
親子の関係を取り戻せた事
20数年会えなかった父と
再会させて下さったお導きに
心から感謝をしました
お父さん本当に有難うそしてお疲れ様でした
ただ、病を患いしんどかった父を
全面的に支える事ができたのかと考えると
娘として足りなかった事だらけだったけど
私は父と母の娘に生まれてこれて
本当に良かったです
いつも天界から見守ってくれている
父にもっと安心してもらえるように
人間的に成長しないとですね
そして運命の日のお話に戻ります
昨年無事に父の3回忌を終え、
今年の父の本命日の1月28日
なんと私は大阪の不妊治療の手術室の上でした
そう父の本命日が、計らずも
私の体外受精の採卵日の日となったのでした
次に続く。。。
MAHALO