『ぼくのものがたり』はハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805〜1875)の自叙伝です。自叙伝の一行目「私の一生は、美しい童話です。」はよく知られています。
アンデルセンは童話の登場人物のようでおとぎの国に住んでいそうだけれど実在の人物です。好きな作家の自伝や作家論はあまり読まないようにしているのですが、いわさきちひろさんの詩情溢れる装画が美しくて思わず手に取ってしまいました。


アンデルセンは貧しく不幸な身の上でした。アンデルセンの祖父は裕福な農民でしたが度重なる不運で財産を失い心の病になり父は教養も才能もあるのに受けるはずの教育が受けられず靴屋になりました。後にナポレオンに憧れて戦争に行き体と心を壊してしまいます。母は物乞いをさせられて育ち文盲で息子の作品も手紙も読むことが出来ませんでした。父はアンデルセンに詩と物語を読んで聞かせ芝居に連れて行き手作りの玩具や人形を与えました。アンデルセンの父と母は自分が不幸だった分よけいに一人っ子の彼を大事に愛情深く育てました。アンデルセンは一人で人形で遊び人形の服を作るのが好きな男の子で母親は彼を仕立屋にしたかったようです。
14歳の頃に有名になりたいとコペンハーゲンにひとり出てきました。
貧民街出身の彼は貧乏でつてもなく行き当たりばったり。大勢の人が彼の滑稽で風変わりなところを見つけて笑いものにすることもありました。それでも危機がある度に必ず支援者が現れてみすぼらしいアンデルセンを助けます。
この『ぼくのものがたり』はアンデルセンの幼少期から初めて自分の作品が舞台で拍手喝采を受ける28歳までの自叙伝です。明るく自分を励まし努力して初対面の人にまで泣きながら身の上話をしてしまう風変わりな少年が終には国の枢密院議長の支えで国王の推薦を取り付け学業を続け大学を良い成績で卒業し自分の作品を世に送り出し成功する夢物語のようなエピソード、まさにメルヘンというか『私の一生は美しい童話です。』と自ら述べるのも納得でした。

もう一冊『アンデルセン ある語り手の生涯』を読んでみました。『ぼくのものがたり』が分かりにくく正直なところ何だか納得できないところがあったので。


こちらは海外の研究書を翻訳したもの。
『ぼくのものがたり』には描かれていない生々しいアンデルセンの姿が描かれています。

以下、内容を簡単にまとめました。

アンデルセンの祖父が裕福な農民だった事実はなくすべて空想癖のある祖母の嘘であり、アンデルセン本人も運命だの高貴の出自だのといった大仰な幻想を幼いときから大人になってもずっと持っていた。

彼以外には貧民街出身の文豪はいなかったこともあって容姿と出自に関する劣等感が強かった。

名誉欲がとても強かった。守銭奴が金を求めるように名声を求めることをやめられないと自ら手紙の中で述べている。後にデンマークだけでなくヨーロッパを代表する作家の一人になっても名声を欲する気持ちが収まることはなかった。

今で言うところの中学生くらいの歳から中流階級の家に一人で赴き歌を歌い詩を朗読したり喜劇悲劇を演じた。ボロを纏い痩せっぽちで初対面の大人たちの前で「わたくしの自作の詩を朗じて、演劇への思いのたけを述べてもよろしいでしょうか」と話し始めて一人で全ての役を演じ切り度肝を抜いた。もとは悲喜劇が書ける俳優になろうとしてしていた。必死の決意と燃えるような野心で心を捉えて多くの支援者を得た。自分が属している階級より上の階級の人々に自分を印象付けたい欲望があり、都会で生き延びるために必要だったので自分が天才であることを信じ込ませるよう振る舞い、その結果中流階級の人びとがアンデルセンの為に有力者や学校を紹介し寄付を募ったりした。中流階級の人々に受け入れられ出世するには無垢で純粋でナイーブな田舎の少年であることが肝要であると気付いて、元の性格も女性的で無垢であったのが意識して役を演じ続け、演技なのか素なのか終には自分が何者か分からなくなり苦しんだ。

アンデルセンの母方の祖母は身持ちが悪く婚外子を3人生んだことで逮捕投獄され、また祖母の妹は売春宿を営んでいた。母親が結婚しないで生んだ異父姉カーレン・マリーは堕落、無知、身持ちの悪さの象徴としてアンデルセンを苦しませ続けた。彼女が現れて自分の汚れた出自が人々に知られて築き上げてきた地位と名誉が壊されてしまうとずっと怯えていた。『赤い靴』は異父姉カーレン・マリーがモデル。

30人以上の女性に恋をして全て失恋。女性に恋をする一方で当時に男性にも恋をして恣意的に三角関係を作り出し燃え上がった。男性との恋の隠れ蓑にすることもあった。男性とも女性とも恋をするがずっと心を寄せていた相手は男性だった。恋愛に身を投じ我を忘れるほどのめり込んだ。

児童文学の生みの親。おとぎ話という表現形式を作り出した。幼年時代の記憶を大事にして作品を創作した。

『アンデルセン ある語り手の生涯』は最近読んだ書物で一番面白い本でした。
アンデルセンの作品は男も女も男らしくも女らしくも描かれていないひたすら詩的な描写なのに愛の表現が烈しく生々しい。『鉛の兵隊』では材料が足りなくて片足の鉛の兵隊が想いを寄せる片足で立つ踊り子の紙の人形と暖炉の炎にくべられて燃えてハートの形の鉛の塊になってしまったりする。
大好きな作品だけど何故とも思ってきて、アンデルセンの内面と生涯の両極端な二面性を考えると腑に落ちました。
読んで良かったです。出自も品も悪く自己宣伝もお追従も沢山する、自己中でわがまま、サービス精神旺盛で根っからのエンターテイナー、自分の背景をおぞましくも愛おしくも思っている。自分を苛めた学のない労働者階級が嫌いで王侯貴族などの上流階級に憧れているけれど本当はそこは居場所じゃないのも知っている。

いわさきちひろさんが描いた物乞いをすることが出来なくて橋の下で泣く小さな女の子だったアンデルセンの母親。


見たことがあるはずはないので、この挿絵はいわさきちひろさんが心の中に映ったアンデルセンのお母さんの姿なんですよね。

無性にいわさきちひろさんの絵が見たくなって下石神井にある『ちひろ美術館・東京』に行ってきました。館長は黒柳徹子さんです。



いわさきちひろさんのお父さんは軍属の建築家、お母さんは教師で戦時中に沢山の女性を大陸の花嫁として満州に送りました。
満州には伝えられていた豊かな暮らしはなく貧しく生きるのが精一杯でした。日本が戦争に負けると大陸の花嫁は帰ることも出来ず殺されたり中国の人の花嫁になり、更に子供たちは中国残留孤児になりました。戦争に負ける数ヶ月前に書道とお裁縫を大陸の花嫁に教えるために満州に訪れたいわさきちひろさんは習い事どころではない現地の悲惨な生活に愕然とし体調を壊してしまいます。大陸の花嫁は日本に帰ることが出来ないのにいわさきちひろさんは有力者の娘という理由で特別に戦争に負ける前に日本に送り返されました。いわさきちひろさんのお父さんとお母さんは戦後に戦犯として公職を追われています。
いわさきちひろさんはご両親が大勢の人を子供を不幸にしたことを自分の背負った十字架として子供の絵を描き続けました。

「子供はこんなにも素直で優しくて可愛いんだよ、だから不幸にしないで」という反戦の願いを込めて。

ちひろ美術館で私が生まれる前の昭和の服装と髪型をした子供たちの絵を見て、「あっ、この女の子私だ、私に会ったことも世界に私がいることも知らない人が私のことを幸せになってと祈ってくれていたんだ、そんな事あるんだ」と思ったら泣いてしまいました。

読書記録と読書のアウトプットの為に書いたら長くなってしまいました。
簡潔に書くって難しいですね。