2024年8月21日
これは1ヶ月以上前のこと
プラハ放送交響楽団
指揮者:ペトル・ポペルカ
チェロ:佐藤晴真(*)
◆ドヴォジャーク チェロ協奏曲 ロ短調op.104(*)
◆スメタナ 交響詩『わが祖国』より
「ヴィシェフラド」「シャールカ」「ボヘミアの森と草原から」「ターボル」「ブラニーク」
◆ソリストアンコール(*)カザルス 鳥の歌(カタロニア民謡)
◆アンコール スメタナ 交響詩『わが祖国』より第2曲 「ヴルダヴァ」
2024年7月13日 東京オペラシティコンサートホール
座席が最悪だった。
座ったとたん、これは何だと思ったね。
ステージの三分の一しか見えない。演奏に入ると指揮者も独奏者も全く見えない。
これで10,000円かよ。
この写真はかなり前のめりになって撮ったものだからステージの半分くらい映っているが、きちんと腰掛けたらこうはいかない。
音楽を聴きにきているのだから舞台が見えなくてもいいじゃないかというほどの音楽マニアではない。現場に足を運んでいる以上アーティストを見なければ意味がない。いくら安い席(C席;下から2番目)だからといって、見切れ席だと知らなかった私が悪いのか。しかもプログラムは有料だった(ここ2年半で80回近くコンサートに来て初めての経験)。
さて、私はプラハに6年間住んでいた。その間、ドヴォジャークホールやスメタナホールを初め、何度もコンサートに足を運んだことは忘れ難い思い出である。その中で、どういうわけかプラハ放送交響楽団のコンサートに行く機会がなかったのはむしろ不思議なことかと。
そういう意味で、満を持して今回の演奏会に臨んだのだった。ところが上述の通り、なぜかような席を設定するのか、ホールの設計ミスではないのかと思うような席。一気に気分が萎えたとしても私の責任ではない。
演奏は素晴らしかった・・と思う。
オーケストラの編成はいろいろあるが、弦楽器が厚いのは共通している。時にコンマスのカデンツァが盛り込まれている場合はあるにしても、おおむねストリングスは全編ほぼ通奏することが多い。プロのオーケストラで今までそれほど驚くような違いを感じたことはあまりないのだが、この日のプラハ放送響はのっけから違いましたね。
深い。
普段海外オケの公演には行かない(料金が高い)のだが、この日は来た甲斐があった。
佐藤晴真のチェロもすばらしかった。残念ながらカーテンコールを含めて本人の姿を全く拝めなかったので、改めて彼の出演するコンチェルトを聴きたい気持ちにさせられた。若手有望チェリストとして活躍中だけに、いくらでもその機会がありそうだ。
本編のスメタナ「わが祖国」からわざわざ第2曲の「ヴルタヴァ」(プログラムの表記は「モルダウ」)を抜いたのはなぜなんだ。今回の日本ツアー6公演で、「ヴルタヴァ」だけを演奏するのが4回、「わが祖国」全編を演奏するのが1回あって、この日だけ「ヴルタヴァ」がない。
いやこれはきっとアンコールに「ヴルタヴァ」をやるに違いないと期待していたら、フルートがあの出だしを奏で始めて私の涙腺はいとも簡単に崩壊したのであった。
チェコの第二国歌ともよばれるこの「ヴルタヴァ」は、それこそチェコでさんざん聴いた。日本に帰って来てからも、チェコのオーケストラ公演ではほぼ毎回この「わが祖国」か「新世界より」が演奏される。それでも聴くたびに私の心は震えるのであるよ。
チェコから帰国してすでに8年半が経った。元気なうちにまたプラハに行きたい。
(追記)
チェコの国民的指揮者にラファエル・クーベリック(1914-96)という人がいた。1948年の共産主義政権樹立を嫌いイギリスに亡命、1989年にチェコで民主化革命が起きたのを契機に、ハヴェル大統領の強い要請で亡命先のイギリスから帰国し、翌1990年の「プラハの春」音楽祭でチェコ・フィルを指揮し、スメタナの『我が祖国』の歴史的演奏を行い復活したという方である。
私がチェコに赴任したのは2010年1月であるので、もちろん直接その演奏を聴いたことはない。音源を聴いた限りでは、タメが大袈裟なくらいで、ずいぶん気取った演奏だなと感じた。しかしながら、40年におよぶ亡命生活からの帰国という事情を思えば、万感こもった情熱的指揮ということになろう。私ごときがチェコフィル終身名誉指揮者の称号を受けた大指揮者に対して何を言うか、ということであるね。
この日の『わが祖国』はかなりタメの強い演奏だった。あるいはクーベリック流を意識した指揮であったのか。