2024年5月17日

 

神田連雀亭ワンコイン寄席

 

落語三昧#55 + 読書記録#68 ”読む落語” | 小人閑居して不平を鳴らす (ameblo.jp)

 広瀬和生氏が指摘するように『「とにかく寄席に行ってみよう」というスローガンが甚だ危険なのは、寄席の定席に出ているのは年配の演者が多い、ということだ。もちろん面白ければ年齢は問題ではないけれども、寄席には必ずしも面白い人ばかり出ているわけではない。若い人が初めて寄席に入ってみたときに、もしも年配の噺家の退屈な落語を聴き続けたら、「落語って年寄りの娯楽なのかな」と思ってしまうに違いない。』というわけで、最近定席に行く意欲が薄れていた。

 

 したがって、久々の落語は、二つ目専門の落語会『神田連雀亭』である。いくら二つ目だけの落語会とはいえワンコインとは驚きである。ほかにも二つ目だけしか登場しない落語会はいくらでもあるが、500円というのは聞いたことがない。

 

 この日の顔づけは、入船亭遊京、瀧川鯉丸、橘家文吾の3名・・だったが、なんと鯉丸さんは出番を忘れたか間違えたかで急遽柳亭信楽さんが代演となった。実は私、この鯉丸を見てみたいと思って来たのだった。なぜなら、鯉丸の本名は私と同姓、字もいっしょ。

 あと数年で古希になろうかという人生で、家族親戚を除いて全く同姓の人にあったことがない。今日は初体験かと期待していたら、なんと鯉丸大ポカ、バカヤロ~。

 それはともかく、それぞれに熱のこもった高座でした。

 

 これが連雀亭の建物。2階に40席ほどの寄席がしつらえられている。

 

 

 さて、例によって個別に感想を。

 

◆入船亭遊京 『七度狐』だと思う。元々上方落語の噺を改編したもののようだ。

 この人京都大学農学部の卒業。ほぼダイレクトに入門しており、現在二つ目で9年近くを経過しているから、早晩真打に昇進するだろう。声の通りも仕草も完成されていて、なかなか洗練された高座ぶりだった。期待できるんではないでしょうか。

 

◆柳亭信楽(瀧川鯉丸の代演) 新作

 朝ドラを見ていていちばんいいところで電話がかかってきて、今日の代演を依頼されたとかで、気分が削がれた状態で高座に上がっていると冒頭言い放つ。ただでさえ少ない客席が凍り付いた。さすがに本人もまずいと思って言いつくろおうとするがうまくいかない。

 しかも目の下のクマが目立つので、なおさら雰囲気ダダ下がり。

 それでも本編では汗だくになりながらの熱演で、出だしのしくじりをなんとか取り戻せたか。

 

 遊京が京都大学なら鯉丸は早稲田大学文学部、そしてこの信楽は慶応大学商学部。証券マンからお笑い芸人を経て、入門した時は30歳を過ぎていた。現在40歳ということはまだ二つ目になって6年程度だ。抜擢昇格をするほどの爆発力は感じないから、まだ真打までは少なくとも4年はかかるだろう。

 いろいろ悩んだ人生の前半だったみたいだが、先は長い。会社をやめたときの先輩の言葉が「お前みたいな奴はどこへ行ったって通用しない」だったそうだ。見返してやれ。

 

◆橘家文吾 『品川心中』

 ほかの二人にも言えることだが、くたびれた老人真打よりもはるかに好ましい。芸のうまいへたを論評するほどの知見も経験も私にはないから、印象だけの話だが、大事なことだよね。

 

 20分程度の持ち時間だから、全編通しではなく前半のみで噺は終了・・といっても、当今このネタ全編を語る噺家はほとんどいないらしい。

 廓話もやりにくくなっているだろうし、そもそも当時の風俗が客にはわからなくなってきている。さらに、ジェンダーフリーや多様性の尊重という美しいコンセプトに合わないような言葉がさんざん出てくる噺は共感性も薄くなる。しかしだからと言って、言い訳がましく「教えられた通りに喋っております」なんて言わない方がいい。

 芸者のお染のセリフ回しはなかなかのものだった。もう少し仕草が伴えばもっと色っぽくなる。

 

 いずれ甲乙つけ難し。真打になる時期は違うだろうが、切磋琢磨して芸を磨いていってほしい。応援しておりますよ。

 

 

 連雀亭の建物。1階はイタリアンレストラン "マルシャン” 。落語の後寄ろうかと思ったら、満員のようでした。また次回。

 
 

 

 で、至近の割烹「中よし」でぶり照り焼き定食。この厚みはすごいね。美味でした。意外に空いておりましたね。

 近所にはなにやら由緒ありそうな飲食店多数。かなり呑み助の私の興味をそそったことである。

 

これがその「ふぐ割烹 中よし」

 

近くにこういう、なんか歴史のありそうな立ち食いそばや

 

こちらはあんこう鍋の店 ”いせ源”

 

 これは ”おしるこ 竹むら”。

 この後しばらく行列が途切れなかった。有名店らしい。

 

燻製料理 その名も ”けむり”

 

手打ちそば ”まつや”

 ほとんどが外国人の行列が途切れなかった

 

ごぞんじ ”藪蕎麦”

 いきなり行って入れる店ではない。整理券を配っている

 36年前にアメリカに赴任する際、赴任先の元副支店長に挨拶に行った時、連れていってもらったように記憶している。

 味は覚えていない。特に感動はしなかったような。

 

 

 

【本日のお勉強】

 連雀亭の「連雀」とは元々このあたりの地名。神田川にかかる筋違橋(すじかいばし)に設けられた筋違門の内側には連尺(物を背負うときに用いる荷縄、またそれを取り付けた背負子)を作る職人が多く住んでいたことから「連尺町」の名前がつけられた。それがやがて「連雀町」の字があてられるようになった由。

 明暦の大火(明暦3年;1657年 振袖火事)の後連雀町は延焼防止の火除け地として召し上げられ、連尺を商う25世帯は遠く武蔵野に代地を与えられ移住させられた。現在の三鷹市上連雀、下連雀の地名はこの故事に由来するんだそう。