ポカラ滞在中この日一日だけ、突然短歌が頭にいくつも浮かんできた。

 ピュア素人のヘボ短歌だがご披露。

 

旅路をばさてもはるばる来ぬるかな 慧海徒歩(かち)にて渡りし道を

 河口慧海は、既存の漢語仏典に疑問をおぼえ、梵語原典やチベット語訳仏典の入手を決意し、日本人として初めてチベットへの入国を果たした人。空路どころか、陸路すらない当時のチベットに徒歩で入るというのは、今で言えば月に行くのと同じくらいの、いや危険度ではもっと無謀な道のりであったに違いない。正に近代の三蔵法師とも言うべき方である。

 

 上の写真はマルファにある河口慧海記念館で撮ったもの。マルファに立ち寄るのは隊長(われわれの旅行の隊長のことです)が計画していた通りとはいえ、河口慧海記念館の場所を把握していたわけではなかったらしい。散策の途中に偶然見つけたに近い。僥倖である。ちなみに「地球の歩き方 ネパールとヒマラヤトレッキング」の最新版には、マルファは記載されていないし、まして河口慧海に関する記述もない。

 途中館内で日本語が聞こえてきて、別のガイドに案内されてきたトレッキング風の日本人数名であった。 

 

 明治30年6月に河口慧海が神戸を発って、インド経由でこのマルファに入ったのはほぼ3年後の明治33年3月であった。この地に3か月留まった後、いよいよチベットを目指し、ついにチベットの首府ラサに到達したのは翌34年3月のことであったという。

 

 写真右上の掲額には、慧海の詠んだ「ヒマラヤの雪の岩間に宿りてはやまとに上る月をしぞ思ふ」の歌が書かれている。阿倍仲麻呂の「天の原~」の歌を思い起こさせる。慧海はその後日本に帰国したので、仲麻呂とは事情が異なりますが。

 

 

旅先の笑顔美しネパールの 人も子どもも我に微笑む

 街中はともかく、行きかう人も子どもたちも笑顔で合掌とともに『ナマステ』と挨拶をしてくれる。ネパールの人は暖かく、優しい。

 

 小生実はこの旅の間に大失敗をやらかした。ホテルエヴェレストビューに到着したヘリコプターの機内に、その時の全財産が入ったボディバッグを置き忘れてしまったのである(ヘリ代(USドル)をまだ払っていなかったし、日本円もネパールルピーも全てその中だった。さらにパスポートもクレジットカードも全て入っていた)。ヘリはその後別の客を乗せて1回ならず飛行した模様で、2時間半後に迎えに来てくれるまで気が気ではなかったが、無事に手つかずで戻ってきた時の安堵感は何にも例え難い。これは欧米ではあり得ないことではないかと思う。日本でもどうかすると危ういだろう。

 ネパール人はまじめで優しい。間違いない。

 

 

外国(とつ国)の初めて喰らふそれこれも 味おもしろし旅の醍醐味

 ブッダが苦行と断食で衰弱したとき、村娘が差し出したのが、今のヨーグルトに似た乳粥であったという。その後の瞑想でついにブッダは悟りを開く。ここから醍醐味という言葉が生まれた。その娘の名前はスジャータ。

 

 上の写真は、ルンビニからタンセンに向かう途中で立ち寄った、ブトワルでの昼食。下右は“モモ”と呼ばれる蒸し餃子。日本の餃子とほとんど変わらない。真ん中上の “チョーメン” も焼きそばそのもの。

 

カトマンドゥの人気「ラーメン屋」”Kunfu Noodles”(江湖面館)でトマトラーメンと醤油?ラーメン。美味しうございました。

 

これはフライドポテトだね。一応ネパール料理屋で出されたもの。

 

鶏肉と玉ネギ、青唐辛子(ときどきとんでもなく辛い。ハラペニョみたいな)をソテーしてあるのかな。これも抵抗なく食べられる。

 

ネパール式 “火鍋” 。韓国風の火鍋に比べると穏やかで優しいお味。おいしかった。

 

これは炒飯

 

ピザ、ピーナツ、途中から我々の定番となったチョーメン(チョーミンとも)、チキンチリなど。どれもいける。

 

 これは後にまた紹介するだろうが、hot beerとも呼ばれるシコクビエを発酵させて作るアルコール飲料で、tongbaという。今現在も発酵が進行中で、量が少なくなるとこの写真のようにお湯を注ぎ足してまた飲む。永遠に飲んでいられる⁈

 マッコリにも似た味わいである。ストローの先が平たく潰してあって、沈殿したヒエが入ってこずに、液体だけを吸い上げられるようになっている。

 

 

ありふれた地震(なゐ)の報せもヒマラヤの 旅にしあれば心騒げり

 

 ここ2か月ばかり千葉県では震度3~4クラスの地震が頻発していた。日本にいれば、「あぁまたか」という程度の地震も国外にいては気になる。娘に連絡すると、「ニャンズが驚いて隠れてしまった」とか。

 

 

ヒマラヤの峰より流る黒き川 カリガンダキの深さ尊し

 カリガンダキ川の作る渓谷は、世界最深の6,000メートル。カリとは「黒い」という意味。左の写真は最も狭い部分で幅せいぜい2メートルか。ここからさらに遡ると、なんと大平原が現れる。

 

 先に書いたが、交通インフラさえしっかりしていれば、世界的観光地になるはずなのに惜しい。それでも近年はネパール国内の観光客も増えてきた由で、所得水準が順調に伸びている証だと隊長から説明があった。

 

 

山寺の階(きざはし)上る息荒し 経読む声に似るか似ざるか

 ヒンドゥー教とチベット仏教双方の聖地ムクティナートの寺院は標高3,800mレベルにある。頂上に上るだけでも大変である。

 

 

菩提樹の下にて釈迦は悟りけり 今立つ我は煩悩の虜

 釈迦生誕の地ルンビニの聖園。白い建物はマヤ廟(マヤは釈迦の生母)。菩提樹はさすがに釈迦生誕の時代のものではないが、直接の系統をつないだものと。この「天上天下唯我独尊」のポーズをとる仏像は高さ10メートル近くか、ちょっとせんとくんに似ている。

 

 1896年にアショカ王の石柱が再発見されて以来、さまざまな考古学上の発掘が続き、ルンビニを巡礼・観光のセンターとして開発するための国際委員会が国連に設置されたのが1970年、ルンビニ開発公団が設立されたのが1985年と意外に新しい。釈迦生誕の場所というのがマヤ廟の中にあって、小生も素直にお参りしてきたものの、そこまでピンポイントに場所を特定できたんだろうか・・。内部は撮影禁止だったので、そのスポットを紹介できないのは残念なことである。

 

 

ヒマラヤの峰に向かひて言葉なし 大地の神は奇跡を給へり

 なんのひねりもない、ド素人の正にヘボ短歌(他もそうだけど)。いやしかし、かかる景色を前にして言うことはないし、その背景に神の存在を感じるのはむしろ自然なことかと。

 左上の写真で、稜線の上に顔を出している三角形がエヴェレストであります。

 

 上の句の終わりは「言ふことなし」にしたかったのだけれど、それだと啄木の「ふるさとの山に向かひて言ふことなし~」に似すぎるので遠慮しました。

 

 

去るは今旅の思ひは尽きねども やがてまた訪ねんとぞ思ふ

 ポカラにいた時はまだ旅は終わっていない。ホテルエヴェレストヴューに行く前である。したがってこの短歌は予定稿。

 

 

 

お粗末さまでございました。