2024年4月16日
久々の美術館はしご
トーハクの特別展 ”法然と極楽浄土” と
静嘉堂文庫美術館で ”画鬼河鍋暁斎✖️鬼才松浦武四郎”
当初の予定には日本橋高島屋の”文化勲章三代の系譜 美の相伝 上村松園 松篁 淳之”も入っていたのだが、高島屋に行ってみると、なんと翌日からの開催だった。お粗末(後日行きました)。
まーでもトーハクでかなり疲れたのでちょうどよかった、とは負け惜しみである。
ちなみに当家の宗旨は浄土真宗であって浄土宗とは異なるが、乱暴に言ってしまうと真宗は浄土宗から派生して純化したものだから、浄土宗は真宗のご本家筋に当たり、法然上人は真宗の開祖親鸞聖人の師匠と言える。こんなこと言ってしまうと怒られるかな。
展示の最後、仏涅槃群像だけは撮影可でした。
香川・法然寺からのお出ましであるが、今法然寺へお参りした人はがっかりしちゃいますね。
以下の写真はネットからの借り物
◆「早来迎」として知られる国宝「阿弥陀二十五菩薩来迎図」鎌倉時代14世紀 (知恩院)
どこかで拝んだような気もするが、あまりに有名なので既視感があるのかもしれない。
◆「法然上人像(隆信御影)」鎌倉時代14世紀 (知恩院)
◆重要文化財「法然上人坐像」 鎌倉時代14世紀 (當麻寺奥院)
◆重要文化財 阿弥陀如来立像 鎌倉時代・建歴2年(1212)
◆重要文化財「徳川家康坐像」江戸時代17世紀(知恩院)
◆重要文化財「大蔵経 高麗版」1458年 (増上寺)
◆「五百羅漢」狩野一信 江戸時代19世紀 (増上寺)
たぶん増上寺宝物館で見ている。ただし同じ幅かどうかはわからない。
◆「五百羅漢」同上
浄土宗も浄土真宗も阿弥陀如来に助けてもらうという点では共通している。しかし、浄土宗が出家仏教の伝統があり戒律も存在するのに対し、浄土真宗は戒律も出家もなく、親鸞聖人自身が妻帯肉食を実践したことでそれを示しておられる。
極楽往生は自分の善悪には決してよらず、まったく阿弥陀仏の御力だけによる、という100%他力本願が真宗の神髄である。阿弥陀如来に対する完全な帰依により、在世で苦悩の根元を断ち切られて、大安心、大満足の絶対の幸福を得て菩薩になる。そして、死ねば極楽浄土へ往って仏に生まれる。これが報土往生である。
要は、出家はおろか修業を積まずとも、ただ念仏を唱えれば万人が救われるとするのが浄土真宗の教えなのだ。
戒律がなく、位牌もなく本尊も名号(南無阿弥陀仏の文字)だけで、仏像や位牌を奉ることもない。そもそも仏壇もない(のだが、営業上は真宗向けの仏壇が作られ、売られている)。
真の浄土宗という意味で「浄土真宗」と呼ばれるゆえんである。
◆ツツジが突如満開
ついこの前までサクラの話題だったのが、ツツジが盛を迎えた。
さてこちらが静嘉堂文庫美術館の『画鬼 河鍋暁斎 × 鬼才 松浦武四郎』
◆本展ポスター
「武四郎涅槃図」明治19年(1886)(松浦武四郎記念館)
というわけでトーハクとの共通点は『涅槃図』なのであった。
◆これは涅槃図と言いながら、横たわっているのはもちろん釈迦ではなく、松浦武四郎。「北海道」の名付け親だそうである。実際に武四郎が亡くなったのはこの絵の完成後2年であった。
◆上の涅槃図で首にかけている「大首飾り」。
御自慢の収集品を集めて作ったものらしい。唯一の肖像写真でも得意げにこの首飾りをかけている。
◆武四郎を取り巻くのは、ご自慢の収集品を暁斎が模写したもの。これは菅原道真(天満宮神影 土佐 光重 室町時代 (静嘉堂))
遺骸にすがりついて泣き崩れているのは武四郎夫人。
◆涅槃図によく登場する摩耶夫人の代わりに浮世絵の吉原芸妓
◆釈迦(武四郎)の死を嘆き悲しむ動物の中に、日本の郷土玩具が並ぶ
◆同様に歴史上のさまざまな偉人の姿も
聖徳太子、蛤観音、坂上田村麻呂、老子、猿田彦・・ この写真にあるとは限らない
◆「壁書図」上の写真左真ん中あたりに見える。伝雪村 室町時代(松浦武四郎記念館)
◆「白衣観音図」狩野探幽 江戸時代 (松浦武四郎記念館)
武四郎涅槃の上に描かれている。
◆「西行法師坐像」頓阿 年代不詳 (静嘉堂)
涅槃図では上の方に描かれている。
◆「東西蝦夷山川地理取調図」安政6年(1859) (静嘉堂)
【本日のまとめ】
ひとつ気になったといえば、涅槃図の釈迦に自らをなぞらえるという行為は、私のような凡人からするとたいそう不遜なことだと感じるのだが、どうなのだろう。
暁斎、武四郎とも天神信仰が篤かったといわれる。天神信仰と仏教が両立するかどうかもよくわからない。
浄土真宗のように、なんの戒律もない、ただ南無阿弥陀仏と唱えれば極楽往生することができるというのであれば、仏の御心のままにということなんでしょうか。いや、こじつけですね。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
わが家の床の間にかかる南無阿弥陀仏の軸