2024年1月11日

 

”サムライ、浮世絵師になる 鳥文斎栄之展” (千葉市美術館)

 

 不勉強にして鳥文斎栄之という絵師は知らなかった。明治時代に多くの作品が海外に流出し、日本に残された作品は限られているらしい。

 

 千葉市美術館は浮世絵に強みを持つ美術館で、てっきり館蔵品の展示であると想像していたところ、太田美術館や江戸東京博物館、東京国立博物館等の国内の有力ミュージアムはもとより、大英博物館、ボストン美術館といった世界的なメジャー美術館からも出展されていて、その充実した展示に圧倒されてしまった。

 

 

 喜多川歌麿の版元であった蔦屋重三郎と対抗した西村屋与八が、鳥居清長の後継として栄之を売り出したという経緯がある由。旗本出身という出自からか、デビュー間もなく大判の5枚組を手掛けるという異例の扱いを受けている。

 

 清長の描く長身で八頭身の美人画の雰囲気を保ちつつ、明らかに表情が違う。同じ引き目鉤鼻おちょぼ口でありながら、栄之の美人は圧倒的に気品がある。そして柔らかな笑みをほんのりと感じさせる。

 歌麿の描く美人が現世の生身の姿だとしたら、栄之の美人は理想化されたヴィーナスであったのかもしれない。

 

 大首絵で一世を風靡した歌麿に対抗しつつ、優美で繊細な美人画をよくし、大量生産の「浮世絵」というよりは、武家や豪商からの注文に応えた高価な作品が多い。弟子も多士済々で、師の趣を継承しながらも、また十分に独自の個性を表現することに成功している。

 

 

◆鳥文斎栄之 【川一丸舟遊び】寛政8-9年(1796-97)頃 ボストン美術館

大判錦絵5枚続の右から左へ

 

 

 

 

 

 

◆鳥高斎栄昌(栄之の弟子) 【郭中美人競 大文字屋内本津枝】 寛政9年(1797)頃 ボストン美術館

この、肩を少し着崩した色気はどうだろう。わずかに笑みを湛えた口元に鉄漿が覗く。お歯黒と言えば既婚女性というイメージが強いが、吉原の遊女はおおむねお歯黒をしていたとも。客への誠実のしるしという意味あいらしい。

 

◆鳥文斎栄之 【貴婦人の舟遊び】寛政4-5年(1792-93)頃 ボストン美術館

大判錦絵3枚続

 

 

◆鳥文斎栄之 【新大橋橋下の涼み船】寛政2年(1790)頃 ボストン美術館

大判錦絵5枚続きの右から左へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 栄之は、寛政10年(1798)頃からは肉筆画を専らとし、その確かな画技により精力的に活躍した。寛政12年(1800)頃には、後桜町上皇の御文庫に隅田川の図を描いた作品が納められたというエピソードも伝わっており、栄之自身の家柄ゆえか、特に上流階級や知識人などから愛され、名声を得ていたことが知られている。 

 

 

 

これは同時開催の「武士と絵画」の展示より

◆渡辺崋山 【佐藤一斎像画稿 第三】文政4年(1821)頃 西谷コレクション

 完成作は東京国立博物館に展示されている。教科書でおなじみ、というのは私の世代だけだろうか。

 

これはコレクション展示より

◆曽我蕭白 【寿老人・鹿・鶴図】三幅対の中央の軸 寿老人 宝暦8-9年(1758-59)頃 谷信一コレクション

 

◆曽我蕭白 【獅子虎図屏風】より虎図 宝暦(1751-649)後期頃 千葉市美術館

 

◆三代目歌川豊国 【市川海老蔵の碓井荒太郎貞光】文久3年(1863) 千葉市美術館

 

◆三代目歌川豊国 【揚巻の助六 市川團十郎三升】万延元年(1860) 千葉市美術館

 

 

 1時間くらいでちゃちゃっと見るつもりだったが、2時間半くらいかかった。正直疲れた。

 

 千葉市美術館はいつ行っても期待を裏切らない。今日は平日の昼間のわりには鑑賞者が多かった。もっと人気が出てもいい美術館だとは思うが、鑑賞の妨げになるほど混むのはいやだな。都合のいい話だけど。

 

 堪能いたしました。