2023年12月30日

 

映画 ”NO 選挙, NO LIFE”

 

 小生が映画を見る時は事前に情報を入れないのが基本であり、今回もそのパターンであった。

 

 見始めてすぐ、”国葬の日”によく似ているなと思ったらそのはずで、プロデューサー:大島新、監督:前田亜紀は”国葬の日”とプロデューサーと監督が入れ替わっているだけだ。

 

 映画 国葬の日 | 小人閑居して不平を鳴らす (ameblo.jp)

 

 手法はほぼ同じで、ナレーションも音楽もなく、ただ淡々と主人公の動きを追っていく。

 主人公は2017年に『黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い』で第15回開高健ノンフィクション賞を受賞した畠山理仁氏である。

 この本は私も読んだ。いわゆる「泡沫候補」と呼ばれ、選挙に立候補しても大手メディアからは全く「黙殺」される候補者たちの選挙戦を描いたルポルタージュである。

 この作品の影響かどうか、あるいはもっと前からか、最近の選挙報道では少なくとも公示日のニュースとしては、全候補の顔と発言を紹介してアリバイ作りを行っていると見受けられる。

 

 言ってみれば畠山氏の選挙報道に対する姿勢は、メディアの最近の動きを先取りしたものとも解釈できる。公明正大な選挙報道が、民主的選挙の本質を体現したものと考えられるからである。しかし、かといってこの資本主義の社会で、あるいは現実の市場主義の世の中で、畠山氏の活動が金を生むものとはおよそ考え難い。

 

 映画中に登場する畠山夫人の肝の据わった姿勢が痛快である。おそらく経済的にも家計を支えていると思われる。またさらに感心するのは、二人の息子さんたちが、実にしっかり者に育っていることである。

 漠然と、畠山氏って独身なんだろうなと想像していただけに、その実像との乖離に驚いてしまった。いや、これかなり失礼なこと言っているという自覚はある。

 

 フリーランスのライターでも、世を席巻する作品を送り出す人はいる。しかし、これ対象があまりに狭くて、経済的合理性を追求すれば誰もこれに特化して活動するという発想は起きない。なぜ選挙に特化してしまうのか。

 

 マック赤坂やドクター中松やら、年がら年中興味を持って追っかけていたい読者、視聴者はそれほどいるとは思えない。つまり需要がない。無頼系独立候補(泡沫候補の美的表現)の中にも政治的にまともなことを言っている人はいる。いや、むしろ何の後ろ盾もなく、供託金没収が確実なのに選挙に打って出ようという熱意には頭が下がる・・こともある。

 

 しかし、多くの候補は残念ながらその主張も荒唐無稽、支離滅裂、意味不明な内容で、いったいなぜ選挙に立候補したのか疑問を覚えるばかりだ。こう言っては酷だが、畠山氏がそれに同化してしまっているように思えてならない。畠山氏の着眼と行動力、さらにそれを一般に伝える表現力は尊敬と評価に値する。残念だ。

 

2023年製作/109分/G/日本
配給:ナカチカピクチャーズ

監督:前田亜紀
プロデューサー:大島新
出演:畠山理仁

 

 

 

 

 タイトルの『NO選挙,NO LIFE』はあえて本来の日本語にするとどうだろう。「選挙なくしてなんの人生か」というあたりか。そういえば、元プロ野球選手で、覚せい剤取締法違反で有罪となった清原和博氏が、自分としては反省のつもりで“NOシャブ,NOライフ”なんていう書き込みをしたらしい。これだと「シャブがなきゃ生きていけねえ」みたいな意味になりますな。

 KKコンビなんて並び称されることが多かったけど、プロフェッショナルでストイックな桑田真澄氏と清原氏はその精神、教養、言動において対極にある。松井秀喜氏がジャイアンツ愛を振り切ってMLBに飛び込む決意をしたのも、当時清原氏が読売ジャイアンツに残留することが決まったからだと小生邪推しておる。

 

 いや話が飛んだ。かなり飛んだ。

 

 言いたかったのは、畠山氏はその才能を使うべき方向を考え直した方がいいのではないかということ。もちろん「大きなお世話だ」と言われるに決まっている。ただ、ジャーナリストと称するのであれば、世間の需要に応えるのも役割の一つじゃないかと思うのだよ。