2023年11月21日

 

映画『ぼくは君たちを憎まないことにした』

 

“Vous n’aurez pas ne ma haine”

 

 劇中主人公がアメリカのメディアの取材を受ける場面では、”You will not have my hate”という発言があって、これは原題の英語直訳とわかる。

 

 あ〜こういう言葉だったんだと、少し目を開かれる思いがしたことでした。直訳すれば「君たちは私の憎しみを持つことはない」となるが、それはいかにも生硬に過ぎるから、タイトルのような訳語になったというわけだ。

 

 

 子役に驚いた。おしめが取れたかどうかくらいの年頃と見えるところ、あれは演技なのか。あまりに自然な行動に感じ入った次第。

 

 いやそれは余録でしかない。

 

 ぼくは君たちを憎まないことにした

 

 この映画は世界的ベストセラーの映像化である。実話にもとづく物語だ。

 

 2015年11月13日に起こった、130名もの死者を出したパリ同時多発テロ事件。中でもヴォルテール大通りにあるバタクラン劇場では90名という最大の犠牲者を出した。その中に主人公で原作者のアントワーヌ・レリスの妻エレーヌも含まれていた。

 

 この事態にあってこう言える人はどれだけいるのか。上映中ずっと涙が流れ続けた。これは悲しい物語ではない。勇気と愛情の物語だ。

 

 折しもパレスチナではハマスの攻撃を端緒とした戦闘が続いている。

 バイデン大統領が、イスラエル訪問後にホワイトハウスから米国民に向けて演説した際、イスラエルが攻撃を受けたことを、ロシアから侵攻されたウクライナにたとえたが、これは全く逆だろう。メジャーリーグと荒川区のリトルリーグのチームくらいの差があるイスラエルが、ハマス殲滅を標榜して病院も学校も攻撃している。どちらがロシアなのか。

 

 

 ”金曜日の夜、君たちはかけがえのない人の命を奪った。

 その人は、ぼくの愛する妻であり、ぼくの息子の母親だった。

 (略)

 ぼくは君たちに憎しみを送ることはしない。

 君たちはそれが目的なのかもしれないが、憎悪で怒りに応じることは、

 君たちと同じ無知に陥ることになるから。

 君たちはぼくが恐怖を抱き、他人を疑いの目で見、

 安全のために自由を犠牲にすることを望んでいる。

 でも、君たちの負けだ。ぼくは今までどおりの暮らしを続ける。

 (略)

 ぼくは彼女がいつの日もぼくたちとともにいること、

 そして自由な魂の天国でまた会えることを知っている。

 そこに君たちが近づくことはできない。

 

 息子とぼくは二人になった。

 でも、ぼくたちは世界のどんな軍隊より強い。

 それにもう君たちに関わっている時間はないんだ。

 昼寝から覚める息子のところへ行かなければならない。

 (略)

 この幼い子供が、幸福に、自由に暮らすことで、君たちは恥じ入るだろう。

 君たちはあの子の憎しみも手に入れることはできないのだから。”

 

 ウクライナ紛争について、日本のマス・メディアはウクライナ支援一辺倒の姿勢に見える。ガザ地区のイスラエル攻撃についても、ハマスに同情的な報道が大部分である。これに対しイスラム思想研究者の飯山陽氏とノンフィクションライターの門田隆将氏は月刊Willの最新号で「蛮行を庇う愚か者たち」と厳しく批判している。ハマスの攻撃が残虐のきわみであったことが主な理由のようだ。グテーレス国連事務総長ですら、ハマスの攻撃の背景には56年間に及ぶ息苦しい占領の歴史があると同情的な発言をしているというのに。

 

 連合赤軍の最高幹部であった重信房子(刑期を終えて釈放済み)の娘 重信メイ氏は、「パレスチナ人民の抵抗はテロと言い、イスラエルの攻撃は自衛という。」と疑問を呈した。両氏はこれに対しても、テロリストの娘で自身もテロ思想を叩きこまれてきた人物の妄言と激しく反発した。

 

 いやしかし、イスラエルは札付きのテロ国家ではないか。アメリカの後ろ盾があるから西欧を中心としたかつての「西側」諸国はおおむねイスラエルに親和的であった。その中で日本は外交努力により中東諸国にもイスラエルにも友好的な関係を維持してきた。マスメディアの単純な白か黒かの二分論は危険と感じるのは、老人の過剰な心配であることを祈る。

 

 ぼくは君たちを憎まないことにした

 

 この言葉を噛みしめたい。

 

 ガザの人々がイスラエルの徹底的な殲滅作戦を憎まないことはないだろう。イスラエルが、ハマスの残虐な攻撃を許すこともまたないだろう。それでも、希望があることを信じたい。

 

 

 日本だと、(あるいはフランスでも)この崇高な精神の発露に対して、誹謗中傷が起きるのだろうか。人間というのは進歩がない。

 

 

【キャスト】
◆アントワーヌ・レリス(主人公);ピエール・ドゥラドンシャン 

◆エレーヌ(主人公の妻、メルヴィルの母 テロ事件で落命する);カメリア・ジョルダーナ

◆メルヴィル(アントワーヌとエレーヌの息子 17か月)ゾーエ・イオリオ エンドロールでは堂々二番目に名前がクレジットされていた。史上最年少の主役俳優の一人。

◆ほか;トマ・ミュスタン、クリステル・コルニル、アン・アズレイ、ファリダ・ラウアジ、ヤニック・ショワラ

【スタッフ】
◆監督・脚本;キリアン・リートホーフ
◆製作;ヤニーネ・ヤツコフスキー、ヨナス・ドルンバッハ、マーレン・アーデ
◆製作総指揮;サラ・ナーゲル、イザベル・ビーガント
◆原作;アントワーヌ・レリス著「ぼくは君たちを憎まないことにした」(ポプラ社・刊)
(原題);Vous n’aurez pas ma haine(英題:You Will Not Have My Hate)
2023年(ドイツ・フランス・ベルギー合作映画)102分