2023年7月28日

 

逝ける映画人を偲んで 2021-2022

In Memory of FIlm Figures We Lost in 2021-2022

 

第1期 2023年7月4日ー9月3日

第2期 2023年10月10日ー10月22日

(国立映画アーカイブ)

 

 国立映画アーカイブ (National Film Archive of Japan, NFAJ) とは、独立行政法人国立美術館が運営する、日本で唯一の国立映画機関である。東京国立近代美術館フィルムセンターから2018年4月に改組し、日本で6館目の国立美術館、国立映画アーカイブとして開館した。「映画を残す、映画を活かす。」をミッションに、映画を保存・公開する拠点としての機能、映画に関するさまざまな教育拠点としての機能、映画を通した国際連携・協力の拠点としての機能を三つの柱として活動を行う。映画フィルムや映画関連資料を可能な限り収集し、その保存・研究・公開を通して映画文化の振興をはかることを目的とする日本最大のフィルムアーカイブである。(wikipediaによる)

 

 『逝ける映画人を偲んで 2021-2022』は同公式サイトによれば「日本映画の輝かしい歴史を築き、惜しまれながら逝去された映画人の方々を、それぞれの代表的作品を上映することで追悼する企画『逝ける映画人を偲んで』を2年ぶりに開催します。2021年1月1日から2022年12月31日の間に逝去された方々へのオマージュとして、85作品(72プログラム)を上映し、100名以上の映画人の業績を回顧・顕彰します。」となる。

 

 興味をもった映画はいくつかあるが、そのうちまずこの『乱』を見ることにした。この映画で偲ぶ対象は、プロデューサーの原正人、衣裳デザインのワダエミと、一文字三郎直孝を演じた隆大介の3人である。ちなみにエグゼクティブプロデューサーとしてクレジットされている古川勝巳は、この映画が資金難で製作が行き詰まったときに、資金提供を実行し完成にこぎつけた、ある意味最大の功労者である。総製作費は26億円におよび、公開年の興行収入16億7千万円は邦画3位であったにも関わらず、大幅な赤字ということになる。日本ヘラルド映画の創業者古川為三郎の息子であり、名古屋市中区の古川邸は現在古川美術館として使用されている。名古屋に住んでいたころ、何度か訪れたことがある。

 

 

 さてこの映画、当初公開時(1985年)に見ているが、内容はほとんど覚えていない。完璧主義者である黒澤明監督が、4億円をかけて作らせたという城のエピソードと、それに火を放ち炎上するシーンが記憶に残るばかりであった。

 

 

【キャスト】

一文字秀虎:仲代達矢
一文字太郎孝虎:寺尾聰
一文字次郎正虎:根津甚八
一文字三郎直虎:隆大介
楓の方:原田美枝子
末の方:宮崎美子
鶴丸:野村武司
鉄修理:井川比佐志
狂阿弥:ピーター
畠山小彌太:加藤武
綾部政治:田崎潤
藤巻信弘:植木等

【スタッフ】
監督・編集:黒澤明
エグゼグティブプロデューサー:古川勝巳
プロデューサー:セルジュ・シルベルマン、原正人
プロダクションコーディネーター:黒澤久雄
脚本:黒澤明、小國英雄、井手雅人
演出補佐:本多猪四郎
衣裳デザイナー:ワダ・エミ
音楽:武満徹
指揮:岩城宏之
演奏:札幌交響楽団
狂言指導:野村万作
現像:東洋現像所
撮影協力:大分県、熊本市、御殿場市、九重町、阿蘇町、庄内町、大分県観光協会、熊本県観光協会、九重町観光協会、姫路城、熊本城、名護屋城、東亜国内航空 ほか

1985年 日本 162分

 

 仲代達也は熱演には違いない。だが、まるで舞台を見ているような重々しいセリフ回しは、いかに黒澤時代劇でもうっとおしい。それはこの映画公開当時の1985年であってもそれほど変わりはないはずだ。ピーターは黒澤が指名しての起用だそうだが、狂言回しとしては中途半端だし、そもそも演出が浮いている。起用の意図がよくわからない。

 

 三郎役の隆大介は重要な役まわりといえる。1975年に仲代の主宰する「無名塾」1期生として入塾、1980年の黒澤映画「影武者」でブルーリボン賞新人賞受賞というから、将来を嘱望された役者であったはずだ。ところがどうも酒癖が悪く、徐々に遠ざけられるようになり、活躍していたのは90年代までだったといわれる。身長187センチの美丈夫、個性的な顔立ちはファナティックな美と危なさを持つとも評された。きちんと役者人生を全うしたとはおよそ言えないその生涯は、惜しいという素朴な言葉では語りつくせない。

 

 ワダエミは本作でアカデミー賞衣裳デザイン賞受賞。和田勉夫人としても知られる。糸を紡ぎ、布を織るところからスタートする衣裳づくりは、今ではなかなか採用されないだろう。

 

 いや、この映画で抜群に存在感を発揮していたのは楓の方を演じた原田美枝子だ。元々長男 太郎孝虎(寺尾聡)の正室であったところ、太郎が戦闘で命を失い、二男 次郎正虎(根津甚八)が一文字家棟梁となるやその側室となり、正虎をたぶらかして正室である末の方(宮崎美子)を謀殺させ、自らが正室に収まる。ついには一文字家を破滅に陥らせ、自分の一族を滅ぼした一文字家への復讐を果たす。その鬼気迫るといってよい演技は、執念とも狂気ともつかぬ女の情念を余すことなく表現している・・と見た(個人の感想です)。

 昨年『百花』を見たが、彼女の年齢を経た美しさが際立っていた。映画はすごくつまらなかったけど。

 

 城(三の城)が焼け落ちるシーンは、初見の際はあまり印象に残らなかった。しかし今回見てみるとなかなかの迫力でありましたね。4億円を灰にするのはなかなか度胸のいるところだろう。撮り直しはきかないし。

 合戦シーンにはエキストラ1,000人と馬200頭が動員されたそうで、これも今ではなかなか実写ベースではむずかしかろう。

 

 そういえば、NHKの大河ドラマ『どうする家康』では騎馬シーンが一目でそれとわかるCGで、しかもかなりしょぼかった。この『乱』のごとく、あるいは『キングダム』のようにとは言わないが、もう少しリアルな合戦シーンを撮ってほしかったと願うのは私ばかりではあるまいよ。

 

 なかなかに派手な作りで、経済的な制約が今より強かった時代にここまで求め、実行したのはさすがクロサワと言えなくもないが、自己満足の部分もあったのではないかと感じたのは私がひねくれ者のせいか。シェークスピアの『リア王』の世界を戦国時代に舞台を換えて表現したと言われるものの、さほど物語に深みがあるわけでもなく、海外の評判がやたら高いのも クロサワあるある の一つかもしれない。かつてはともに制作に携わった橋本忍など、この作品は「脚本の失敗」と酷評している。

 

 脚本の共同執筆の一人であった小国英雄とは人物設定に関して激しく対立、大喧嘩の末、小国が執筆途中で降りたそうだし、『影武者』で製作過程で対立した勝新太郎が降板するなど、唯我独尊の傾向の強い黒澤監督はトラブルメーカーでもあった。

 

 黒澤作品をそれほど熱心に見ているわけではないが、印象に残ったのは『天国と地獄』くらいかな。『羅生門』は3回くらい見たが、なぜあれが名作なのか理解できん。やたら早口で大声を張り上げる過剰な演技、うるさい音楽。映画としての魅力をなにも感じなかった。

 

 結局海外の高い評価に弱い日本のメディア、大衆が、「それならきっと素晴らしいに違いない」「そのよさがわからないのは恥ずかしい」と思い込んで、それが黒澤に自信を与え、どんどんエラくなってしまったという図式のように感じている(個人の感想です)。