■日本相撲協会

 日本相撲協会は公益財団法人である。あの団体のどこが『公益』なのかよくわからない。相撲興行による利益を目的とした、むしろ閉鎖的なスポーツ団体ではないか。公益というからにはたぶん税制の優遇とかあるのだろうが、それがどれほどのメリットなのか。相撲は国技であると偉そうにしているが、競技人口は少ないし、相撲協会自らがアマチュア相撲の指導者育成を行っているとも思えない。単に明治時代に初めての相撲常設競技場を『国技館』と称しただけのはずが、いつの間にか競技自体が『国技』に格上げされてしまったというのが実情だろう。

 一番うさんくさく感じるのはその組織の閉鎖性である。中でも、年寄名跡を取得して相撲協会に親方として残る資格として、日本国籍を要求していることはその硬直性の筆頭である。

 公務員や選挙資格に関して国籍条項を設定することは合理性が認められる。だから、多くの国でそのような運用がなされている。一部のはねあがり地方公共団体は、公務員の門戸さえ外国籍者に開放している。地方議員の選挙権を特定永住者にも与えようと動いている政党もある。これには全く賛同できない。公務員になりたい、選挙で投票したいという人には日本帰化を求めればよいだけの話である。

 しかるに、日本相撲協会は国や地方公共団体の機関ではない。現役競技者(力士)の間は利用するだけしておいて、協会員としての特権は渡さないよというのはあまりにご都合主義ではないか。横綱白鵬の父ジグジドゥ・ムンフバト氏は、モンゴル人民共和国で史上最初のオリンピックメダリストとなった祖国の英雄である。その息子白鵬に、モンゴル国籍を捨てない限り日本相撲協会に残ることはできないと要求するその尊大さ、傲慢さはかの国の人にどのように受け止められただろうか。言っておくが、私は白鵬の現役時代の取り口や土俵上の所作など全て大嫌いであった。しかし、現役時代から“白鵬杯”を自費で主催し、日本の子どもたちの相撲発展のために尽くしていたことは知っているし、実際そこから現在活躍中の力士が育ってきているのだ。本来相撲協会が主導して行うべきことではないのか。

 日本国憲法は第十四条において『すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。』と規定している。もちろん、これは「国民」の権利を謳う条項であるから、外国籍者には適用されない(だから区別してよい)という理屈はあるかもしれない。しかし、現代ビジネスにおいて、偏狭な自国優先主義はもはや通用するものではない。国民栄誉賞にも文化勲章にも国籍条項はないのに、一民間団体に過ぎない相撲協会が、日本人限定だなどと偉そうに言えた義理か。

 伝統と既得権にあぐらをかき、世間知らずの協会幹部による経営では、将来暗いと思わざるを得ない。実際このコロナ禍にあって、相撲協会は2年連続の赤字経営に陥っている。力士の健康管理、新弟子の確保、前時代的な相撲部屋指導など、課題は十年一日の如く未解決のまま先送りされている。八角理事長、なんと答える。

 

 

(*重要な注)私個人は子どものころから大相撲の熱心なファンであり、今でもNHKの大相撲中継を毎場所楽しみにしている。その気になればなんの資料もなく、2~3時間くらい喋れる。